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「まったく──女に転ぶとは、俺も老いたものよ」
言って、オレントス王は武人らしく豪放に笑う。
オレステラの王城──その玉座の間に、私たちは跪いている。玉座には、武王オレントスその人が座している。先の晩餐の折とは異なり、老いてなおあふれんばかりの覇気に満ちている。
オレントス王は、イヴァ妃が塵となって消えて、その魅了から解放されたことで、自らが傀儡として彼の魔女に操られていたことを悟ったのであろう。王はイヴァ妃を討たんと兵を率いて離宮に向かい──そして、捕らわれた人々とともに離宮を脱する私たちと対面することとなる。
捕らわれた人々は、王の配下により、村々に送り届けられたのであるが、一方で私たちは事情の説明を求められて、半ば無理やりに王城に連れられて──こうして跪いているというわけである。
「此度は大儀であった」
オレントス王は、私たちの働きを認めて──傾国の魔女に操られていた黒髪の侍女が、事の顛末を証言したのである──望むままの褒美をとらせよう、と言う。
「まずは、獣人──エンリと申したか」
オレントス王に呼びかけられて、エンリは興味なさげに顔をあげる。
「おぬしを戦奴から解放しよう」
王の提案は、ひとまずのところ、妥当なものであろう。しかし、エンリはその大剣で一国を救ってみせたのであるからして、その程度の褒美では足るまいとも思う。
「聞けば、先の戦においてイオスティの将を討ったともいうではないか。他に望むものがあるならば、言うてみるがよい」
「何もねえ。奴隷からの解放だけで十分だ」
エンリの返答は、とても王に対するものとは思えず──脇に控える近衛騎士など、あからさまに怒気を放つのであるが、当のオレントス王は気にするそぶりさえ見せない。
「おぬしさえよければ──我が軍の将に、とも考えておるのだが」
オレントス王は、ずいと身を乗り出して、エンリに迫るのであるが。
「──くどい」
黒狼はすげなく返して──王はその答えを予見していたのであろう、さして不快そうな顔もせずに、私たちに向き直る。
「して──そなたらは、どうする?」
「私たちは──」
私は、皆を代表して声をあげて──そして、どうする、と問うように皆の顔を見やる。黒鉄も、ロレッタも、そして絶影までもが、皆一様に首を振って顔を背けるものだから。
「私たちも──何も望みませぬ」
私はやむなくそう答える。
「無欲なやつらよ」
無欲は必ずしも美徳ではないぞ、とオレントス王はもっともらしいことを言うのであるが──先まで傾国の魔女の強欲に侵されていた王に諭されても、苦笑いしか出てこない。
「では、しいて望むならば──平和を」
とはいえ、本当に何も望まぬというのも、確かにもったいないように思えて──私は、いくらか嫌味たらしくつけ加えておく。
何せ、オレントス以外の二国は同盟を結んだのである。戦がオレントスの敗北で決するのも、時間の問題であろう。そもそも、オレントスが同盟を阻もうと策を弄さなければ、戦はもっと早く終わっていたやもしれぬのである。嫌味の一つも言いたくなろう。
「そう言われてもな」
しかし──オレントス王から返ってきたのは、予想だにしない言葉であった。
「俺とて戦を望んでおるわけではないからな」
王は溜息をつきながら続ける。
「しかし──イオスティのやつが、頑として和睦に応じぬのよ」
「──え?」
オレントス王の苦い顔に、私は思わず間の抜けた声をあげる。
「でも、密書を奪い、同盟を阻もうとしたのでは──?」
「──密書?」
私の問いに、オレントス王は何のことやらわからぬという様子で繰り返す。
「何のことを言うておる?」
言って、王は首を傾げる。とぼけているのだとすれば、大した演技である。
黒騎士に密書を奪うよう命じたのは、オレントスではない──となると、いったい誰が何のために、同盟を阻もうと暗躍したのであろうか。思案しても──答えは出ない。
私たちは、ようやく王城より解放されて、目抜き通りを行く。私たち一行は火吹山を目指すため、エンリはティエルを村まで送るため──早々にオレステラを後にするべく、王都の門に向かう。グリンデルはというと、オレントス王に乞われて、もう一度踊りを披露するということだから、今こうして同行しているのは、律儀にも私たちの見送りということであろう。
「いやあ、楽しかったねえ」
言って、グリンデルは踊るように通りを行く。
「ずぶといやつだなあ」
私はその背中に、あきれながらつぶやいて──あんな戦いに巻き込まれておいて、その感想が一言、楽しかったとは、豪胆にすぎる。小人というのは、存外に肝がすわっているものであるなあ、と感心する。
「絶影さん──だっけ?」
グリンデルは踊りながら、前を行く絶影を呼びとめる。
「ちょっと、耳を貸して」
小人に乞われて、絶影はいぶかしい顔をしながらも足を止めて、屈み込む。
「あのねえ──」
しばしの後──グリンデルは再び踊るように歩き出し、今度はさらに前を行くエンリに話しかけている。
「何だったの?」
私は、立ち止まる絶影に追いついて、そう尋ねる。
「──何でもねえよ」
「気になるじゃん!」
言いよどむ絶影に食いついたのは、ロレッタである。
絶影も、ロレッタに迫られてはたまらないと思ったものか、あきらめるように溜息をついて。
「本当にくだらねえことだから、聞いて後悔するなよ」
と、念を押しながら続ける。
「この先──火吹山までの道中の、おすすめの娼館について、教えてくれたんだよ」
言って、絶影は気まずそうに顔を背ける。
まったく、男ってやつは、小人でさえも──といっても、小人のそちらの事情に詳しいわけではないのであるが──そういうものなのであるなあ、と私はつくづく感じ入る。
そうして、王都の門にたどりつく──と、別れを惜しむ間もなく、エンリが声をあげる。
「じゃあ──俺はティエルを村まで送るからよ」
エンリは、いろいろありがとな、と礼を述べて──ティエルに自身の外套を握らせて、振り返らずに歩き出す。一方で、ティエルは目も見えぬというのに振り返って、私たちに手を振る。
「ありがとう!」
「元気でね!」
ティエルの礼に、私は別れの言葉を返して──彼女に見えぬとわかっていても、手を振り返す。
「お父さん、手をつなごう」
「やめろ、俺は親父じゃねえって言ってんだろ」
ティエルは手探りでエンリの手を探しあて、黒狼はその小さな手から逃れようと身をよじる。
「あやつ、おそらく──村に居つくじゃろうのう」
黒鉄の言に、私は苦笑しながら頷く。
なぜならば、私たちの見送るエンリとティエル──仲睦まじく手をつないだ二人の後ろ姿は、どう見ても親子にしか見えなかったのだから。
「傾国」完/次話「勇者」




