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旅神のご加護がありますように!  作者: マリオン
第32話 傾国

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「妾は──この世でもっとも美しい」

 イヴァ妃が艶めかしくつぶやく──と、私の視線は、王妃に吸い寄せられるようにからめとられて──胸の鼓動は、魅力的な異性に対してそうなるように、高鳴るばかり。


 ()()──待て、待て。何だ、それは。それではまるで、私が魅力的な異性に胸をときめかせたことがあるみたいではないか──いや、まったくないとは言わぬにしても、イヴァ妃に対してそう感じるのは不自然にすぎる。私は胸を押さえて、静まれ、静まれ、と念じて──胸の鼓動は次第に落ち着きを取り戻す。


「──美しい」

 一方で、イヴァ妃の魅了に、すぐに反応を示したのは──やはりというか何というか──絶影であった。こういうとき、好色漢は頼りない。


 他の面々は、と見れば──エンリは魅了に抗っているものか、膝をついて苦しそうにうなり声をあげており、グリンデルはうつむいて立ち尽くしている。


 まったく、男ってやつは──と断じるのも、今回ばかりは酷であろう。女の私が何とかするしかあるまい、と決意する。


「美し──」

 私は、わずかにまどう心を無理やりに静めるように、どん、と胸を叩いて。

「──くない!」

 イヴァ妃の美を否定してみせる。


「女だからとて、妾の魅了から逃れることなどできぬはず──」

 イヴァ妃は驚愕の声をあげて、再びこちらに妖しい目を向けるのであるが──もう私の心はまどわない。


 おそらく──いつぞや海神の神威から保護されたときのように、私はフィーリの力で守られて、正気をたもつことができているのであろう。


 私はイヴァ妃の淫靡な目を真っ向からにらみ返して。

「──()()()()()

 確信を込めて、そうつぶやく。


 イヴァ妃は、私たちを魅了するにあたって、力ある言葉を唱えていない。見ただけで相手を魅了するなど、そこらの魔法使いにできる芸当ではないのであるからして、目の前の王妃こそが、古代より生きる魔女──傾国の魔女と考えて間違いなかろう、と思う。


「ほう、妾のことを知りおるとは──」

 イヴァ妃は、自らの正体を見破られたというのに、うろたえるそぶりも見せずに、妖艶に笑う。


「貴様──ただの鼠ではあるまい」

「リムステッラの巡察使──マリオン」

 イヴァ妃の言葉に返すように、私は堂々と名乗りをあげる。貴様の悪事は、大国リムステッラの知るところであるぞ、と揺さぶりをかけたつもりであったのだが──イヴァ妃は微塵も動じることなく、その余裕の表情を崩さない。


「マリオンとやら──その名だけは、覚えておいてやろうぞ」

 言って、イヴァ妃は艶めかしく指を躍らせる。


「──絶影!」

 イヴァ妃の指に呼応するように、絶影が私に襲いくる。その名を呼んでも、正気に戻る気配はなく、鋭い蹴りを放って──私はそれをかろうじてかわして、後ろに飛び退る。


 今の蹴り──直撃すれば、間違いなく、首の骨が折れていたであろう。いつぞやの手合わせの折には、いくらか手加減してくれていたのであろうが──今やためらいもなく、私を殺すつもりのようである、と悟る。


「ほう、これはよい人形を手に入れたわ」

 イヴァ妃は、どうやら絶影の技量に気づいたようで、楽しそうに笑う。


 次の瞬間──絶影は、疾風のごとく間合いを詰めて、私に拳を放つ。その拳は、軽いけれども速く、瞬く間に三撃も繰り出されて──私はかろうじて二撃をかわしたものの、三撃目の拳を頬で受けて──首をまわして衝撃をいなす。


 急ぎ首を戻すと──絶影は視界から消えている。私の首の動きにあわせて、死角に潜り込んだのであろう、と気づいて──その場で勢いよく回転して、死角に潜む絶影に向き直る。絶影は死角から透しを放つつもりだったのであろう、ちょうど私の背をつかもうと手を伸ばしているところで──私の回転によりその手を払われる格好となり、彼の前面は無防備となる。


 もらった──私は透しを放たん、と絶影の腹に手を添えて、床を踏み込もうとして──まさに、()()()を払われる。


 しまった──絶影は、私が透しを放たんと踏み込むその足をこそ狙っていたのである──と、悟ったときにはもう遅い。絶影は、平衡を失った私の胸に手を添えて、そのまま床を踏み込む。


 やられる──透しの衝撃を覚悟した、その瞬間であった。


「──ほい」

 私の透しをかわして、逆に私に透しを放とうとした絶影の、その後頭部を不意打ちで殴りつけたのは誰あろう──()()()()()である。


 絶影はその場に膝をつき、うめき声をあげる。グリンデルに殴られて立ちあがれないというよりは、イヴァ妃の魅了に抗っているように見えるから、もしかすると殴られた衝撃で魅了が解けたのやもしれぬ、と思う。


「──小人まで妾の魅了より逃れようとは」

 イヴァ妃は忌々しそうにねめつけるのであるが、グリンデルは先と同じくうつむいて立ち尽くすばかり。


 王妃は、先に絶影にそうしたように、妖しく指を躍らせる──が、グリンデルはうつむいたまま動かないのであるからして、やはり魅了されてはいないのであろう、と思う。


「グリンデル、いったいどうやって──」

「──()だよ」

 私の問いに答えながらも、グリンデル自身は、その目を閉じている。


「その女は──()()()()()()()()()()()()()

 グリンデルは、今までとは打って変わって、冷ややかな声でそう続ける。目の前の小人が、私の知る愛らしい小人と同一の人物とはとても思えず、その刺すような鋭利な気配に、ぶるり、と震える。


「グリンデル──もしかして、目を閉じて戦ってるの?」

「まさか──相手の足もとくらいは見てるさ」

 私の問いに、グリンデルは簡単なことのように返すのであるが──絶影ほどの達人の動きを、足もとを見るだけで読むなど、常人のなせる業ではない。踊り子というのは、それほどまでに相手の動きを読むことに長けているのであろうか──それとも、この小人は、本当は単なる踊り子ではないのであろうか。


「お嬢ちゃん──目だよ」

 グリンデルはそう繰り返して──私は、はっと我に返る。


 イヴァ妃に魅了されて操られている絶影も、また今なおその魅了に抗わんと苦悶するエンリも、その目を潰せば、王妃の支配から逃れることができる──グリンデルは、そう言っているのである。


 さすがに、本当に目を潰すわけにはいかないのであるが──視界を奪うだけでよいのならたやすい。


 私は、イヴァ妃の魅了に抗う絶影とエンリに駆け寄り、その目もとを手の甲で打つ。握り拳ではない。脱力した手で目を打っているのであるからして、一時的に視力を奪うにとどまり、失明まではしていないであろう、と思う。たぶん。


「──すまん」

 絶影は目を閉じたまま、詫びながら立ちあがる。その言からするに、イヴァ妃に操られて、私に襲いかかったことを、覚えているのであろう、と思う。


「気にしないで。戦えるなら、イヴァ妃の目を見ないようにして」

「見ようにも、当分目は開かねえよ」

 私の助言に、絶影は苦笑しながら返す。見れば、絶影は閉じた目から涙を流しており──私の目打ちは、非常に効いたのであろう、と納得する。


「妾は──この世でもっとも美しい」

 イヴァ妃は、正気を取り戻した絶影を再び虜にせん、と艶めかしくつぶやくのであるが──私にはもはや魅了は通用せぬし、他のものはそもそも王妃の目を見ていないのであるからして、魅了されることもない。


「ふん、目の見えぬものが増えたとてどうなる」

 再びの魅了の行使により──もはや魅了は通用せぬという状況が理解できたからであろう、イヴァ妃は舌打ちをして言い捨てる。


「この世でもっとも美しいたあ笑わせる」

 絶影にいくらか遅れて、エンリも己を取り戻したようで、ティエルを胸に抱いたまま立ちあがり、イヴァ妃の言葉を嘲笑う。


「こんなに醜い俺でさえも父と慕うティエルが──こんなに脅えてんだぜ」

 エンリは、震えるティエルを安心させるように、強く抱きしめながら。

()()()()()()()()()()()()()()

 と、イヴァ妃に向かって吠える。


 それは、おそらくエンリの本心からの、拙い罵倒であった。イヴァ妃にしてみれば、普段であれば笑い飛ばす類のものであろうに──狼頭の純な言葉ゆえか、それは思わぬほどに王妃の心をえぐったようで、奴はその美しい顔を怒りに紅潮させて震える。


「黙れ、下郎!」

 イヴァ妃の言葉とともに、エンリの眼前が爆ぜる。瞬間、黒狼はティエルをかばうように身をひるがえしており、その炎は彼の背をいくらか焼いたにすぎないのであるが──やはり、私が主塔でやられたのと同じく、イヴァ妃は力ある言葉を唱えてはいない。


「──神代の魔法?」

「いいえ──あれは、おそらく、()()です」

 私の言葉をすぐに否定したのは、胸もとのフィーリである。


「──魔眼?」

「悪魔の眼球を取り出して、自らに移植する外法によるものです」


 フィーリの語るところによると、古代においては、悪魔を召喚して、その力を奪い、自らのために用いるということが、ままあったのだという。確かに、空中都市ナタンシュラにおける風の大魔石も、多くの悪魔を贄としてつくられたというから、それ自体は驚くべきことではないのかもしれないが──それが事実だとすると、いくら異界からの侵略者たる悪魔相手とはいえ、報復くらいされても仕方のないことをしているような気がしないでもない。


「おそらく、イヴァ妃は淫魔の眼球を自らのものとしているのでしょう。そう考えると、力ある言葉を唱えずに、魅了と炎を操っていることの説明もつきます」

 なるほど──魅了も炎も魔眼の力によるものということであれば、戦いようはある。


「エンリ! イヴァ妃の目を見ないで! 足もとを見て!」

 イヴァ妃は稀代の魔女やもしれぬが──身体の扱いは、てんでなっていない。魔眼を発動させる折、その所作をかぎりなく省くことができていれば、前触れもなく宙に現れる炎をかわすことはまず無理なのであろうが──王妃の身体は、素直なことに、わずかに獲物の方に向くのである。となれば、目以外のところを注視することで、どこに炎を放とうとしているのか、読むこともできよう。


「誰かさんのせいで、ほとんど見えねえよ!」

 私の助言に、しかしエンリは声を荒げて返して──どうやら、強く叩きすぎたようである、と反省する。ま、操られて敵方にまわらないだけ、ましというものであろう。


 私は覚悟を決めて、異界の短剣を抜いて、前に出る。まともに戦えるのは、私とグリンデルのみ──となれば、ここは私がやるしかあるまい。


「私に魔眼は通用しない」

 言って、私はイヴァ妃の前に立つ。


 私には魅了も通用しないのであるからして、魔眼より放たれる炎も、その目を見て避けることができよう。何より、私が本気で駆けたならば、魔女たる王妃には、目視することさえできまい。


「魔眼のことまで知りおるとは──」

 イヴァ妃は驚きに顔を歪めて──しかし、すぐに妖しく笑い出す。


「しかし──妾の武器が、魔眼だけと思うたか?」

 その言葉に、私はイヴァ妃から漂う妖しい香りに気づく。花のように芳しく、そして蜜のように甘いその香りは──もしや、王妃の体臭であろうか。


「妾はあらゆるもので他者を魅了する魔女ぞ」

 言って、イヴァ妃はくつくつと笑う。王妃は、闇に包まれた寝屋の中でも、その艶めかしい肢体と、この芳しい香りとで、男を虜にするのやもしれぬ。


「獣には、こちらの方がお似合いであろ」

 イヴァ妃の笑みに、私は慌てて振り向く。


 しまった──エンリの嗅覚は、割と鼻のよい私に比しても、遥かに鋭いのである。香りの魅了となると、影響を受けないわけがない。


「エンリ!」

 黒狼は、しかし呼び声に応えない。ティエルを抱いたまま、苦しそうにうめきながら、大剣を構える。その剣を向ける先は──イヴァ妃ではない。

「──エンリ」

 黒狼は、私に大剣を向けて、上段に構える。


「──マリオン!」

 不意に、フィーリの声が飛んで──私はエンリを警戒しながらも、ちら、とイヴァ妃に視線を送る──が、そこに王妃の姿はない。


 何故──イヴァ妃には、私を出し抜いて気配なく移動するなどという芸当は、できようはずもないというのに。


「転移の魔法です!」

 フィーリの指摘に、その手があったか、とほぞを噛みながら、私はイヴァ妃の気配を探す。私がイヴァ妃をみつけるよりも早く、王妃に見られてしまったなら、私の身体は魔眼の力で爆ぜてしまうであろう。しかも、同時にエンリの相手もしなければならないのである。


 まずい──傾国の魔女ともなると、七たび国を滅ぼしているだけのことはあって、老獪である。私は周囲を警戒しながら、エンリから距離をとって、イヴァ妃を探す。


 しかし──意外なことに、王妃の気配を探り当てたのは、私ではなかった。

「お父さん、後ろ!」

 盲目であるからこそ、より気配に敏感なのであろう、ティエルが鋭く叫ぶ。


 瞬間──エンリの意思を、その()()が凌駕したかのごとく、黒狼は香りの魅了に抗って、大剣を背後に突き出す。大剣は背後に現れたイヴァ妃の腹を貫いて、王妃は驚愕に目を見開く。


「妾の美を理解せず、乳臭い小娘を選ぶとは──」

 イヴァ妃は、自らを貫いた大剣から逃れるように後ずさり──壁際に膝をつく。臓腑が傷ついているのであろう、吐血しており、あれではもはや助かるまい、と思う。


「娘を捨て置いて、よその女を選ぶ親父がいるわけねえだろ」

 イヴァ妃の魅了が解けたものか、エンリは鼻息も荒く、ふん、と言い捨てる。


「妾には──()には、そんな()は……」

 イヴァ妃は苦くつぶやいて。


「これだから、獣は嫌い──」

 最後まで言い終えることなく──傾国の魔女は倒れる。


 仰向けに倒れた魔女のその顔は、先までのイヴァ妃のものとは異なる。それは、素朴で愛らしい顔立ちの娘で、そこにはあの淫靡な目もない。もしかすると、この娘の顔こそが、傾国の魔女の素顔なのやもしれぬ、と思う。


 この素朴な娘の過去に、何があったのかはわからない。娘を捨て置いてよその女を選ぶような父がいたのか、それとも悪い男に手ひどく騙されたのか──そういった積み重ねで、いつしか稀代の悪女となってしまったのかもしれない、と在りし日の娘に思いを馳せる。


 しかし──傾国の魔女に虐げられたものたちにとっては、どんな事情があろうとも、彼女を許すことなどできないのであろう。まるで、目に見えない何かが、魔女に奪われた若さを取り戻すかのように──眼前の娘は、みるみるうちに老婆となり、そして骨となる。その骨も、やがて風化するように塵となって──跡形もなく消えるのであった。

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[一言] ゲストキャラたちがしっかり良いところ持って行きましたね! ベストバウトを争う一戦でした。
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