7
「じゃあ、ティエルはイヴァ妃にさらわれたっていうのか!?」
エンリはテーブルを叩きながら立ちあがって──客の視線が、いっせいにこちらに向く。
「声が大きい!」
私は唇に指をあてて、静かに、とエンリをたしなめる。
王城を脱した私は、オレステラの酒場──月に吠える狼亭に戻り、皆に潜入の成果を報告している。
黒鉄とロレッタは──まあ絶影も──常日頃より私のことを信頼しているからであろう、のんびりと過ごして待っていたようなのであるが──エンリはというと、その獣のごとく猛進する性からか、ただ待つというのは相当に苦痛であったようで、さあ話せ、すぐ話せ、と私に迫ってくるのであるからして、暑苦しいこと、この上ない。
「ちょっと落ち着いて」
私は、ちょうど給仕がテーブルに置いた酒杯を、エンリの方に寄せる。酒でも飲んで落ち着け、というつもりだったのであるが、黒狼はそれを一息に飲みほして──落ち着くどころか、さあ続きを、と言わんばかりに身を乗り出す。
「私の見たイヴァ妃の異様な行動からすると──たぶん、さらったのは王妃で間違いないと思う」
私は、エンリを落ち着かせることをあきらめて、溜息をつきながら続ける。
「異様な行動って?」
そう尋ねるロレッタに、私は主塔で見た光景を克明に話して聞かせる──が、私の語りが、全身に穴を穿たれた女のくだりに至ると、彼女は顔を背けて、吐き気をこらえるように口もとを押さえる。
「そりゃあ──ティエルじゃなかったのか?」
エンリは、その勇ましい狼頭に似合わず、おそるおそる尋ねる。
「少女ではなかったから、違うと思う」
私の答えに、エンリは安堵の胸をなでおろして──そして、それを悔いるような顔をして続ける。
「──わりい。それがティエルじゃなかったとしても、許される行為じゃねえってことは、わかってるつもりなんだけどよ」
それでも安心してしまった自らを恥じているのであろう、エンリは犠牲になった女を悼むように目を閉じる。
「お父さんだから、仕方ないよ」
「──誰がお父さんだ」
からかうように笑うロレッタに、エンリはわざとらしく牙をむいてみせて──彼女は慌てて黒鉄の後ろに隠れる。まったく、私のいぬ間に、ずいぶんと仲よくなったものである。
「それで、侍女の口ぶりだと、さらわれた人たちは、どこか別のところに捕らわれてるんだと思うんだけど──」
「捕らわれてるのが王城じゃないっていうんなら、今度こそ私の出番でしょ」
私の言葉に割って入るように、ロレッタは指を鳴らして、魔法の糸を紡ぎ出す。
確かに──結界の外を探すとなれば、ロレッタの糸の出番であろう、と思う。とはいえ、時間はかぎられているのであるからして、国中を探すというわけにもいくまい。
「城門を見張って。そこから、黒髪の侍女か近衛騎士が出てきたら、その後を追って」
「あいよう」
私の指示に、ロレッタは軽い調子で頷いて、指先を躍らせる。それだけで、彼女の糸は、王城を囲むように伸びているのであろう。
ロレッタは、城門から誰か出るたびに、声をあげる。その都度、私は、違う、とか、保留、とか返しながら、やきもきするのであるが。
「馬車──近衛騎士に先導されて、馬車が出てきたよ」
「──それ」
ようやくそれらしき一行が現れるに至り、私は身を乗り出して、よく見て、と続ける。
「中に乗ってるのは?」
「たぶん──侍女が二人」
私の問いに、ロレッタは集中するように目を閉じる。
「一人は頭巾を目深にかぶってて、よくわからないけど──もう一人は、黒髪の、陰鬱な感じの侍女だよ」
「たぶん──私が見た侍女だと思う」
ロレッタの評に、私は頷きながら返す。
イヴァ妃につき従う黒髪の侍女──彼女は、確かに陰鬱と評するにふさわしい女であった。そして、あの侍女はこうも言っていたはずである。
「その侍女は、今晩には乙女を献上するって言ってたから、その乙女を連れ出すために、どこかに出向いてるんだと思う」
件の侍女に、近衛騎士の護衛とくれば、決まりであろう。
「その侍女を追えば、ティエルにたどりつくってことか!」
言って、エンリはさらに身を乗り出して、ロレッタの肩をつかんで揺らす。
「おいおい、落ち着きなよ。姐さんの集中が途切れちまうぜ」
絶影が割って入って、エンリをなだめるのであるが──時すでに遅く、幾千の糸を介した視界をまとめて揺らされて、酔ってしまったのであろう、ロレッタは気持ちわるそうにえずいている。
「おっと──すまねえ。つい力が入っちまってよ」
エンリは慌ててロレッタの肩から手を放す。
「糸、外れてない?」
私はロレッタに、フィーリから取り出した清水を渡しながら尋ねる。
「──それは大丈夫」
ロレッタは水で喉を潤しながら、そう返す。不意に集中力を乱されても、魔法を構築し続けることができるのであるからして、さすがは──調子に乗るので、あまり褒めたくはないのであるが──稀代の魔法使いといえよう。
私たちは黙して、ロレッタの探知を見守る。やがて、馬車はどこかに到着したようで──目を閉じたロレッタの眉が、ぴくりと跳ねる。
「これは──離宮、かな?」
ロレッタは首を傾げながら、そうつぶやくのであるが。
「あ──入れない」
次の瞬間──糸が弾かれてしまったようで、のけぞりながら目を開く。
「離宮にも、王城と同じ結界があるみたい」
ロレッタは悔しそうにつぶやくのであるが──それは悔しがる必要などない十分な収穫である。
「じゃあ──間違いないね」
私は確信をもって告げる。
離宮の中を探れぬのは残念ではあるが、結界が張ってあるというその事実こそが、さらわれたものたちがその離宮に捕らわれているという証左となろう。
「ティエルがいるのは──離宮か!」
エンリはテーブルを叩きながら立ちあがって──客の視線が、いっせいにこちらに向く。
「だから、声が大きいって!」
私は先と同じく、唇に指をあてて、静かに、とエンリをたしなめるのであるが──黒狼は聞く耳を持たない。
「離宮にいるんならよ、今から行こうぜ!」
エンリは、今にも駆け出しそうな勢いで、皆にそう告げる。
「のんびりしてたら、ティエルが離宮から連れ出されて、ひどい目にあっちまうかもしれねえんだろ!」
直情的なエンリの主張は、しかし今回ばかりは正しかろう、と思う。ティエルの身を案じるのであれば、すぐに動いた方がよいのは事実である。
私たちは、互いに顔を見あわせて、頷きあって──おもむろに席を立つ。
「勘定を頼む」
黒鉄が声をあげて、皆がそれぞれの荷物を手に取って、私が財布から代金を取り出そうとした──そのときであった。
「しかし──イヴァ妃にはお気をつけください」
不意に、フィーリが声をあげて──皆が私の胸もとを見やる。
「どうしたの?」
「確証はないのですが──」
尋ねる私に、フィーリは歯切れわるく続ける。
「もしかすると、イヴァ妃は──傾国の魔女やもしれません」




