4
「引け!」
小隊長が命じて──横並びとなった数人が弓を引く。
「狙え!」
狙うは遠間の的──といっても、私にとっては、目をつぶっていても射貫ける程度の距離である。
「放てえ!」
号令を合図に、私は的を射る。
旅神の弓ではない、支給された弓での一射は、あやまたず的の真ん中を射抜いて──私の狙った的には、都合五本の矢が、すべてその真ん中に突き刺さったこととなる。何なら、それぞれの矢をわずかにずらして、五本で五角形になるように的を射抜いているのであるが──さすがに、そんなお遊びにまで気づいたものはいない。
「おい、坊主──お前は見込みがあるぞ」
新兵の訓練を務める小隊長に肩を叩かれて、私はうれしいやら悲しいやら。
「ありがとうございます!」
弓の腕を認められるのはうれしくとも、女の身でありながら、男として新兵訓練に潜り込むことができたという事実には、複雑なものを感じる。今も、あやしまれる気配すらないのである。
訓練を終えて、疲れはてた新兵たちが兵舎に戻るのを見送り──私は内郭に向けて歩き出す。新兵になりすまし、結界を越えて王城に潜入することはできたものの、それはあくまでも兵舎のある外郭までのこと。見たところ、外郭には連れ去られた村人を収容するような施設はなく、あるとすれば内郭──それも居館のどこかであろう、と当たりをつけて、まずは遠間から様子を探ろうという算段である。
「おい、お前!」
不意に──乱暴に呼びとめられて、私は足を止める。
「──何でしょう?」
振り返ると、そこには三人の新兵が立っている。先より私の後ろについてきていることには気づいていたのであるが、まさか私に用があるとは思ってもおらず──いったい何事であろう、と首を傾げる。
「確か──ロビン、だったか?」
三人のうちの一人──先の訓練で見かけた弓兵の青年が、私の偽名を口にする。
「女みてえな顔しやがってよ」
青年は、私の顔をじろじろと見ながら、そう吐き捨てる。
青年の、その怒りに歪んだ顔を見て、思い出す。この青年──確か、先の訓練で盛大に的を外していた男である。周囲からの失笑に、今と同じような怒りの顔を返していたから、まず間違いはあるまい──ということは、これは妬みからくる暴言ということになろうか。
「小隊長に褒められたからって、いい気になるんじゃねえぞ」
言って、青年は唾して──去り際に私の尻をなでる。
「本当に女みてえだな」
そう捨て台詞を吐いて──残りの二人を引き連れて、私に背を向ける。
その行為が──そして、その言葉が、私の逆鱗に触れる。私の尻をなでるとは──しかも、なでた上で女と気づかぬとは──その罪、万死に値する。
私は大地を踏み込む。それは、疾風のごとき勢いではない──が、私はその衝撃を、関節を連動させることで増幅して、身体をねじりながら手のひらにまで伝えて──青年の背にそっと触れるような掌打を放つ。
青年は吹き飛んで、兵舎の壁に叩きつけられて──そのまま、ずるりと崩れ落ちる。あたりどころが悪かったものか、鼻血を垂らして伸びており、すぐには起きあがれそうもない。
取り巻きの二人は、私が青年を背中から蹴り飛ばしたとでも思ったものか、ひい、と悲鳴をあげて、私の蹴りの間合いから逃れようと後ずさる。
「ちょっと!」
強めに呼びとめると、二人は慌てて足を止めて、直立不動の姿勢をとる。
「それ、ちゃんと持って帰ってよ」
倒れたまま動かぬ青年を顎で指して告げる──と、二人は何度も頷きながら、青年を抱えて、今度こそ脱兎のごとく逃げ出す。
私は兵舎を抜けて、内郭の外壁にたどりつく。あたりに誰もいないことを確認して、するりと壁をのぼり、遠間から居館の様子をのぞく。
戦時の王城ともなれば、さすがに警備は厳しいようで、居館の周囲には、絶え間なく近衛の騎士が巡回している。目を凝らすと、その騎士の肩のあたりには、先に村で見たものと同じ、赤い房飾りが見て取れて──やはり、エンリの見立てのとおり、村を襲ったのは近衛騎士で間違いないようである。
村のものを連れ去るというのは、相当に目立つ行為である。近隣のものにみつかれば、騒ぎたてるものもあろう。となれば、闇に乗じるなり何なり、目立たぬ手法をとりそうなものであるのだが──それにもかかわらず、白昼堂々、わざわざ目立つ近衛騎士が出張って、村のものを連れ去ったのである。他の騎士でもよいし、何なら騎士でなくならずものを雇ってやらせてもよいであろうに、近衛騎士がやらざるをえない理由があったのだとすれば──それは、誰か貴人の命により近衛が動いた──秘密を厳守するであろう近衛騎士に命じざるをえなかった、と考えるのが妥当であろうか。
「本命は──居館、かな」
近衛騎士が動いたとなると、村人を連れ込むのは、おそらく居館となろう。
私は、ひとまずの収穫に満足して──外壁から飛び降りて、音もなく着地する。この程度の高さであれば、風を呼ぶ必要もない。誰にも見とがめられずに偵察を終えたことに満足して、兵舎に戻ろうとした──そのときである
「あれ──お嬢ちゃん?」
不意に声をかけられて、私の身体は硬直する。
「妙なところで会うもんだねえ」
言って、外壁近くの木陰から現れたのは、いつぞやの踊り子──グリンデルである。こんなところで顔をあわせようとは──いや、それよりも、その木陰に気配などあったであろうか。まさか、私が気配を読み誤ったというのであろうか。
「こんなところで何してるの?」
「兵士に志願したんだよ」
グリンデルの問いに、私はうろたえがならも、努めて低い声で返す。
私のことを、お嬢ちゃん、と呼ぶグリンデルであるが、別に身体の起伏をまじまじと見られたというわけではなし──女じゃなくて男だったんだ、と思い直してもらえないともかぎらない。と信じたい。
「あなたこそ、こんなところで何をしてるの?」
「おいらは、お妃様に招待されてねえ。こう見えても、このあたりじゃ結構名の知れた踊り子なんだよ」
私は話をそらすように問い返して、グリンデルは誇らしげに笑う。
よし──何とかごまかすことができた、と安堵したのもつかの間。
「それにしても──」
と、グリンデルは、わざわざそらした話を、強引に戻す。
「──不思議だねえ、お嬢ちゃん。女なのに、兵士になったの?」
私の顔をのぞき込みながら、グリンデルは、にたりと笑う。
これは──確実にあやしまれている。どうしたものか──透しでぶっとばして、逃げ出すべきか──と、物騒なことを思案していると。
「何か事情があるんだろうから、黙っといてあげるよ」
言いながら、グリンデルはその小さな手を差し出す。
「ちゃっかりしてるなあ」
私は舌打ちしながら、グリンデルの手に銀貨を載せる──が、小人は笑顔で手を差し出したまま、微動だにしない。本当にちゃっかりしてる、と先よりも大きく舌打ちをして、私は銀貨を数枚ほど追加する──と、グリンデルはようやく満足したようで、愛らしく微笑みながら、それを懐に入れる。
「それで、あなたはいつ踊るの?」
思わぬ出費を強いられたからには、多少なりとも情報を得ておかなければなるまい、と私はグリンデルに尋ねるのであるが──彼の方は銀貨に夢中のようで、服の上からその感触を確かめるように叩きながら、どうでもよさそうに答える。
「今晩さ。盛大な晩餐会が開かれるらしいよう」




