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旅神のご加護がありますように!  作者: マリオン
第32話 傾国

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2

「あらためて、助けてくれた礼を言う」

 エンリは、教会の床に腰をおろして、再び礼を述べる。


 先の戦いの後──私たちは、騎士と馬の死体をフィーリに放り込んで、冥神の教会に身をひそめている。戦いの痕跡はできるかぎり消しているから、もしも新手の騎士が村に現れたとしても、すぐにあやしまれるということはないはずであるが──ともあれ、エンリから事情を聞いてみないことには、確かなことは言えぬ。


「まずは、心ばかりの礼を。遠慮なく飲んでくれい」

 言って、エンリは薄汚れた背嚢から、酒瓶を取り出す。それは、見るからに安酒である──が、彼の精一杯のふるまい酒なのであるからして、金額の多寡は問題にならない。


「──うまい」

 なけなしの酒をふるまうエンリの心意気を感じるからであろう、黒鉄は酒杯をぐいと飲みほして、そうつぶやく。


「礼はありがたいんだけどさ──娘がさらわれたっていうのに、こんなところでのんびりしててもいいの?」

 一方で、ロレッタは安酒が口にあわなかったのであろう、顔をしかめて、酒杯を床に置きながら尋ねる。


「そのあたりの事情が、ちょいとばかり込み入っててなあ」

 エンリは、困ったように狼頭をかきながら。

「俺は、オレントスの戦奴として、先の戦に駆り出されたんだが──」

 と、その事情とやらを語り出す。



 エンリの語るところによると、彼はオレントスの部隊に組み込まれて、イオスティとの前線に送られたのだという。


 豪雨の中、まさか攻めてはくるまいと油断するイオスティ軍の不意を突いて、オレントス軍は強襲を仕掛ける。エンリは先陣を切り、先に見せた剛勇をもって、敵陣を食い破り、ついにはイオスティ軍の将の首を取る。


「そこまではよかったんだが──豪雨で氾濫した川に落ちちまってなあ」


 川に流されたエンリは、岸に向かって泳いだという。もともと泳ぎは苦手でなく、獣人の力をもってすれば、何とか岸にたどりつけるであろうと思っていたのであるが──自然の猛威の前には、さしもの獣人も抗えず、前線から遠いこのあたりまで流されたしまったというわけである。


「さすがに死んだと思ったねえ」


 ところが──エンリは死ななかった。豪雨が止んで、川淵の岩に挟まれるようにたゆたっていたエンリに、誰かがこう呼びかけたのである。


「──お父さん?」

「誰が、お父さん、だ」

 その呼びかけに、エンリは力を振りしぼり、途切れながら返す。見れば、それはまだ幼い少女である。


「お父さん──じゃないの?」

「違えよ。見りゃあ、わかる、だろう」

 少女の悲しげな言葉に、エンリは吐き捨てるように答える。

「私──()()()()もの」

 少女のその言葉に、エンリは彼女が盲目であることに気づく。


 その少女はティエルと名乗り、村のものの協力も得て、エンリを家に連れ帰った。

「何で俺を助ける?」

「だって、お父さんだって思ったから」

 とりとめのないティエルの話をつなぎあわせると、どうもこういうことであるらしい。


 ティエルの父は、ある豪雨の折に森に入り──そして、帰ってこなかった。以来、彼女は父親を探しに森に出かけるのである。来る日も、来る日も。

 村のものは、目の見えぬティエルの身を案じて、もう森には出かけぬよう諭すのであるが、彼女がそれを聞き入れることはなかった。


 ある日──ティエルの父がいなくなった日を思い起こさせるほどの豪雨が降った。その翌日、彼女は何かに導かれるように森に向かい、途中の川淵でうめき声を聞く。その独特のくぐもった声は、父親のものに違いない──そう確信して、ティエルはおそるおそる川淵に近寄ったというわけである。


「お父さんだって、そう思ったんだけどなあ」

 ティエルは、身動きのとれぬエンリに食事をとらせるため、匙を突き出しながら、残念そうにつぶやく。エンリはその匙を、顔だけ動かして何とか口にしようとするのであるが──少女は、まるで見えているかのように匙を引いて、くすくす、と笑う。


「お前、本当に(めし)いてんのか?」

「本当だよう」

 言って、ティエルは今度こそ匙をちゃんと突き出して、いたずらっぽく笑う。


「ねえ──お父さんって呼んでもいい?」

 食事を終えて──おもむろにティエルは問いかける。

「俺はお前の親父じゃねえ──」

 エンリは、寝返りをうって、顔を背けながら。

「──が、お前は命の恩人だからな。好きにしろ」

 ふん、と鼻息も荒く続ける。


「お父さん!」

 許しを得るや否や、ティエルは勢いよくベッドに飛び込んで。

「痛え!」

 あたりどころがわるかったものか、エンリは悲鳴をあげる。


「お父さん、もじゃもじゃ、気持ちいい」

 ティエルはエンリの首もとに抱きついて、その毛皮に顔を埋める。

「獣人は、本当は怖い顔してんだぞ」

 エンリは、ティエルを怖がらせるように、うなり声をあげるのであるが──少女はどこ吹く風、さらに強く黒狼を抱きしめる。

「そんなことないよ。だって、おひさまの匂いがするもん」

 言って、ティエルはエンリの毛皮に顔を押しあてて、深く息をする。


 父を失くした少女にとって──それは、ほんのひとときの、陽だまりのような時間であったのかもしれない。



「もしかして、さらわれたのは、その女の子なの?」

 話が途切れたところで、私は尋ねる。

「おうよ──だからよ、実のところを言えば、本当の娘ってわけじゃねえ」

 娘ってわけじゃねえんだが、とエンリは繰り返して。

「でもよう、あれだけ、お父さん、お父さんって慕われちまうとなあ」

 言い訳するように言って、その狼頭をかきむしる。少女の身を案じるその様は、どこからどう見ても父親のそれである。


「それで──そのティエルはどうなったんじゃ?」

 見れば、いつのまにやら黒鉄も酒杯を置いて、話に聞き入っており、身を乗り出すようにして、続きをうながす。


「獣人ってのは、回復が早いもんでなあ」


 エンリは数日のうちに歩けるようになり、まだ安静にしていなければならないというティエルの制止を振り切って、村を出たのだという。


 エンリは、はからずも自由の身となった。当然、これ幸い、と南方の故郷に帰ろうと考えたのであるが──しかし、黒狼族の男としては、命を助けてもらった礼をしないわけにはいかない。


「ちょいと小銭を稼いで、礼でもしようと村に戻ったらよ──」

 村には誰もいなかったというわけである。


 エンリは村中の家の扉を叩き、無遠慮にその中をのぞいた。家々には争った形跡があり、村のものは何ものかに無理やり連れ去られたのであると気づいて──エンリは慌てて駆け出す。


 よく見れば、村にはあちらこちらに馬の蹄の跡があり、街道に続く荷馬車の轍もある。すぐに気づけなかった自らの不明を罵倒しながら、エンリは賊の後を追うのであるが──時すでに遅く、賊の本隊は村から逃げ去っており、殿(しんがり)の一隊だけが村の広場に残っていたというわけである。


「あいつら、問答無用でよう」


 エンリは、その一隊に誰何の声をあげる。しかし、その一隊──騎士の返答は抜剣であり、やむなく剣を交えるに至った──というのが、事の顛末のようである。


「村に残ってたさっきの奴ら──ありゃあ、近衛の連中だろうよ」

 そう言い切るエンリに、私は先の騎士の出で立ちを思い起こす。言われてみると、鎧の縁には装飾があり、肩には赤い房飾りがあったような気もするから、なるほど騎士にしては華美にすぎる。近衛の騎士と言われれば、そうなのやもしれぬ、と思う。


「近衛にさらわれたんだとすると、村のもんは王城にいるに違えねえ」

 エンリはそう断言するのであるが──そもそも、近衛騎士が村のものをさらう理由も判然としないのであるからして、そう結論づけるのは短絡にすぎる気がしないでもない。


「だからよ──俺は軍に戻る」

 しかし、思い立ったエンリの決断は早い。

「別に脱走したわけじゃねえからな。戻れば受け入れてもらえるだろうよ」

 軍に戻り、近衛騎士の動向を探ろうというのであろう。


「このまま逃げないの?」

 ロレッタはもっともな疑問を口にする。


 そう──捕らわれて、奴隷となり、戦奴として戦に駆り出されていたというのであれば、それは壮絶な生であったはずである。このまま逃げ出したとて、誰一人として責めるものなどいないであろうに。


「命の恩人を捨て置いて逃げるなんて、できるわけねえだろうよ」

 それにもかかわらず、エンリは言い切って、豪放に笑う。


 命の恩人のためとはいえ、自らの自由を天秤にかけて、それでもなお少女のために奴隷の身に戻ろうとするとは──私は、その黒狼の男気に、好感を覚える。

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[一言] マリオンは義侠に弱い笑
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