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「じゃあ、あとはよろしくね」
あくびをもらしながらロレッタが言って、木の根を枕にして横になる。
結局のところ、待てども猟犬は現れず、私たちは休息をとることとなる。とはいえ、寝ている間に襲われてはひとたまりもないであろうから、奴に有効な透しを放つことのできる私か絶影の少なくともどちらかが見張りにつくこととして──まずは、私と黒鉄が寝ずの番をすることになったというわけである。
「おやすみい」
そうつぶやいたかと思うと、ロレッタはすでに寝息をたてており──こればかりは、類稀なる才であろう、と認めざるをえない。
「おやすみ」
私は苦笑しながら返して、薪を火にくべる。
夜は深く、そして長い。
黒鉄は、フィーリから酒を取り出して、ちびり、とやり始める。黒鉄の場合、酒を飲んでいたからとて、不覚はない。
「もしも猟犬が現れたら、儂を囮にせい」
黒鉄は、もっと酒精の強いものを、とフィーリに要求しながら、何でもないことのように言う。
「いかな冥府の猟犬といえども、儂を一噛みで殺すことはできまい」
そう続けて、黒鉄は不敵に笑う。
それは、神ごときものが聞いたならば、ただちに天罰を下すがごとき不遜な物言いなのであるが、黒鉄にかぎっては、実際に神代の化物どもと渡りあってきた実績があるわけで、その言い分にも一理ある──ような気がしないでもない。
それから、しばし──私と黒鉄は、他愛のない話をする。東方で食べた料理のうち、何が一番おいしかったか、とか──そういう他愛のない話を。
考えてみると、二人だけで話すのは久しぶりで──黒鉄を独り占めしているような、どこかこそばゆい心持ちになる。
「──」
と、ロレッタが意味をなさぬ寝言をつぶやいて、何だそれは、と二人で吹き出した──そのときであった。
不意に、月が雲に隠れて──それほど強い風が吹いているわけでもないというのに、不自然に木々が鳴る。
「──上だ!」
「マリオン! 下がれい!」
私が猟犬の強襲に気づくや否や──黒鉄が私を突き飛ばす。私は後方に転がりながら受け身をとり、敵の襲撃を告げる。
「ロレッタ! 絶影! 起きて!」
叫ぶよりも先に絶影は起きていて、すぐに外套を払いのけて立ちあがる。一方で、ロレッタはいまだ眠りこけているのであるが──起きてあたふたされても邪魔になるだけであろうから、今はよしとする。
「黒鉄!」
叫んで、私は立ちあがる。見れば、私をかばった黒鉄は、木々を渡り頭上より襲いきた猟犬に、その腕を噛まれている。
「ぬうん!」
吠えて、黒鉄は自らの上腕に噛みついた猟犬を、その丸太のような両腕で逆にとらえる。
「その身体が小麦を揺らし、絶影の透しに吹き飛ぶということは──まったく触れぬものというわけでもなかろうて」
言いながら、黒鉄はその剛力で猟犬を締めあげる。しかし──普通の犬であれば、それだけで身が爆ぜるほどの剛力をもってしても、猟犬は何の痛痒もなく、黒鉄に深々と牙を突きたてる。
「黒鉄! 犬を放して!」
叫んで、私は黒鉄に駆け寄る。
素手ならば触れられるとはいっても、それは単に触れられるというだけのことであり、猟犬を傷つけるには至らない。いくら剛力で締めつけてみても、黒鉄の傷が深まるばかり。
「儂の大切な仲間を噛ませるわけにはいかんでのう」
しかし、黒鉄は猟犬を放さない。放す気など微塵もない。他のものが傷つくくらいならば、自らに牙を向けさせようというのであろうが──そんなの、私には我慢ができない。
私は、背の矢筒から旅神の矢を抜いて、猟犬に振りおろす。
「その矢でも、赤剣でも、無理です!」
フィーリが無慈悲に告げる。その指摘のとおり、矢尻は猟犬をすり抜けて、奴を傷つけることはできない。
「マリオン──あれならば!」
フィーリのその声に、私は一瞬とまどって──その意味するところに気づいて、腰の短剣を抜く。
「黒鉄を──放せ!」
叫んで、黒鉄の腕を噛みちぎらんとする猟犬に、短剣を振るう。それは竜鱗の短剣ではない。テオリテに墜ちた星の欠片より鍛えた──異界の短剣である。
ずぶり──と、獲物の肉をえぐる感触が、手に伝わる。現世の武器では傷つかぬという幽世の存在も、さすがに異界のものまでをふせぐことはできなかったようで──私は猟犬の身を深々とえぐる。
猟犬は初めて声をあげる。そして、誰かに何かを知らせるように遠吠えして──やがて、塵と化して消える。
まるで、最初から何も存在しなかったかのように、森には静寂が戻り──私は、ほう、と息をついて、その場にへたり込む。
「魔犬」完/次話「傾国」




