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「やあ、嬢ちゃんたち、また会ったね!」
国境を越えて、オレントスの南端の街──カイニスの酒場に入った私たちを出迎えたのは、イオステラで見かけた小人の踊り子グリンデルであった。彼は、どうやら相棒の楽器の準備が整うのを待っているようで、その愛らしい笑顔で客に愛嬌を振りまいている。
「後で踊るから、またご贔屓に!」
グリンデルは、窓際の席に腰をおろす私たちに呼びかけて──そのまま、他の客にも同じように声をかけながら、酒場をめぐる。
「どうやら、あやつらも同じ道をたどっておるようじゃのう」
酒場をぐるりとまわって、楽士のもとに戻ったグルンデルを眺めながら、黒鉄がつぶやく。
私たちは、イオスティからオレントスを抜けて、その先の火吹山を目指している。私たちの行く道は、主要な街道ではないのであるが、拝死教徒の巡礼の道でもあるらしく、人の往来は少なくない。
グリンデルたちもカイニスにいるということは、黒鉄の言うとおり、同じ道をたどっているのであろう。戦に疲弊しているようなところでこそ、踊りのような娯楽が求められるのであろうから、もしかすると戦地を巡業しているのやもしれぬ、と思う。
「ねえ──茹で団子、頼んでもいい?」
と、ロレッタが、待ちきれぬというように、無邪気な声をあげる。
ここのところ、茹で団子の食べくらべに凝っている彼女としては、行く先々での注文に、私たちが嫌気を起こしているのではなかろうか、と慮っての確認であろう、と思うのであるが。
「どうぞどうぞ」
私は気軽に返す。
私も、茹で団子自体、嫌いなわけでなし、もともと否やはない。何より、茹で団子は、街々──どころか、店々でも具材が異なり、味までもが変わるのであるからして、食べくらべしたくなるというロレッタの気持ちも、わからないでもないのである。それに──たとえ余ったとしても、どうせ黒鉄がたいらげるであろう。
「やった!」
私の返事に気をよくして、ロレッタが給仕を呼びとめて、酒と料理を注文しようとした──そのときであった。
「──おい! 犬だ!」
「店に野犬がいるぞ!」
不意に、酒場の奥から声があがって──私は、まさか、と立ちあがる。そのままテーブルの上に飛びあがり、声のあがった方を見やる。そこには、酒場の灯りにぼんやりと浮かびあがる──黒い影の姿がある。
「絶影!」
「──おう」
私は絶影に呼びかけて、テーブルから飛ぶ。あの黒い影──あれがただの野犬であろうはずがない。
「黒鉄とロレッタはそこで待ってて!」
言って、私は店の奥に駆ける。黒鉄の斧をこんなところで振りまわすわけにはいかぬし、ロレッタでは黒い影の動きにはついていけぬであろうから──ここは私と絶影の出番である。
先に声をあげた客が、別の客を押しのけて逃げようとする、その頭上を──私は壁を蹴って駆け抜ける。
見れば、酔客のうちには血の気の多い連中もいるようで、数人が剣を抜いて、黒い影に相対している。
「そいつから離れて!」
私は彼らに向けて警告するのであるが──時すでに遅く、彼らの振りおろした剣は、黒い影をするりとすり抜けて、酒場の床に突き刺さる。
「──魔犬だ」
その様を目の当たりにして、酔客のうちの一人が、ぽつり、とつぶやく。
「魔犬だあ! 冥府の猟犬だあ!」
そして、続く絶叫により、酒場は大混乱におちいる。
「みんな、外に出て!」
叫びながら、私は今まさに黒い影に襲われるところであった酔客を蹴り飛ばし──死ぬよりましであろう──奴の鼻先に躍り出る。
黒い影は、そのままの勢いで私に飛びかかり──私は酒場の床を踏み込む。それは、床を踏み抜くほどの勢いではない──が、私はその衝撃を、関節を連動させることで増幅して、身体をねじりながら手のひらにまで伝えて──黒い影にそっと触れるような掌打を放つ。
先に小麦畑で遭遇した折、黒い影は小麦を揺らした──つまり、実体がないというわけではない。それに、絶影の透しに吹き飛びもしたのであるから、酔客の剣はともかくも、透しは通用するはずである。
「──透った」
私の、関節を用いた透しは、幸運なことに──今のところ二回に一回の成功率である──黒い影に透る。奴は吹き飛んで、開け放たれた窓から街路に落ちる。
「どこに行きやがった!」
酔客の一人が、窓から身を乗り出して、黒い影を探すのであるが、街路に奴の姿はない。いや、正確に言えば、月明りだけの街路は暗く、黒い影の存在を確かめることさえできないのであるが──先の小麦畑の一件を思えば、すでに姿を消しているであろう、と思う。
あの黒い影──私たちの行く先々に現れるということは、私たちをこそ狙っているのではなかろうか。そう思い至った私は、黒い影の襲撃でごった返す人の波をかきわけて、皆と合流して、その考えを話す。
「狙われる覚えはないんじゃが──まあ、可能性があるなら仕方なかろうのう」
黒鉄の言に、皆で頷いて──私たちは帰り支度を始める。
「あれ、踊り、見ていかないの?」
言って、唇を尖らせるグリンデルに、私は愛想笑いを返す。あれほどの騒ぎがあったというのに、まだ踊る気があるとは、何とも商魂たくましい。
「またの機会に、ご贔屓に!」
グリンデルに見送られて──私たちは急ぎ勘定を済ませて、慌ただしく酒場を後にする。




