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「相席、よろしいかな?」
と、踊りの興奮冷めやらぬ中、老爺が私たちに声をかける。見れば、他にも席の空きはあるのだが──ま、どうせ座るなら、美貌のハーフエルフの隣がよいという気持ちもわからないではない。
「どうぞどうぞ」
ロレッタが椅子をずらして──老爺は礼を述べながら、腰に帯びていた剣を外し、空いている椅子に腰をおろす。
老爺は凛とした居住まいで、年齢の割には体格もよい。帯剣していることとあわせて考えると、いまだ衰えぬ老騎士といった風情である。
「──ありがとうございました!」
どうやら客からの心づけを集め終えたようで、踊り子グリンデルが礼を述べる。客はそれに拍手で応えて──グリンデルの相棒の楽士が、その拍手を合図に演奏を始める。それは、先とは打って変わって、物悲しい曲で──しばしの間、しっとりと酒を楽しめということであろう、と思う。
客は皆──相席の老騎士も──給仕に酒を注文して、酒場はあっという間に楽士の音楽をかき消すような喧噪に包まれる。
私たちのテーブルにも、ようやく酒と料理が給仕されて──その食欲をそそる香りに、私たちは空腹を思い出す。
「茹で団子もらい!」
ロレッタが一番に突き匙を伸ばして、山と盛られた茹で団子の一つを口に入れる。
茹で団子は、小麦粉の生地に、肉や野菜、香辛料を包んで茹でたもので、東方北部の伝統料理であるという。伝統というからには、もちろんどこの酒場、食堂でも供される料理であるのだが、どの店も自身のこだわりがあるようで、訪れた街々で注文するたびに異なる具材が包んであるという、何とも楽しい料理である。
「ほう、さすがに王都のものは、具材が豊富でうまいのう」
次いで、黒鉄も茹で団子を口にして──その味が気に入ったものか、途中からは突き匙でなく、素手で口に放り始める。
「こっちの煮込み料理もおいしいよ」
私が先に手をつけたのは、近隣で獲れたであろう獣肉と、その腸詰めを煮込んだと思しき料理である。後味にまろやかな酸味があるところからするに、塩漬けした野菜もあわせて、長時間煮込んでいるのであろう。具材がとろけるほどに煮込まれた料理は、初めて味わう滋味にあふれている。
「これは、狩人の煮込みと言ってな、以前は狩猟の締めくくりに供されておったものよ」
煮込みに舌鼓を打ち、碗におかわりを盛る私に、相席の老騎士が笑いながら教えてくれる。何と。狩人の煮込みとは、私が食すにふさわしい料理ではないか。
「今では、こうして酒場でも供されるような、家庭の味となっておる」
いつのまにやら俺にとってもな、と老騎士は自嘲するような薄い笑みを浮かべて──酒杯を、ぐい、と飲みほして、給仕におかわりを注文する。
「お爺さんは、このあたりの出身じゃないの?」
「そう──少し特殊な出自でな」
老騎士は給仕から酒を受け取りながら、私の問いに返す。
「手紙を届けてくれたのは、おぬしらであろう」
不意に、ぽつり、と老騎士が告げて──私たちは食事の手を止める。
手紙を届ける──確かに、私はラテルの手紙をその母に届けたのであるが、老騎士の言う手紙とは、おそらくそのことではなく──イオスティとシンケルスの同盟をなした密書のことをこそ指しているのであろう、と思う。
「俺はこの国の王、イオスティと申すもの」
老騎士の──いや、その言葉が真実であるならば、イオスティ王の名乗りに、私たちは言葉を失い──黒鉄は茹で団子を取り落とす。
「訳あって、王としておぬしらに礼を述べるのは難しくてな──酒場の酔いどれ爺として、酌をしに参ったというわけよ」
イオスティは、からからと笑いながら、そう続ける。
私たちの届けた密書によって、イオスティとシンケルスの同盟がなったことからすると、確かに礼を述べられてもおかしくはないのであるが、まさか王その人が目の前に現れるとは思ってもおらず、私たちはしばしあっけにとられる。
最初に我に返ったのは、取り落とした茹で団子を拾いあげて、あらためて口に放り込んだ黒鉄であった。
「イオスティ王というと、傀儡となったレクサールを殺めたという──」
黒鉄は茹で団子を咀嚼しながら、エリスから聞いた覇王伝説の真実を思い起こしたものか、思わずというようにつぶやいて──イオスティは悲しそうに目を伏せる。
「正確には──彼女はもうすでに死んでおって、俺が殺めたというわけではなかろうがの」
イオスティはしぼり出すようにそう返すのであるが、その言葉とは裏腹に、顔には悔恨が滲み出ており──彼自身、自らが殺したようなものと思っているのやもしれぬ、と思う。
イオスティは、その悔恨を酒ごと流し込もうとするかのように、勢いよく酒杯を飲みほして──おもむろに口を開く。
「それにしても──それを知るものはかつての同志のみのはず」
言って、酒杯をテーブルに置く。
「──いかにして知った?」
その問いと同時に、空気が重くなる。イオスティは微笑をたたえたまま、剣に手をかけているわけでもないというのに、もれ出す武威が、返答によっては斬る、と告げている。
私たちとて、そう簡単に斬られるつもりはないのであるが、ここは真摯に答えた方がよかろう、と判断して──皆を代表して、私が口を開く。
「私たち、冥神に会いにいこうとしているんです」
私はイオスティにこれまでの旅の経緯を語る。銀髪の乙女ルジェンのこと、カルトゥルスでエリスと出会い覇王伝説の真実を知ったこと、ルジェンの身の安全のために冥神の説得を試みようとしていること──イオスティは時折驚きの声を交えながらも、口を挟むことなく、私の話に聞き入る。
「へえ、そういう理由で火吹山を目指してたのか」
話を終えて、そう口を開いたのは──イオスティではなく、絶影であった。
「あれ、言ってなかったっけ?」
「火吹山を目指してるってことしか聞いてねえよ」
絶影は、水臭い、と不平をもらす。
「なるほど──エリスと会うて、真実を知ったというわけか」
イオスティは納得するように頷いて。
「しかし──これは知るまい」
エリスも知らぬことよ、と続ける。
「実は、俺も──いや、俺たちも、冥神のもとを訪ねようとしたことはあるのだ」
イオスティの語るところによると、彼がレクサールを斬ったのは、彼女を冥神の支配から解放し、永遠の眠りにつかせるためであったという。
しかし、千々にわかたれたレクサールの身体は、一所に集まると、冥神との盟約を果たすためによみがえらん、と蠢くのである。そんなことでは、彼女に安らぎなど、訪れようはずもない。
イオスティら、生き残りの腹心たちは、冥神のもとを訪ねて、レクサールが死したこと、ゆえに契約は無効であることを伝えようとしたのであるが──。
「情けないことに、冥神のもとにたどりつくことすらできなんだ」
イオスティは自嘲しながら続ける。
何でも、冥神のもとを訪ねるには、神話に謳われる冥府の試練を乗り越えねばならぬのだという。古代人たる腹心たちは、その魔法の力と古代の遺物を用いて、いくつかの試練を突破したものの、すべてを踏破することあたわず、苦渋を飲んで引き返すこととなったのである。
「冥神の説得がかなわなかったがゆえに──俺は彼女の遺志を継いで、東方を古代人の故郷とするべく、戦いを続けておるというわけよ。多くの血が流れることは、彼女の本意ではなかろうが──もしかすると、いつかは冥神の望むだけの死者の数に足りて、彼女が解放されるやもしれぬでな」
イオスティは、自らの力なさを嘆いたものか、暗く笑う。
「おぬしらの旅──困難をともなうであろうが、俺はその成果に期待しておるよ。万が一にも冥神のもとにたどりつき、その願いが聞き入れられたならば、きっとレクサールも解放されるであろうからな」
言って、イオスティは席を立ち、剣を腰に戻す。そして、テーブルに金貨を置いて──密書の件の褒美ということであろう──おもむろに酒場の扉に向かおうとして。
「そういえば──」
と、振り返る。
「──仲間のうちの一人は、いまだにあきらめておらんでな。彼の地にとどまり、教団の信徒となり、冥神に祈りを捧げ続けておる。そやつのもとを訪ねれば、あるいはぬしらの助けになるやもしれぬ」
そう告げて、イオスティは今度こそ酒場を後にする。
酒場の扉が閉まるのを見届けて、私たちは──まずは料理の追加を注文する。なぜならば、イオスティの話を聞く間に、黒鉄が茹で団子をたいらげてしまっているからである。私はまだ一つも食べていないというのに。
「まさか、王自らが現れるとはのう」
追加で給仕された茹で団子を、先と変わらず手でつまみながら、黒鉄がつぶやく。私と絶影は、それに負けじと突き匙を伸ばして、茹で団子を口に放るのであるが──ロレッタは、ほう、と溜息をつくばかり。
「冥神に話をつけるなんて──本当にできるのかなあ?」
ロレッタは、ぽつり、とこぼす。かつての覇王の腹心たちでさえ乗り越えることのできなかった冥府の試練──その話を聞かされて、いくらか食欲が失せたのであろう、彼女はめずらしく、突き匙の先の茹で団子を口に運ぼうともせず、ぼう、とそれを眺めている。
「──できますよ」
ロレッタの弱気に、フィーリがめずらしく断言する。
「冥神へのお目通りさえかなえば──きっと大丈夫なはずです」




