2 (イラスト:マリオン)
「話し方、もうちょっと何とかなんないかな」
街道に続く山道を下りながら、胸もとのフィーリに話しかける。家に余っていた金具を使って雑に留めた旅具は、古いブローチに見えないこともない。
「旅する主人の補助をするのが私の役目ですから、ある程度の礼節は必要となります」
返す声は、フィーリが意図しないかぎり、私にしか聞こえないらしい。何とも不思議なことではあるが、周囲からは私が独り言をつぶやいているように見えるわけだ。困ったことである。
「じゃあ、せめて『マリオン様』はやめてよ。こそばゆくなっちゃう」
「では、マリオン、と」
フィーリと出会った日、私たちは家の寝床で語り明かした。
私は祖父との思い出を、フィーリは旅神との思い出を、尽きることなく語り合い、空が白む頃──私は旅に誘われた。
「私が案内しますから、きっと素敵な旅になりますよ」
おずおずと言って、フィーリはこちらをうかがうように、私の答えを待つ。
いまだに旅具というものがどういうものなのかはわからないが、旅のための道具なのだろうということは想像にかたくない。そして、旅神の旅具であったというのであれば、優秀な旅具であるというのも確かなのであろう。
旅に出る。
わるくない。どころか、よい考えなのではないか、と思い始める。
そもそも、私をこの村につなぎとめていたのは、祖父だったのだ。祖父亡きいま、物見遊山に王都あたりまで出かけるというのは、見聞を広げるためにも望ましいように思える。二度と戻らないというつもりでもないのだから、と心中で言い訳を重ねる頃には、私の心はすっかり決まっていた。
「旅に出る! いいね!」
こうして、私はまんまと旅具の策略にはまったのであった。
世話になった義理として、村長に旅立ちを告げる。ついでにロビンにも。
村長からは、祖父が亡くなってすぐに村を離れるということで、自暴自棄になったのではないか、と心配されたようだった。
「マリオン、お前は一人じゃない。村の皆が家族なのだ。私だって、お前を娘のように思っている」
できることなら何でも援助する、とまで言って引き留めてくれて、私も村の一員として大切にされているんだな、と誇らしくなる。
帰らないつもりではない、よい機会なので見聞を広めるために王都まで行ってみるつもりだ、と続けると少しは安心したようで、村長は私の旅立ちを認めてくれた。
「無理はせず、つらいことがあったら帰ってくるんだぞ」
言って、実の娘にそうするように、私の頭をなでる。
ちなみに、餞別に、と村長から数枚の銀貨を握らされたのは、私だけの秘密である。
次の日、私は村中総出で送り出された。
大げさなのは嫌だと思っていたのに、村長がいらぬ気を利かせたようだった。
せめて別れ際は控えめにと思ったのだけれども、いつまでもロビンが手を振り続けるものだから、何度も振り向いて手を振り返すはめになった。まったく。
「村長の息子のロビンとやらは、マリオンに懸想しているようでしたのに」
「そうかなあ」
からかうフィーリに、曖昧に返す。
「私、あいつにあんまりいい思い出ないんだけど」
実際、会うたびに男女などと罵られていれば、相手のことをよく思えるはずもない。
「あの年頃ならばそういうものですよ」
素直になれないものなのです、と旅具がわかったようなことを言う。
恋について饒舌に語るフィーリをよそに、私は山道を外れる。
「森の奥に入るのですか?」
「この先に、狩りで遠出したときに立ち寄る渓流があってさ。どうせこのまま進んでも日のあるうちに街には着かないし、少し寄り道しようと思ってね」
「そのような提案は私の仕事ですのに」
「このあたりは、まだ庭のようなもんだからね」
仕事をとられて不満げなフィーリに、なだめるように返す。
鬱蒼たる樹々を避けながら森の奥へ踏み入ると、やがて渓流に下る獣道にぶつかる。村のものは、迷うから獣道は歩くなと言うが、私は気にしない。勝手知ったる道だから迷うこともないし、獣に出くわしたなら狩って夕食にすればよい。
弓に手をかけながら進むと、すぐに川音が響いてくる。坂を下ると、やがて森が開けて、巨岩の転がる谷川に出る。川瀬の音はそうそうと鳴り、流水は透きとおるように碧い。
「もっと暑かったら、泳ぐんだけどねえ」
渓流の水は冷たい。真夏であれば、その冷たさも心地よく、眼前に広がる碧さは幻想的で──翠玉のよう、とは祖父の言──淵に潜って泳ぎたくもなるのだが。
「前に裸で泳いでたら、ロビンにみつかってさ。めちゃくちゃ怒られたよ」
裸を見られたのは私だというのに。納得がいかない。
「おお……」
あわれロビン、とつぶやく旅具は放っておいて。
ブーツを脱いで、浅瀬に入る。素足を洗う流水は、やはり冷たい。
裸足のまま、小さな中州まで行く。そこから、いくつかの岩を飛んで渡って、格別に大きな岩までたどりつく。この巨岩からならば、川面に影は映らない。
弓に矢をつがえる。
『小さくあれ』
祖父から教わった「力ある言葉」を唱えると、弓も矢も、その姿を小さく変じる。祖父によると、それは「古代語」というらしく、旅神の弓に命令を下すことのできる魔法の言語なのだという。
「懐かしい言葉です」
胸もとで、フィーリが反応を示す。
「フィーリは古代語を知ってるの?」
「マリオンが古代語と呼ぶその言語は、以前は公用語と呼ばれており、この大陸で広く使用されていたのです」
「古代語が公用語か。面白いね。私にとっては、いま話してる言語こそが公用語なのに」
言いながら、ふと思いついて尋ねる。
「私とフィーリが会話できてるってことは、この言語も昔からあったってことだよね? 今の公用語は、以前は何て呼ばれてたの?」
「蛮族語です」
言い放つ胸もとの旅具を、おい、と強く指で弾く。
「お気をわるくなさらず」
こいつ反省してないな、と思いつつ、再度弾く。
「当時は、魔法の使えないものたちを一括りに『蛮族』と呼んでいたのです」
不当な暴力はおやめください、とフィーリ。誰が蛮族だ、と私。
ひとしきりやりあったところで我に返る。騒ぐと魚が逃げてしまう。
気を取り直して、魚を獲るために小さくした弓矢を構えて、流水に目を向ける。
視線の先、岩陰の揺らめく川面を透して、私には岩魚が見えている。岩に隠れて動かぬ数匹のうち、もっとも大きな岩魚に狙いをさだめて、針の穴を通すように矢を放つ。放たれた矢は、吸い込まれるように岩魚を貫き、そのまま川底に縫い留める。
もう一匹。次の矢を求めて背に手をやると、空のはず矢筒には新たな矢が現れている。欲すれば尽きることなく矢が補充される旅神の矢筒は、狩人にとっては垂涎の逸品だった。
再び矢をつがえて、岩陰を見やる。異変に気づいて、慌てて別の岩に隠れようとする岩魚が数匹。岩魚の動きに呼吸をあわせて、その泳ぎを目で追う。その逃げる先、まだ見ぬ岩魚の姿を予測して、確信をもって矢を放つ。
「お見事」
フィーリの声と同時に、放たれた矢は再び岩魚を貫いた。
腰の短剣を抜いて、岩魚の腹を割く。腹から内臓を取り出して、身を流水で洗う。岩魚を仕留めた矢を、そのまま串として打ち、そんなに、というくらい塩を振る。
「火は、お任せを」
岩魚の準備が整ったところで、フィーリが言って。どうやったものかはわからないが、私が集めておいた薪に火をつける。深くは考えない。さすが旅具と思って納得する。
岩魚の背が焚火を向くようにして、串とした矢を地面に刺す。火勢の強いところで背を焼く。次いで、遠火で、じっくりと水分がなくなるまで焼く。
そして、かぶりつく。
まず、皮の塩味が、そして、淡白で癖のない身の旨味が、じわり、と口内に広がる。刺激されて、さらに唾液がわく。小さな骨は気にならない。あっという間に、頭と背骨を残して、一匹目を食べ終える。
そういえば、祖父は酒にあうのだと言って、岩魚の頭や背骨をさらに焼いて食べていた。草食の銀口魚に至っては、そのはらわたまでも食べていた。はらわたを食べるよう、しつこく勧める祖父に、苦味が好みではないと返すと、子ども扱いされたっけ。
懐かしく思い出しながら、二匹目に手を伸ばそうとして。
「フィーリも食べる?」
礼儀として、一応尋ねる。
「私は飲食を必要としませんので」
「だよね」
お気遣いありがとうございます、と続けるフィーリに、気兼ねなく二匹目にかぶりつく。
皮の水筒を取り出して、口の中に残る塩分を洗い流すように水を飲む。出発前に村の泉から汲みあげた水を飲みほして、水筒は空になる。もともと、夕食で飲みきってしまうだろうとは思っていた。渓流に立ち寄ったのは、水を補充するためでもある。
空になった水筒に水を詰めようと立ちあがる。
「水なら、持ちあわせがありますよ」
と、フィーリが呼びとめる。
「外套の内側に水筒を入れていただけますか?」
言われるがままに、外套の内側に水筒を入れると、空の水筒が徐々に重くなっていくのがわかる。驚いて取り出すと、水筒には、その飲み口まで、なみなみと水が詰まっている。
「どうなってんの!?」
いぶかしみながらも、おそるおそる水筒に口をあてる。
「しかも、おいしい!」
「そうでしょう」
誇らしげな旅具の態度が気にならないほどに、水は澄んだ味わいだった。
「私は旅具ですので、旅に必要なものは、おおよそ持ちあわせがあります。それらは私の内部に収納されておりまして、先ほどのように私の意思で取り出すことができます」
次いで、フィーリは外套に差し込んだ私の手に果実をのせる。取り出してみると、名も知らぬ果実は採れたてのように瑞々しい。
「内部に保存された食料などは腐ることもありませんし、必要とあらば熟成させることも可能ですので、最適な状態で主に提供することができます」
半信半疑で果実にかぶりつく。と、口の中に、じわり、と果汁が広がる。
「目立たぬ方がよいでしょうから、人目のあるところでは外套から取り出すのがよいかと思います」
甘い。あふれる果汁が口内を満たし、豊かな香りが口から鼻先に抜けていく。
「すごいねえ」
「すごいでしょう」
むさぼるように果実をたいらげて、再び外套の内側に手を入れる。旅具は心得たもので、先ほどと同じ果実を、すっと手にのせる。わかっておるのう、と旅具をなでて、新たな果実にかぶりつく。
「食料って、どのくらいあるの?」
「ざっと百年分くらいはあるでしょうか」
想像を超える回答に、果肉を吹き出す。もったいない。
「誰が百年も旅すんのよ!」
思わず声を荒げる。エルフなどの長命種であれば百年旅することもできるかもしれないが、人間ではそうはいかない。
「私です」
答える旅具は、確かに人間ではない。石だ。百年と言わず旅を続けられそうではある。
「私は、仕える主は変われども、いつまでも旅を続けます。私が保管しているものは、もとはエルディナ様のために用意したものです。しかし、それらは今、マリオンのために役立っています。もしかしたら、次の誰かのためにもなるかもしれません。私が今後も旅を続けるにあたって、仕える主のために用意した食料が、ひとまず百年分くらいは残っている、ということです」
言葉の端々から、百年という歳月の軽さが滲む。旅具にとっては、百年くらいは瞬く間のことなのかもしれない。さすがは神代の遺物。
「水や食料、寝具など、何でも用意しております。入用の際は、お申しつけください」
何でも、とは大きく出る。
「もしかしてさ、私の荷物って、いらなかったんじゃないの?」
少なめにまとめたとはいえ、旅に出るにあたって用意したものはある。それらがすべてフィーリの中に保管されている──しかもよりよいものが!──とすれば、無駄に思えるのも仕方がない。
「それは違います」
しかし、フィーリは声高に異を唱える。
「旅支度に悩むことも、肩にかかる荷物の重みも、すべてが旅の趣なのです。手ぶらで出かけて、何もかも私に頼るのでは、旅の感動も薄れてしまいます。私のことは、旅が少し便利になる程度の補助具と思っていただくのが、ちょうどよいかと思います」
早口でまくしたてる。
「私が旅具と呼ばれる所以、ご理解いただけましたでしょうか」
「大変よくわかりました」
力説する旅具に圧倒されて、ただ頷くばかりだった。
山道を抜けて、ようやく街道に出る。
平原を貫く街道は石畳で、その表面は平らに仕上げられている。あまりにも平らで、しかも石と石の間にはわずかな隙間さえないため、大昔に魔法の力で敷きつめられたものだろうと言われており──その由来まではさだかではないのであるが、勿忘の街道と呼ばれて、皆から親しまれている。
足裏に感じる慣れない硬さを確かめるように、石畳を行く。足音をたてずに歩くこともできるのだが、石を蹴るたびに鳴る、こつり、という音が楽しくて、音楽を奏でるように歩く。やがて、その音楽にのせるように、石畳を行く車輪の音が、かすかに耳に届く。
「後ろから馬車がくる」
「何も聞こえませんよ」
「私の耳は特別製なの」
言って、耳たぶを弾き、信じる様子のない旅具を放って街道をいくらか進む。
「とんでもない耳ですね」
ようやくフィーリにも聞こえたものか、渋々といった様子で肯定の声をあげる。
やがて街道の彼方に、豆粒のような馬車の姿が浮かぶ。陽ざしを遮るように手庇をして見やると、馬車の御者は見知った顔だった。
「リュカさん!」
呼びかけて駆け寄ると、御者が馬車を停める。
「マリオンじゃないか!」
年齢よりも幼い笑顔で、御者が返す。
御者──リュカ・レームは、村に出入りする行商だった。数年前に引退した父親に代わって、辺境の村々を渡り歩いている。交易で多少の儲けはあるとしても、苦労の方が多いだろうに。辺境で暮らすものにとっては、親子そろって頭のあがらぬ存在であった。
「こんなところまで狩りにきたのかい?」
普段、山から出ることのない私が街道にいることを、狩りで遠出したものだと解釈したようだった。
「ダラムの村に行くところだったら、乗せてあげられたんだけどね」
申し訳なさそうに続ける。
ダラムとは故郷の村の名で、村長の姓でもある。村長の村だから、ダラムの村。
「村には戻らないの。王都の方まで足を延ばすつもり」
事の顛末を説明すると、リュカは驚きながらも理解を示してくれる。
「それなら、街まで乗っていくかい?」
「いいの?」
「マリオンが乗ってくれれば、僕も心強いからね」
リュカは、村のもの以外で私の狩りの腕を知る数少ない人物である。そのリュカの言に、実力を認められたように思えて、こそばゆいような誇らしさを覚える。
「やった!」
「旅の趣は徒歩にこそありますのに」
渋る旅具の言葉を聞き流して。
「ありがと!」
言って、私は荷台に飛び乗った。
マリオンのイメージ(DALL·E 3生成画像)
「旅立」完/次話「ドワーフ」
instant cytron「Walkin' in wonderland」を聴きながら。