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「いやあ、まさか本当にカルトゥルスまでたどりついてしまわれるとは、感服いたしましたぞ」
言って、禿頭の老爺──カルトゥルスの民の末裔たる村長は、からからと笑う。その好々爺然とした様を見て、世が世ならば、この老爺こそがカルトゥルスの王であり、歴代の彫像の末席に加わるところであったとわかるものはいないであろう、と思う。
「先日のご無礼、お詫び申しあげます」
と、村長は急に口調をあらためて、私たちの前に膝をつく。
「エリスから事情は聞いたから、気にしなくていいよ」
私は慌てて村長を立たせる。世が世ならば王である老爺に膝をつかせるというのは、何とも心苦しい。
「そうですか、では──」
と、村長は驚くほどあっさりと立ちあがる。私が恐縮することまで織り込み済の謝罪だったのであろう、まったく食えない爺さんである。
「それにしても、お連れに真人がおられたとは──あのとき一言おっしゃってくれれば、話は早かったでしょうに」
言って、村長は再びからからと笑う。
確かに──私たちは、ルジェンに妙にからんでくる村長から逃れようと先を急いだのであるが──やはり、頭巾からわずかに銀髪がのぞいていたらしい──あのとき彼女が古代人であると明かしていれば、数々の試練に立ち向かう必要もなく、村のものの協力を得られていたのである。
「ルジェン様のことは、儂らにお任せください」
村長は、どん、と胸を叩いて、頼もしく笑う。
私たちは、ルジェンを残して旅立つことを決めていた。先にエリスより告げられたとおり、銀髪の乙女たるルジェンを連れて北に向かえば、どこかで冥神の目にとらえられて、かつての覇王との約定を無理やりに守らされるやもしれぬ。それならば、私たちだけで冥神のもとを訪れて、誤解を解いた方がよかろう、という判断である。
「マリオン──」
ルジェンは目を潤ませて、別れを惜しむ。
「私、みんなに頼ってばかりで、情けない──」
「そんなことない。ルジェンは強いよ」
言って、私はルジェンの手を引いて、そのままぎゅっと抱きしめる。
魔神に故郷を滅ぼされて、身一つで外の世界に放り出された女の子が、いくら私たちという道連れがいたとて、泣き言の一つも言わず、こんなところまでたどりついたのである。褒めこそすれ、情けないなどと、誰が思おうか。
「じゃあ、少しの間、待っててね」
私はルジェンに別れを告げて──すでに出立の準備を終えている黒鉄とロレッタのもとに戻る。
「──マリオン様」
と、黒猫のエリスが、私を呼びとめる。
エリスは、先に宣言したとおり、真人たるルジェンに仕えるため、カルトゥルスより下山しているのである。
「旅具殿がいらっしゃるので大丈夫だとは思いますが──」
エリスは前置きをして、北を指しながら続ける。
「ここより北に向かうと大きな湖がございます。その湖を越えると、目指す火吹山の威容が見えてくることでしょう」
エリスの言に、任せて、と胸を叩く。
目指すは火吹山──そして、その奥深くから通ずると言われる冥府である。
「じゃあ、ちょっと冥神に話をつけてくるよ!」
私は、ちょっとそこまで出かけてくるというくらいの軽さでもって、手を振って歩き出す。
ルジェンは、私たちが見えなくなるまで、ずっと手を振り続けて、私も何度も振り返りながら、それに応える。大げさな別れは、以前は苦手に感じていたのであるが──実のところ、今はそれほど嫌いではない。
灰色山脈の麓から北に、道なき道を行くと、やがて街道にぶつかる。ここのところ、すれ違うものなど、とんとない道行だったのであるが、街道は道幅も広く、旅人の往来も多い。
私たちは行商の荷馬車を呼びとめて、途中まで乗せてもらえないか、と交渉する。行商は、荷物も少ないからちょうどよい、と驚くほどの安価で快諾してくれて──しかし、行商の若い男を見るに、ほう、と溜息をつきながらロレッタに見惚れているのであるからして、理由はそれだけではないことは明白である。持つべきものはエルフの連れであるなあ、と私はロレッタ神に祈りを捧げる。
「お兄さんはどこに向かってるの?」
ロレッタは荷台から、御者台の行商に気安げに話しかける。
「テオリテです。北に向かってるやつらは、みんなテオリテに向かっているんですよ」
行商はいくらか舞いあがりながら、後ろを向いて答える。前を向け、前を。
ロレッタは、自らに向けられる好意に敏感で、その好意をわかった上で、相手をからかう節がある。まったくもって、罪な女である。
ロレッタは行商と他愛のない話を続けて──彼にとってはそのかぎりではなかろうが──やがて、街道の景色が変わり、行商が声をあげる。
「湖が見えてきましたよ!」
その声に行く手を見れば、確かに落日にきらめく水面が見えて──私は今にも駆け出したくなる衝動を抑えきれなくなる。
「あたしたちはここで降りるね、ありがとう」
ロレッタは、私のその衝動をお見通しのようで、行商に片目をつぶってみせて──私たちは彼の返事も待たずに、荷馬車から飛び降りる。
「え、もう!?」
行商は驚きの声をあげて──名残惜しそうに何度も振り返るものだから、荷馬車はゆらゆらと揺れて、危なっかしいこと、この上ない。もしかすると、あの年若い行商は、この先エルフの美貌に魅せられた一生を送るのやもしれぬなあ、といくらかあわれに思う。
私たちは街道を外れて、湖辺に駆け寄る。
「これ──本当に湖?」
私は目の前の光景に、思わず驚きの声をあげる。
「まるで、海に見える」
なぜならば、眼前の湖には、向こう岸が見えないのである。
「これが東方でもっとも大きな湖──テオリテ湖だよ」
言って、ロレッタは両手を大きく広げる。しかし、それでもなお、湖は彼女の両手からはみ出すほどに広がっているのであるからして、その大きさたるや、推して知るべしである。
「何でも、古に星が墜ちた跡に水がたまって、湖になったんだって」
「はあ、こんなにでかい湖ができるほどの大穴をあけるとは、さぞかしでかい星が墜ちたんじゃろうのう」
ロレッタの蘊蓄に、黒鉄は素直に感嘆の声をあげる。
「伝説だから、本当のところはどうだかわからないんだけどね」
言って、ロレッタはぺろりと舌を出す。
そうして湖に見惚れていると、やがて日は暮れて──私たちは湖辺に沿って街に向かう。
湖畔の街──湖と同じ名を冠する湖岸都市テオリテは、水運の要衝となっているからであろう、今までに訪れたことのある東方のどの都市よりも栄えている。
湖にせり出すように建ち並ぶ家々は、まるで湖上に浮いているようにも見えて──その美しさゆえに、水運に携わらずとも、物見に訪れている旅人も少なくないようである。
「これほどの都市となると──酒場にも期待せねばなるまいな!」
言って、黒鉄は目を輝かせながら、通りを行く酔漢を呼びとめて──おそらく、湖を行き来する水夫であろう──懐から取り出した銅貨を渡しつつ、あれこれと話し始める。
「料理もおいしいところにするんだよ」
「任せておけい」
呼びかけるロレッタに、黒鉄はぞんざいに手を振って返す。とはいえ、私もロレッタも、そんな言葉を鵜呑みにすることはない。わざわざ黒鉄が出張った時点で、酒を優先した店選びになるであろうことは知れている。
そうして、黒鉄は酔漢から上等の酒場について聞き出して、私たちは湖辺に足を向けて──湖からせり出すように建ち並ぶ家々の、その突先にある「水鏡亭」という酒場の扉を開く。
「いらっしゃい!」
看板娘の給仕であろう、威勢のよい声に出迎えられて、私たちは窓際の席に腰をおろす。開け放たれた窓から外を見れば、どうやらテラスにも席があるようで、晴れた日にテラスから望む湖面は、きっと鏡のごとく美しいのであろう、と思う──が、さすがに夜の湖はいくらか不気味とみえて、あえてテラスに出ている客はいない。
「エールを頼む」
「あと、葡萄酒と、おすすめの料理も適当に!」
先の給仕を呼びとめて、黒鉄とロレッタは慣れた様子で注文して──私に、何か追加はあるか、と目で問うので、首を振って返す。
給仕は手際よく、すぐにエールと葡萄酒を持ってくる。黒鉄とロレッタは、私をそっちのけにして酒を飲み始めて──私はフィーリから取り出した水で喉を潤す。
テオリテの名物は何であろう、と皆で話しながら待っていると──やがて、給仕が大皿を持ってくる。皿には、人数分の魚が盛られており、立ちのぼる牛酪の香りに、何とも食欲をそそられて──それほど腹をすかせていたはずではないというのに、私の腹はこらえきれずに、ぐう、と音を鳴らす。
「ほう、鱒かのう」
黒鉄の見立てのとおり、魚は鱒に見える。鱒は牛酪で香ばしく焼きあげられており、その隣には芋が添えられている。鱒に振りかけられているのは、一緒に焼いた木の実を刻んだものであろうか。
「あ、おいしい」
真っ先に手を伸ばしたロレッタがつぶやいて──私も遅れじと鱒にかぶりつく。
口にした鱒は、私の知るものとは異なり、脂が少ない。しかし、それがかえってしつこくなく、さっぱりとした味わいになっていて──焼いた木の実の香ばしさもあいまって、食べる手は止まらない。私たちはすぐに大皿を空にして、給仕に追加を注文する。
「よう、嬢ちゃん──」
と、不意に後ろから声をかけられて──声の主が酒場の灯りを遮ったようで、私の前に影が射す。私を嬢ちゃん呼ばわりとは誰であろう、と振り返り──その姿を認めて、私は椅子を蹴倒して男から距離をとり、驚きとともにその名をつぶやく
「──絶影」




