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「おっと──私としたことが、立ち話が過ぎました」
と、エリスはよいところで話を打ち切る。続きが気になるというのに。
「今から麓に戻ることはできますまい。どうぞ、こちらに」
エリスに言われて──いつのまにやら日が暮れかけていることに気づく。カルトゥルスの街並みも薄闇に沈み、主を失くした街は、いっそうもの寂しく映る。
墓地を出て、エリスは私たちを先導するように歩き始める。その歩みにあわせて、通りに沿うように並んだ柱の先に、ぼう、と灯りがともる。やわらかな灯りに照らされて、薄闇に浮かぶ街並みは、どこかおとぎ話の世界のようにも思える。
やがて、エリスが足を止めたのは、街外れの高台にある民家の前であった。民家は、エリスの暮らす、言わば墓守の家とも呼べるもので、なるほど、それゆえに街を見守るような高台に建っているのであろう、と納得はできるのであるが──その家は何ともこぢんまりとかわいらしく、思わず笑みがこぼれてしまう。当初は王宮に案内されかけて、豪奢な部屋ではかえって落ち着かぬであろうから、とその申し出を固辞したのであるが、いやはや、先見の明があるものであるなあ、と自賛する。
「どうぞ、お入りください」
エリスにうながされて私たちはその小さな扉をくぐる。家の中は、外観から想像したとおりに小さく、背伸びをすれば、天井に手が届いてしまうほどで──いつぞやの巨人の里とは逆に、小人の世界に迷い込んだような錯覚を抱いてしまう。
エリスは、家具を部屋の隅に寄せて、空いたところに絨毯を敷いて、私たちに座るようにうながす。
「申し訳ございません。皆さまの座れるような椅子はございませんので、どうしてもこのようなもてなしとなってしまいまして──本当にこんなところでよろしかったのでしょうか」
「いやあ、こんなところがよかったんだよ」
恐縮するエリスに、私は笑顔で返して──その言葉にルジェンも頷いたことで、エリスは安堵の息をつく。
エリスは、私たちに食事をふるまうと言って、調理を始める。できあがった食事は、パンとスープのみの簡素なもので、やはりエリスは恐縮するのであるが──雨風を凌げるところで、あたたかな食事を供されるだけで、私たちには感謝しかない。
「じゃあ、私たちからも、一品提供しよう」
言って、私はフィーリから、先の古竜肉の燻製を取り出す。燻製は香ばしく仕上がっており、切りわけると、その段面にはほんのりと赤みが差している。
「あ、おいしい」
さっそく肉を一切れつまんだロレッタが──まだ皆に取りわけている途中であるというのに──感嘆の声をあげる。
「あらかた臭みは消えておるし、燻されたことで肉の味が引き立っておる。先は臭みに隠れておった滋味が、今度はあふれておるとでも言えばよいのか──マリオン、やるではないか」
取りわけられた肉を、二、三切れ、まとめて口に放り込んだ黒鉄も、やはり感嘆の声をあげて──私は二人の称賛に、えへん、と胸を張る。
「食べたことのない肉です。これは何の肉なのですか?」
どうやら燻製が口にあったようで、エリスは突き匙を二切れ目に伸ばしながら尋ねる。
「赤竜」
「は──?」
エリスの笑顔が凍りつく。
「だから、赤竜の肉」
繰り返す私に、エリスは突き匙を取り落とす。
「赤竜の目を盗んでカルトゥルスにたどりついたものとばかり思っておりましたが──え、倒したのですか?」
エリスの問いに、私は燻製肉を頬ばりながら頷く。
「え、古竜って、燻製にできるんですか?」
「できたね」
私は燻製肉を咀嚼して、驚きだね、と続ける。
「いったいどうやって赤竜を──」
「ロレッタは、勇者ブルムの娘なの」
驚愕するエリスにそう返して、私は赤竜討伐の手柄を、すべて彼女に押しつける。赤竜に止めを刺したのは、星を穿つ一撃なのであるが、実際のところ、ロレッタの猛攻により、彼の竜はほとんど瀕死だったのであるからして、嘘はついていないといえよう。
「それであれば、確かに──いや、しかし──」
エリスはそれでも信じられぬようで、突き匙の先の燻製肉を、半信半疑といった様子でみつめていたのであるが──何のためらいもなく食べ続ける私たちを見て、考えることをあきらめたようで、ついにはエリスも二切れ目の燻製肉を口に入れる。
私たちは燻製肉をたいらげて──後で追加をつくることにしよう──エリスが食後のお茶を用意してくれる。皆の前に茶器が並び、立ちのぼる上品な香りに、私は思わず、うっとりと目を閉じる。
「話の続きでございましたね」
茶の用意を終えたエリスが腰をおろす。
「さて、どこまで話しましたか──」
「覇王レクサールが、東方の統一をなしとげたってところまでかな」
私はエリスの言葉を補足するように口を開く。
「レクサールは、カルトゥルスの民の悲願であった東方統一をなしとげたんでしょ? 何でそれが悲劇になるの?」
ロレッタはお茶が思いのほか熱かったようで、ふうふう、と冷ましながら、問いかける。
「──冥神の力を借りたのが、間違いの始まりだったのです」
エリスは自分用のぬるい茶を、ぺろり、と舐めて──猫舌なのであろう──悲しそうにうつむく。
「カルトゥルスは、冥神を奉ずる国でございました」
いたるところで冥神を模した像や絵をご覧になったことでしょう、とエリスは続ける。
「我らは冥神を奉ずることで、様々にその恵みを授かっておりました。例えば、赤竜をつないだ鎖も、その一つでございます。あの鎖は、幽世につながっているのです。幽世につながる鎖は、半分は現世のものではございませんから、現世のものたる赤竜に引きちぎることのできぬは道理」
神代より生きる古竜の自由を奪うとは何たる鎖であろうか、と思っていたのであるが、なるほど、神の力によるものであったのなら頷ける。
「私たちにとって、冥神の力は、かように身近なものであったのです。ゆえに、カルトゥルスで生まれ育ったレクサール様にとって、故郷を取り戻すために冥神の力にすがるのは、当然のことでありました」
エリスは茶器をおろして、深い溜息をつく。
「冥神は、銀髪の乙女の願いをかなえる代わりに──死者を欲しました」
「死者を──欲した?」
エリスの言葉の意味がわからず、私は思わず繰り返す。
「冥神は、生者のためにこの地に残っているのではございません。死者のためにこそ、この地に残っているのです。ゆえに──冥神は、生者を救うのではなく、死者を欲するのです」
エリスの語りは、次第に重い口調となる。
「レクサール様は、冥神の力を借りるにあたり、東方統一の過程で死したものたちを、冥神に捧げると誓ったのです。そうして、冥神より与えられたのが──死者の軍勢でした」
覇王レクサールは、冥神との盟約により、死者の軍勢を従えて、戦に臨んだのだという。先の洞窟で見た壁画──あの怪物こそが、その死者の軍勢だったのであろう。死者の力は強大であった。勇猛で知られる東方の騎士も、斬っても死なぬ化物を屠ることあたわず、レクサールは彼らを討ち滅ぼして、ついにはこの地を統一したのである。
しかし──東方の民の死は、冥神の望む数には遠く及ばなかった。冥神は盟約を盾に、レクサールに西方──中原への進出を迫った。より多くの血を流すことを望んだのである。
冥神の願いは、レクサールとその友との間に軋轢を生んだ。あるものはレクサールとともに版図を広げることを望み、またあるものは新たな故郷となった東方での安住を望んだのである。彼らは互いに相争うようになり、幾人かはその戦いで命を落とした。
レクサールは友の死を深く悼み、戦を望んで力を求めたことこそが不和を生んだのだと悔いた。そして、その後悔に押し潰されて──ついには自ら命を絶ったのである。
「その結果は、きっとレクサール様も想像だにしなかったであろう──おぞましいものでした」
エリスの語るところによると、レクサールは死ななかったのだという。いや──死ななかったと評するのは語弊があろう。彼女は確かに死んだのであるが、死を司る冥神の力によってよみがえったというのである。
レクサールの骸を前にして、悲嘆に暮れる友の見守る中で、彼女はまるで操られた人形のごとく起きあがる。そこに、かつての心優しき乙女の顔はなかった。彼女は虚ろな瞳で剣を取り、友の呼びかけにも答えず、死者の軍勢を率いて、西方への進軍を始めたのである。
ことここに至り、友たちは争うことをやめた。彼らは死力を尽くして死者の軍勢を迎え撃ち、多大な犠牲を払いながらも、その侵攻を押しとどめて──ついには、レクサールの心臓を貫いたのである。
しかし、レクサールはそれでも死ななかった。彼女は刺し貫かれた胸を気にも留めず、剣を高く掲げて、全軍を鼓舞するように吠えて──その呼び声に応えて、死者もまた活力を取り戻す。
そのときであった。一人の騎士が飛び出して、レクサールの首を刎ねたのである。レクサールの目は驚愕に見開かれて──次の瞬間、騎士の神速の剣によって、彼女の全身は千々にわかたれる。その騎士こそが、覇王の一の腹心であり、レクサールの恋人でもあった、イオスティその人であった。
レクサールの首は、血に濡れた大地に転がり、かつての友たちをねめつける。
「貴様らの顔は忘れぬ。百年──いや、千年経とうとも、貴様らを呪おうぞ」
その呪詛はレクサールのものであったのか、それとも彼女の身体を操った冥神のものであったのか、それは誰にもわからなかった。ただ──彼らは皆、レクサールを殺めたことを心から悔いた。その悔いゆえに、あるものはレクサールの覇道を継ぐべく、その後継を名乗り、戦に明け暮れた。また、あるものはレクサールの呪詛をおそれて、その死から遠く逃げるように、南へと落ちのびた。
そうして──東方はいまだ、麻のように乱れているのである。
「それが、覇王と呼ばれた乙女──レクサール様の一生でございました」
エリスはそう話を結んで、かつての主──レクサールを偲ぶように目を閉じる。
エリスの話──覇王伝説の真実を聞いて、はたと気づく。
「なるほど、レクサールの呪詛をおそれて南に落ちのびたのがカルヴェロなんだ」
カルヴェロ──それは、覇王の呪いをおそれて、地下に隠れ住んでいた偽王である。老臣は、彼の老爺を単なる逆賊のように断罪していたのであるが、そうとも言い切れぬ事情があったのであるなあ、と私はいくらか同情する。
「──ということは、もしかしてクラウディレもそのうちの一人なの?」
クラウディレ──それは、覇王軍随一の騎士たる仮面卿を操っていた暴君である。そのクラウディレも覇王の腹心ということであったから、彼も南に落ちのびたものの一人なのであろう、と思う。
「そうです。クラウディレは高慢で、選民意識が強く、蛮族を見下すところのある男でしたから、彼の国の民はその圧政にさぞ苦しんだことでしょう」
エリスは、かつての同胞を、思いのほか辛辣に評する。
「ははあ──」
なるほど、ずいぶんと民をないがしろにする王であるなあ、と思っていたのであるが、そうではなかったのである、と悟る。クラウディレにおいては、王をはじめとする支配者階級は古代人であり、彼ら古代人が民たる蛮族を虐げていたという構図だったのであろう。
と──そこまで考えたところで、はたと思い至る。彼らが覇王の腹心であったということは、彼らが所持していた干からびた身体は──。
「もしかして、この身体って──」
言いながら、私はフィーリから干からびた左腕と右脚を取り出す。それは、今まさにエリスの話にあった、千々にわかたれたレクサールの身体なのではないかと思ったのであるが。
「早くしまってください! 早く!」
エリスの言葉よりも早く、干からびた左腕と右脚は、それぞれを求めるようにからみあい、おぞましく蠢く。干からびていたはずの表皮は、次第に水気を帯びてきて──私は怖気を震って、慌てて左腕と右脚をつかみ、再びフィーリに放り込む。
「今の──何だったの?」
唖然とする私に、エリスは重々しく答える。
「──冥神との盟約は、まだ生きているのです」
エリスの語るところによると、レクサールの死体は、一所に集まると、冥神の力により、よみがえろうと蠢くのだという。そのため、いまだレクサールを弔うこともできず──かつての友たちが、それぞれに彼女の身体を保管して、その魂の安寧を守っているというわけである。
「ゆえに──ルジェン様には、この地にとどまっていただきたい、と切に願います」
エリスは神妙な顔で、そう続けるのであるが──私は、はて、と首を傾げる。
「その盟約とやらが生きているとしても、レクサールの身体を一所に集めなければいいだけのことなんでしょ? ルジェンには関係のないことじゃない」
「それが──そういうわけにもいかないのです」
エリスはかぶりを振って続ける。
「冥神に生者への興味はなく、その区別にも長けておりません。おそらく、先の契約も、レクサール様と交わしたという認識はなく、銀髪の乙女と交わしたものと思っていることでしょう」
エリスの言に、私は息をのむ。その意味するところは、つまり──。
「ルジェン様がこれより先に進み、冥神の目にとらえられたとき──その瞬間、彼女は傀儡と化して、かつての覇王のごとく、死者の軍勢を率いて、中原への侵攻を始めることでしょう」
エリスは、驚愕の事実を、淡々と告げる。
「冥神にレクサール様の死を伝え、納得させねば、ルジェン様に安寧は訪れないのです」
「墓守」完/次話「湖畔」




