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「我が主、どうかその尊き御名をお聞かせくださいませ」
黒猫は上目でルジェンに希う。
「主って言われても──」
ルジェンは状況が呑み込めぬようで、助けを求めるように私を見て。
「あなたはいったい何ものなの?」
私は割って入って、黒猫に尋ねる。
「──失礼いたしました」
私としたことが、と黒猫は恐縮するのであるが──その様は、思わず抱きしめたくなるほどに愛くるしい。
黒猫は立ちあがり、膝についた土を払って、古風な辞儀をする。
「私は、あなた方、蛮族の言うところの古代人に仕えるために生み出された──そう、使い魔のようなもので、名をエリスと申します」
黒猫──エリスは、お見知りおきを、と続けて、やおらルジェンに向き直る。
「古代人に仕えることこそ、我が使命、我が喜び──どうか御名をお聞かせくださいませ」
再び名乗りを迫るエリスの勢いに負けたのであろう、ルジェンはついには口を割る。
「──ルジェン」
「ルジェン様──尊きお名前です」
エリスはその名を噛みしめるようにつぶやいて、うっとりとルジェンをみつめる。
「真人たるルジェン様にお仕えできること、心より光栄に存じます」
言って、エリスは再び膝を折り、ルジェンの手を取って口づけをする。誰も仕えてよいなどとは言っていないというのに、エリスの中ではすでに決定事項であるらしい。
と──聞き慣れぬ単語を耳にしたことに気づいて。
「──真人?」
私は思わず問い返す。
「ルジェン様のような純血の古代人を、カルトゥルスでは真人と呼ぶのです」
エリスは立ちあがり、私に向き直って答える。真人たるルジェンの連れだからであろう、先に食ってかかった様とは打って変わって、エリスは私にも丁寧に応対する。
「あなた、カルトゥルスの縁者なの?」
「縁者と申しますか──まあ、墓守のようなものとでも申しましょうか」
尋ねる私に、エリスは墓地を見まわしながら、深い溜息をつく。
「カルトゥルスは滅びてしまったのですか?」
と、フィーリが声をあげる。カルトゥルスに古代人がいるやもしれぬと案内した手前、そこは聞いておかねばならぬと思ったのであろう。
「おや、旅具とはめずらしい」
私にとっては旅具よりもめずらしい黒猫は、フィーリの存在にいくらか驚きながら続ける。
「正確に申しあげるならば、カルトゥルスは滅びてはおりません」
エリスは意外なことを口にする。私たちが歩いてきた都市には人の姿は見えず、墓地にはこれほど多くの墓が並び──どう見ても滅びているように思えるというのに。
「山の麓に村がございませんでしたか?」
エリスに問われて、私は麓で出会った禿頭の村長を思い出す。
「その村に住むものたちこそ、カルトゥルスの末裔にございます」
エリスの答えに、私は呆けたように口を開ける。
「あの村長、カルトゥルスなんて知らないって言ってたのに!」
村長のとぼけた答えを思い出して、私は思わず声を荒げる。
「どうか責めないでくださいませ。彼らはこの地のことを秘しているのでございます」
村長の代わりに、とエリスが謝罪する。ずるい。愛らしい黒猫に謝られては、許さないわけにはいかないではないか。
「皆さま、カルトゥルスの民に会うために、遠路はるばるお越しいただいたご様子。よろしければ、私がカルトゥルスの末を語りましょう」
エリスは仰々しく辞儀をして、まるで物語の口上のように、朗々と語り出す。
「かつて──この地には多くの古代人が暮らしておりました」
エリスの語るところによると、山岳都市カルトゥルスは、かつて東方を支配するほどに繁栄し──そして、緩やかに滅びを迎えていたのだという。
純血の古代人の証たる銀の髪を持つものは絶えて、魔法の使えぬ子どもが生まれ始める。彼らは、彼らの憎む蛮族と同化するかのごとく、種族として衰えていたのである。
そんな折であった。隔世の遺伝であろうか、それとも神のいたずらであろうか──銀の髪を持つ娘が生まれたのである。娘は、カルトゥルスの救い主として、皆から愛されて育った。
「それが──レクサール様でございました」
かつての我が主でございます、とエリスは続ける。
「覇王レクサールは、カルトゥルスの出身なんだ」
「──ということは、覇王の十二人の腹心とやらも、カルトゥルスの出なのかのう」
ロレッタと黒鉄は、口々に驚きの声をあげて。
「カルトゥルス出身であるというところは、そのとおりでございますが──」
言い伝えというものはいい加減なものですね、とエリスは苦笑しながら続ける。
「彼女らは、覇王と十二人の腹心なのではございません──幼き頃よりともに過ごした、十三人の友なのです」
言って、エリスは懐かしむように目を細める。その目には、かつてこの地で過ごした彼らの幻が映っているのであろうか。
「レクサール様の誕生により、カルトゥルスの歴史は、思わぬ方向に動きます」
エリスは憂いを帯びた顔で続ける。
やがて、カルトゥルスの民は、諦念とともに、山を下ることを選んだのだという。魔法を失いつつある彼らでは、もはや山岳都市では生きていけぬと悟ったからである。
しかし──レクサールをはじめとする若年の世代は、それを拒んだ。カルトゥルスは、蛮族に追われた彼女らの、最後の故郷だったからである。レクサールと十二人の友は、東方をカルトゥルスの手に取り戻さん、と立ちあがった。魔法の力と古代の遺物──そして、冥神の力をも借りて挙兵した彼女らは、ついには東方の統一をなしとげたのである。
「それが──悲劇の始まりでございました」
エリスは悲しそうにつぶやく。




