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「山岳都市カルトゥルス? はて、聞いたこともございませんなあ」
言って、名もなき村の長は、首を傾げる。
鼠とシオンに見送られて──ついでに、乞食王の使者から、言伝という名の嫌味を伝えられて──私たちはクラウディレから東へと旅立ち、そして灰色山脈の麓にたどりついていた。
麓には村があった。それなりに大きな村に見えるというのに、目に入るのは老人ばかりで、若者の姿はほとんど見られない。ひなびた村を嫌って出ていってしまったものも多いのかもしれぬな、と他人事ながらいくらか寂しく思う。
辺鄙な村には来訪者などほとんどいないのであろう、老人たちは私たちの姿を見るなり、物めずらしそうな顔をして、わらわらと集まり始める。
「旅人とはめずらしい」
と──人だかりをかきわけて、禿頭の老爺が現れる。その見事なまでの禿頭から滲み出る貫禄と、他の村人たちの様からするに、おそらく村の長なのであろう、と思う。
「お客人、いずこより参られましたかな」
禿頭の老爺──村長は、肌に刻まれた皺の割に、かくしゃくと歩み出て、私たちに問いかける。
「私たちはクラウディレから──あ、いや、正確にはリムステッラから、ということになるのかな」
村長の問いに、仲間を代表して私が答える。あわせて、あやしいものではないことを示すために、巡察使の証を立てる。
「リムステッラといえば、西方の大国ではございませんか!」
どうやらリムステッラの名と巡察使の存在は、辺境の村長も知るところのようで、老爺は驚きの声をあげて──そして、先よりもいくらか敬意を払って、言葉を重ねる。
「大国の巡察使殿が、かような辺境に何用でございましょう?」
「灰色山脈のどこかに、古代人の住まう山岳都市カルトゥルスがあると聞いて──」
問いに答える私の言葉の、その続きを遮るようにして、村長は声をあげる。
「山岳都市カルトゥルス? はて、聞いたこともございませんなあ」
それが冒頭の台詞である。私自身、半信半疑でここまできているのであるからして、村長がその名を聞いたことがなかったとしても不思議はない──ないのであるが、その言葉にどこか空々しい響きを感じたのは、私の気のせいであろうか。
「少しだけ、山に入ってもいいかな?」
私は試すように問いかける。もしも、村長がカルトゥルスについて何かしら知っているのであれば、わずかなりとも逡巡のようなものが浮かぶのではないか、と期待したのであるが。
「もちろん、かまいませぬ」
あにはからんや、村長は平静のまま首肯する。
「──とはいえ、儂らも灰色山脈の奥深くにわけ入ったことがあるわけではございません。何があるやらわかりませんし、曽祖父の頃には、竜が住まうという噂もあったとか。危険やもしれませぬぞ」
「ありがとう。気をつけるよ」
私たちの身を案じる村長に礼を述べて──先の違和感は、私の気のせいであろう、と結論づける。
「ところで、そちらのお方は──お加減が優れませんかな?」
村長は、頭巾を目深にかぶったルジェンを見やって、彼女を案じるように問いかける。
「村に宿はございませんが、儂の家でよろしければ、少し休んでいかれては──」
「顔に火傷があってね。あまり見られたくないんだ。体調がわるいわけじゃないから、気にしないで」
まさか銀髪を見られたのではあるまいか、と慌てた私は、とっさに思いついた言い訳を口にして──ルジェンは頭巾をさらに目深にかぶって、その言い訳に同意するように何度も頷いてみせる。
「そうですか、それならよいのですが──」
村長はそう返しながらも、ルジェンから目を離さない。老爺のその目に、わずかながらの執心を認めて──これは本当に銀髪を見られたやもしれぬ、と私は慌てて暇を告げる。
私たちは、名残惜しそうな村長に見送られて、村を後にする。村より先は、人外の地──しかし、村人たちも、狩りや山菜採りなど、山にわけ入ることはあるのであろう、わずかながら踏みしめられた道と思しきものが伸びており、村外れの森まで続いている。
ルジェンは、ここまでくればもうよかろう、と頭巾を脱いで、両手を広げて、山風に吹かれる。風に揺れる銀髪は、陽光を受けて、まるで宝石のように輝く。私はその様に見惚れながら──彼女には窮屈な思いをさせているであろうな、と申し訳なく思う。
「麓に住むものであれば、噂くらい聞いているものと思っていたのですが──」
おかしいですねえ、とルジェンの胸もとでフィーリがぼやく。
「山岳都市カルトゥルス──とっくに滅びておるのではないかのう」
と、殿を歩く黒鉄が、配慮の欠片もないことを口にする。ルジェンにとっては、第二の故郷の探訪であるというのに。
幸いにして、黒鉄のつぶやきは、ルジェンには届いていなかったようで、彼女は先と変わらず、気持ちよさそうに山風に吹かれている。
「何でそういうこと言うの!」
ロレッタが小声で責めながら、黒鉄の頭を叩く。黒鉄は、なぜに叩かれねばならぬ、と反論するのであるが、それがわからぬから叩かれたのであろう、と私は苦笑する。やがて、当初の趣旨から外れた罵りあいを始めた二人をよそに、私はルジェンに近寄り、その胸もとに話しかける。
「──どうするの?」
配慮に欠けるとはいえ、黒鉄の発言にも一理はある。わずかな可能性に賭けて、山岳都市カルトゥルスを探すのか、それともすでに滅びたものとして、あきらめて引き返すのか──どちらの判断も、誤りではなかろう。
「この地に古代都市があるのは間違いないのです。せめて現地を見てみないことには──」
「じゃあ、行こう」
フィーリの言葉に頷いて、私は颯爽と歩き出す。
村外れの森──そこはもう、灰色山脈の入口である。
「灰色山脈などと呼ばれるだけのことはあるのう」
言って、黒鉄が難しい顔をする。
灰色山脈は、その名のとおり、霧深い山である。峻峰は厚い霧に覆われて、その全容を現してはいない。しかし、山を覆うその霧が、まさか麓の森にまで広がっていようとは思ってもおらず──黒鉄の渋面も、もっともであろう、と頷く。
「マリオン、行けるかの」
「もちろん!」
黒鉄の問いに、ない胸を叩いて──私たちは鬱蒼と茂る森に足を踏み入れる。
私は先頭に立って、竜鱗の短剣で草木を斬り払いながら進む。ところどころに、村人の踏み入ったであろう跡も見られるのであるが、進むにつれてそれもなくなり──ついには道なき道を行く。
霧は深く、まさに迷霧といった有様で、先を見通すことはできない。ゆえに、最短で真っすぐに進もうとするのならば、どうしても霧の中に飛び込まねばならないのであるが──白霧は私たちの侵入を拒むように、まるで生きているかのように、木々の間を妖しく蠢いているのである。私はその霧に、どうにも嫌なものを感じて、いくらか遠まわりになろうとも、できるかぎり霧を避けながら、ゆっくりと歩みを進める。
「ロレッタ、そっちはどう?」
「ちょっと──難しいかも」
私の問いに、ロレッタは言いにくそうに返す。
ロレッタは、すでに魔法の糸を展開しているのである。普段であれば、彼女の糸は山中の隅々にまで広がり、すべてを感知して、隠された古代都市をもたやすくみつけたのであろうが──どうやらこの霧の中では、そうもいかぬようである。というのも、ロレッタによると、魔法の糸の感知とはいっても、結局のところ、糸を通して彼女の感覚を働かせているようなものとのことで、その感覚そのものを霧によって封じられてしまっては、感知もはかばかしくはないというわけである。
「ねえ、迷子になったりしてないよね?」
自らの感知に頼ることができず、弱気になったのであろう、ロレッタは不安もあらわに問いかける。
「私が迷子になるなら、どんな冒険者でも迷子になる」
だからあきらめて、と私はロレッタをからかうように舌を出して返す。
「そんなあ」
言って、ロレッタは脅えるように周囲を見渡すのであるが、白霧はその視線すらも呑み込んでしまう。とはいえ、今のところ私の感覚は正常であり、そうしようと思えば村まで戻ることもできるであろうから、迷子になどなってはいない。はずである。
「ロレッタは死なないんだから、迷子になっても平気でしょ」
いつぞやのブルムの言葉を思い出して、半神はそう簡単には死なぬのであろうから、と私は彼女の不安を払拭しようと続けるのであるが。
「お腹はすくんだよう」
返して、ロレッタは拗ねるように唇を尖らせる。
まったく、そもそもフィーリがいるのであるからして、たとえ迷子になったとしても、飢えることなどないであろうに──ロレッタのその拗ねる様を見て、彼女が半神であると看破できるものはいないであろうな、とあきれて、頬とともに緊張も緩む。
と──私は足もとに違和感を覚えて、その場に立ち止まる。
「どうした?」
黒鉄の問いに、しかし私は答えず、足もとの土を見すえる。それは他と何ら変わりない土に見えるのであるが、足先に伝わる感触は、他よりもほんのわずかに硬くはなかったか。私は自らの直感を信じて、足先で土を払う。
「これ──もしかして、道じゃないかな?」
土からわずかに現れた石を認めて、屈み込んで、さらに土を払う。間違いない。これは人の手によってつくられた石畳である。
「でも、これが道だとすると──」
言いかけて、私は言葉を呑み込む。石畳は土に埋もれていたのである。とすると、道を行くものも絶えて久しいということであろう。その事実は、どうしても山岳都市カルトゥルスの滅びを予感させて──私は思わずルジェンから目をそらす。
「まあ、何はともあれ、進もうではないか。古代都市には、うまい酒があるやもしれぬからのう」
沈んだ空気をまぎらわすように黒鉄が笑って。
「あ、また盗むつもりなんでしょう」
それにつられるようにしてルジェンも笑って──私はほっと息をつく。
私は足先で土を払いながら、石畳の跡をたどる。進むにつれて、霧は深く、濃くなっていくのであるが、道標を得た今となっては、霧に阻まれようとも、さしたる問題はない。
やがて、私たちは石畳に誘われるようにして白霧の森を抜けて──切り立った崖の間に出る。霧は嘘のように晴れて、久々の陽光がまぶしい。
振り返ってみると、どうやら霧は森からは出られぬようで、木々の間で口惜しそうに蠢いている。おそらく、霧は何らかの魔法の力によってつくり出されたものであり、侵入者を阻むためのものだったのであろう、と思う。
「──わあ!」
と、ロレッタが感嘆の声をあげる。それもそのはず、天を衝くほどに高い崖には、巨大な、しかも精緻な彫像が刻まれており、まるで生きているかのように、私たちを睥睨していたのである。




