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「あ──やってしまいましたね」
胸もとでフィーリがつぶやく。
「──どういうこと?」
フィーリの物言いに責めるような響きを認めて、私は思わず疑問の声をあげて──その答えとばかりに、旅具はくどくどと小言を並べ始める。
「仮面卿が──死んだ」
フィーリの小言を聞かされる私をよそに、鼠が呆然とつぶやく。その声をきっかけに、鼠と同様に呆けていた群衆も、次第に我を取り戻したようで。
「──仮面卿が死んだぞ!」
「奴さえいなければ、王の私兵など、おそるるに足らず!」
「今こそ──今こそ、暴君クラウディレに思い知らせてやろうぞ!」
群衆は口々に声を──そして、拳をあげ始める。
「いや、あの──」
フィーリからすでに事情を聞いている私は、皆を止めようと声をあげるのであるが──今こそ決起のとき、とはやる群衆は、聞く耳を持たない。
「各々! 静まれい!」
その様を見かねて、黒鉄が大音声をあげる。皆の身体を震わせるほどの大声に、熱狂もいくらかはさめたようで──しんと静まり返った広場で、私は手をあげて、おもむろに口を開く。
「あの──クラウディレ王、もう死んでるかも」
私たちは、そのまま皆で城に押し入る。黒鉄が先頭に立ち、暴風のごとく斧を振るうと、衛兵は一様に戦意を失って──さらには、打ち砕かれた操具の欠片を見せて、仮面卿が討たれたことを知らせると、ことごとく恭順の意を示す。
衛兵のうち、もっとも脅えているものに目をつけて、黒鉄に凄ませて、クラウディレ王の私室まで案内させる。部屋には、国の富を集約したかのような、贅を尽くした調度が並んでおり、窓際の長椅子には──頭のない死体が横たわっている。頭部は、おそらく破裂したのであろう、周囲にはその残骸が飛び散っており、長椅子の敷布を鮮やかに染めている。
死体にはぬくもりが残っており、死後それほど経っていないであろうことがうかがえる。おそらく、私が旅神の弓で仮面卿の操具を打ち砕いたときに、クラウディレ王の頭部も同時に打ち砕かれたのであろう、と思う。
フィーリ曰く、操具とは本来、蛮族討伐のための兵士をつくり出すために用いられたものだという。しかしながら操具には、操具自体を砕かれると操者自身にもその影響が及ぶという欠陥があり、当時それほど普及はしなかったのである。
クラウディレ王は、その欠陥を知らなかったものか、それともそうと知りながら操具を壊せるものなどいるはずがないと高をくくっていたものか、今となってはわからないのであるが、ともあれ自ら操者となり、操具をとおして旅神の弓の一撃を受けたのであるからして、この惨状も当然と結果と言える。生前の所業からすると同情の余地はないのであるが、それでもいくらかはあわれみを覚える死に様である。
「──マリオン」
呼ばれて、私はそちらに向き直る。見れば、部屋の隅、祭壇のようなものの傍らで、黒鉄がめずらしく神妙な面持ちで、私を手招いている。
「どうしたの?」
私は祭壇に近づいて──そして、絶句する。そこには、干からびた右脚が、まるで聖なる遺物のごとく祀られているのである。
「おい、マリオン、どうなってんだよ!」
と──私を現実に引き戻すように、部屋の外から鼠の声が飛ぶ。そうであった──部屋に危険がないことを確かめるまで、他のものは外で待たせていたのであった。彼らを部屋に呼び入れる前に──と、私は慌てて、目の前の干からびた脚をフィーリに放り込む。なぜ、と問われても困るのであるが、しいて言うならば、衆目にさらしてはならぬもののように思えたのである。
「──入っても大丈夫だよ」
言って、私は皆を部屋に呼び入れる。鼠を先頭にして、王の私室に入った皆は、民から搾取した財で築かれたであろう豪奢な調度を目にして。
「こんなもののために──」
と、失くした日々を思い起こすように唇を噛む。
私は彼らに、長椅子に横たわる死体こそ、クラウディレ王その人であると知らせる。
「暴君クラウディレは──死んだ」
彼らのうちの一人が、うわごとのようにつぶやく──と、彼らは圧政からの解放に滂沱たる涙を流して、傍らに立つものと互いに抱擁する。
「まったく、世継のない王を殺しちまって、どうするつもりだよ」
感涙にむせぶ皆をよそに、鼠は私を小突いて、からかうように告げる。本当に責めているわけではない、彼なりの不器用な感謝であろう、と受け取る。
「仮面を壊したら王も死ぬなんて、わかるわけないでしょう」
「圧政から解放されるのは、願ってもないことだけどよ──」
私の言い訳に、鼠は苦笑で返す。とはいえ、鼠の言い分もわからないでもない。統治するものがいなければ、国は瓦解する。さりとて、村に戻るには、クラウディレは大きすぎるのである。
「あ──そうだ」
と、私は手を打つ。
「カルヴェロ王を頼るといいよ」
私は思いつきでそう言ったのであるが、考えるほどによい案のように思えてくる。クラウディレと隣国カルヴェロは、それほど離れてはいない。どちらも都市国家であり、規模も似たり寄ったりの小国である。稀代の名君であれば、二つの国を治めることもたやすかろう。
「私が一筆したためれば、カルヴェロ王もわるいようにはしない──と思うよ」
そう言いながらも、民の信頼厚き乞食王であれば、ぶつくさ言いながらも、この地を治めてくれることであろうことを確信する。
国の行末に安堵すると──今度は目の前の少年の行末が気にかかるもので。
「ねえ、鼠──掏摸なんてやめなよ。あなたなら、きっと立派な狩人になれるから」
私が保証する、と胸を叩くと──鼠は照れるようにそっぽを向いて。
「マリオンがそう言うんなら、まあ考えてみてやっても──」
ごにょごにょ、と曖昧に濁しながら、頬を朱に染める。
その微笑ましい姿を見て、彼が並ぶものなしと謳われるほどの狩人になると見抜けるものは、そうはいないであろうな、と思う。
「シオンを守るんだよ、お兄ちゃん」
そう励ます私の胸を、鼠は軽く小突いて。
「言われるまでもねえ」
そう返して、不敵に笑う彼の手には──何と私の財布がある。
「──あ!」
「掏り納めだよ!」
言って、鼠は私の財布を天に放る。財布は高く飛んで、天井にぶつかって──革袋の口が緩んでいたものか、部屋に小銭を撒き散らす。雨のごとく降る貨幣を契機に、それまで涙していたものたちも、ようやく我に返ったようで、暴君からの解放にわっと歓声をあげて──黒鉄とロレッタは、その間に腰を屈めて、小銭拾いに奔走する。
「こら!」
この悪童め、と鼠を叱る──と、彼は笑った。
それは、おそらく私が初めて目にする彼の心からの笑顔で──まるで、いたずらをみつかった少年が、叱られてなおそのいたずらを誇るような──そんなあどけない笑顔だった。
「仮面」完/次話「墓守」




