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仮面卿は剣を抜き放ち、正眼に構える。その剣も、鎧と同様に聖鋼のようで──陽光にきらめく刀身は、まるで宝石のように美しいのであるが、どこか死を思わせるような薄ら寒さも感じさせる。
仮面卿の立ち姿には、微塵の隙もない。透しを受けたというのに、その影響を感じさせることもなく──私は、自らが透しを受けたときの痛手を思い起こして、こやつ本当に人であろうか、といぶかしく思う。
敵の正体がわからぬまま、かつ二人を守りながらでは、分がわるいやもしれぬ。
「鼠! 逃げて!」
私は兄妹をかばうように、仮面卿の前に立ちはだかる。二人の無事さえ確保できれば、戦いようはある。
「逃げられねえんだよ!」
私の叫びに、鼠は自らをつなぐ鎖を鳴らしながら答える。
そうであった──鼠とシオンは鎖につながれているのである。あの太い鎖は、竜鱗の短剣では斬れぬであろう。旅神の弓であれば、たやすく貫くこともできようが、弓はルジェンの首もとの旅具の中である。黒鉄の剛力、ロレッタの赤剣であれば、と二人を探すのであるが、彼らは衛兵の相手をしているところで──すぐにはこちらに近づけそうもない。
仮面卿は、考えをめぐらせる私を待つことなく、神速の突きを繰り出す。私は、祖父から教わった足さばきで、その場で分身をつくり、かろうじてその突きをかわす。
「──愚かな」
しかし、それこそが仮面卿の狙いだったのである。奴は私を避けて、今や兄妹の眼前に立っている。
「鼠! シオン!」
私は叫んで──再び仮面卿に透しを放たん、と疾風のごとく駆けるのであるが、もはや間に合わない。仮面卿は流水のごとく剣を振りおろして──鼠はシオンを突き飛ばして、その死をあまんじて受け入れるように、迫りくる一撃を見すえる。
「──鼠」
私は呆然とつぶやく。私の手は届かない。
仮面卿の剣は、無慈悲にも鼠を両断した──ように思えた。
「──いただいたぜ、仮面卿さんよ」
そう告げる鼠の手には、彼を縛める鎖のものであろう鍵がある。
「いまだかつて、俺に掏れなかったものはない──そこの忌々しい狩人の財布以外にはな」
鼠は勝ち誇るように、そう言ってのけて──その段になって、私はようやく理解する。
信じられない──鼠は、私の足さばきを一度、いや二度、目にしただけで、それを瞬時に真似て、分身をつくり出してみせたのである。仮面卿はその分身を斬り、鼠はその隙に奴の懐から鎖の鍵を掏り取ったのであろうが──にわかには信じられない。何たる才、何たる度胸であろうか。その天稟たるや、私以上かもしれぬ、と驚嘆して──いつぞや私に透しを真似られた絶影も、このような心持ちだったのであろうか、と思わず苦笑する。
「マリオン、あとは任せた!」
鼠はすばやく自らの枷を外し、シオンの方に取りかかる。私は鼠とシオンの逃げる時間を稼がんと、再び仮面卿の前に立ちはだかる。二人さえ無事ならば、戦いようはある。私は仮面卿の弱点に気づいているのである。
私は疾風のごとく駆けて、四つ身に分身する。仮面卿は類稀なる武人であるというのに、それだけで──というのも酷かもしれないが──私を見失うのである。同等の武人であれば、私の気配を鋭く感じとって、本体を見抜いてもおかしくないというのに、奴はたやすく私を見失う。つまり──仮面卿は目で見ている。理由はわからぬのであるが、気配を感じとることに長けていないのである。
私はそれに気づいているからこそ、分身を多用して、仮面卿を幻惑する。奴の剣が分身の一つを貫いて──私はその隙に懐に潜り込み、疾風のごとく大地を踏み込む。大地を穿つほどの衝撃を、身体をねじりながら手のひらにまで伝えて、奴の腹にそっと触れるような掌打を放って──仮面卿は再び広場の隅まで吹き飛ぶ。
仮面卿には透しでさえも効かぬのかもしれないが、それでも距離をとることはできる。私はその隙に群衆に駆け寄る。私が近づくと、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げ出して──今や私にかかわれば死罪なのであるからして、無理もあるまい──人だかりは櫛の歯が欠けたようになる。
しかし、それは私にとっても都合がよいというもの──私は急ぎ周囲を見渡して。
「ルジェン、フィーリを!」
残る群衆の中にルジェンの姿を認めて、声をあげる。彼女は私の意図を察して、旅具を放って──私は、やや狙いのそれたそれを、飛びあがってつかみとる。
「何なの、あいつ、不死身なの?」
私はフィーリを首にかけるや、急ぎ尋ねる。
「あれは──あの仮面は、おそらく操具です」
「操具?」
フィーリの答えに、思わずその聞き慣れぬ語を繰り返す。
「リムステッラの王太后の宝冠──政具を思い出してください。操具は、ああいった古代の魔法具の一種で、仮面をつけたものを意のままに操ることができるのです」
「──意のままに」
「はい、たとえそのその身体が壊れようとも、意のままに」
フィーリの言に、なるほど、あの身体は最初から壊れているのである、と納得する。だからこそ、人の限界を超えた力を出せもするし、透しを受けても痛みすらないというわけであろう。だが、それならば──その仮面を壊すまで。
「黒鉄! 仮面を狙って!」
「心得た!」
私の声に答えて、黒鉄は巨人の斧を振るう。暴風のごとき一閃は、黒鉄の前に立ちふさがった衛兵を両断する。かろうじて逃れたものも、尻もちをついて失禁しており──ついにはロレッタの魔法の糸に捕らえられてしまったのであるからして、もはや敵ではない。
次いで、黒鉄は広場の隅の仮面卿に狙いをさだめて、猛然と迫る。巨人の斧をまるで棍でも扱うかのように振りまわして。
「ぬうん!」
吠えて、その暴風のごとき一撃を、仮面卿めがけて振りおろす。並のものであれば、一合打ちあうこともできぬであろうその一撃を、しかし仮面卿は受け止める。黒鉄は、二撃、三撃と続けて斧を振るうのであるが、聖鋼の剣は折れず、数合、数十合と打ちあいは続く。
「黒鉄、大丈夫かな」
魔法の糸で衛兵を一網打尽にしたロレッタが、いくらか不安そうに声をあげる。
「大丈夫──ほら」
私は彼女を安心させるように、戦況の変化を知らせる。
どうやら、黒鉄の剛力は、操具の限界すらも超えていたようで、仮面卿は次第に押され始める。打ちあうたびに、剣は徐々に弾かれていって──やがて、その腕ごと打ち払われて、黒鉄の前に視界が開ける。
「くらえい!」
黒鉄は、ここぞと吠えて──巨人の斧の一撃は、ついに仮面卿の、その仮面をとらえる。剛力で振りまわされた斧は、遠心力でさらなる力を得ており、いかな操具といえども受け止めることあたわず──仮面卿の首はあらぬ方向に曲がる。
「まだです!」
と──フィーリが注意をうながすように声をあげる。見れば、仮面卿は折れた首で天を仰いだまま、それでもなお剣を構えて、黒鉄に斬りかかる。
首が折れようとも、操具はいまだ健在ということなのであろう。しかし──と、私はフィーリから取り出した旅神の弓を構える。
仮面卿を操る何ものかは、操具の──つまるところ、仮面の目を通して世界を見ているのであろう、と思う。だからこそ、分身に幻惑されるし、気配を感ずることもできない──で、あれば、今の貴様には、天しか見えてはいまい!
『貫け!』
放たれた矢は光りをまとって、さながら彗星のように飛ぶ。しかし、仮面卿には見えていない。自らに迫る死の脅威を感じてもいない。私の一射は、仮面卿をたやすく射貫いて──さしもの操具も、旅神の弓の彗星のごとき一撃には耐えることができず、仮面卿の首もろとも、粉々に打ち砕かれる。




