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「さっき、何でクラウディレは異人の入国に厳しいかって聞いたよな?」
言って、鼠は酒を一息で流し込む。
東の城郭に程近い酒場で、私たちは夕食をとっている。旅人の往来が少なく、それほど需要がないからであろう、街には酒場は数軒しかないのだという。
案内の礼も兼ねて夕食を奢ると告げると、鼠はシオンを連れ出し、酒場の扉を叩いて──そして、食事もそこそこに酒を飲み始めて、くだを巻いているというわけである。
「その理由を聞きたいって言うんなら──酒が足りねえなあ」
鼠は酒杯を揺らして、おかわりを要求する。奢りとなると遠慮がなく、いっそ清々しいほどである。
「もう、お兄ったら、飲みすぎだよ!」
見かねて、シオンが苦言を呈するのであるが、鼠はどこ吹く風──給仕の持ってきた酒杯をひったくるように受け取り、そのまま一気にあおる。少なくとも私よりは年若であろうに、エールを飲みほして息をつく姿は何とも様になっており、相当に飲み慣れているのであろうな、と思う。
「マリオンさん、ごめんなさい」
「いいのいいの。ほら、シオンも食べたいものがあれば、遠慮しないで」
言って、私は大皿の一つを彼女の方に寄せる。テーブルにところせましと並ぶ大皿には、それぞれに料理が盛りつけられているのであるが、先から彼女は遠慮がちに口をつけるばかりで──それでは奢り甲斐もないというもの。
「ありがとうございます」
シオンは礼を述べて、先よりはいくらか心安く、料理に手を伸ばす。
やがて、鼠は黒鉄と飲みくらべを始めて──勝負は見えているというのに──女たちはそれをよそに歓談に興じる。私はシオンに請われて、これまでの旅のことを語る。多少の脚色を織り交ぜた冒険譚は、私の軽妙な語り口もあって、彼女の興味を引いたようで──私は請われるままに、続きを話す。
そうして、酒宴は続き──やがて、シオンは眠そうにまぶたをこすり始める。おそらく、普段であればとうに寝ている頃なのであろう、うつらうつらと舟を漕ぐ彼女の頭をなでて、私はその肩に真祖の外套をかける。
一方で、鼠は宵っ張りなのであろう、眠気など微塵も感じさせず、先と変わらず酒をあおっている。黒鉄と飲みくらべて酔いつぶれないのは大したものであるが──とはいえ、その年齢で酒におぼれるのもいかがなものか、と思わないでもない。
「それで──何で異人の入国に厳しいの?」
言って、私は鼠の顔をのぞき込んで。
「おかわり飲んだでしょ」
と、その酒杯を掏り取ってみせる。黒鉄ではないのだから、酒はここまで、と戒めると、鼠は舌打ちで返して──とはいえ、奢りの飲み食いには満足したようで、彼は自らの腹を叩いて、品なくおくびを出す。
「わかったよ、話すよ」
鼠は、渋々といった様子で私に手招きをして──大声では話せぬことなのであろう、と察して、顔を近づける。
「この国を治めるクラウディレ王はな──」
鼠はあたりを見まわして、声をひそめて続ける。
「──民からは暴君とおそれられている」
鼠の語るところによると、クラウディレの城郭は、一見して外敵から国を守るためのものであるように見えるのであるが、その実、民を閉じ込める牢獄であるのだという。堅牢な城郭と、クラウディレに忠誠を誓う騎士の監視によって、民は逃げ出すこともできず、搾取され続けているというのである。
「それで──いいの?」
「いいもわるいもないさ。逆らっても死ぬだけなんだからな」
いくらかためらいながらも尋ねる私に、鼠は淡々と答える。その口調には、明らかなるあきらめの響きがある。
「クラウディレがこの地を治めて以来──血気盛んな若衆が異人の力を借りて決起した、なんて話はめずらしいもんじゃねえ。何度もある」
言って、鼠は自らの知る決起の例とやらを、指折り数える。
「直近の決起は、俺が生まれてすぐの頃──物心つく前のことだから、実際に覚えてるわけじゃねえが、それなりの数だったって聞くぜ」
「──で、どうなった?」
黒鉄が酒杯を置いて尋ねる。
「そこそこ善戦はしたらしい──でも、さっきも言ったろ。あっちには仮面卿がいるんだぜ」
なで斬りさ、と鼠は吐き捨てる。
民衆の蜂起というと、エルラフィデスにおけるダヴィア教区の反乱──いや、解放を思い出す。あちらも、たった三人の魔人によって蹂躙されたのであるからして、もしかすると仮面卿なる騎士は魔人と等しいほどの力を持つのやもしれぬ、と思う。
「俺も、シオンも、そのときの虐殺で孤児になった口さ」
言って──鼠は、先に寝入ってしまったシオンを、慈しむように見やる。
その経緯からするに、シオンは実の妹というわけではないのであろうに、彼の目には慈愛があふれている。なるほど、彼女の存在こそが、彼が外道に落ちてしまわぬ最後のよすがとなっているのであろう。鼠がシオンの頭をなでる様を、私は微笑ましくみつめる。
「でも、いくら覇王軍随一の騎士って言っても、もう老齢でしょ」
今なら何とかなるのではないか、とロレッタは続けるのであるが。
「処刑の業前を見てなかったのかよ」
返す鼠の言葉に、私も同意を示す。先の処刑で見せた技の冴え──仮面卿の全盛を知るわけではないが、それでもあれで衰えているとは到底思えぬのである。
「あいつは、得体の知れない何かだ。誰も仮面卿には敵わねえ──」
鼠はどこか脅えるようにつぶやいて。
「ま、物語に謳われる勇者や剣聖なんぞがこの世にいるってんなら、話は別だろうけどな」
そして、その脅えを無理やりに振り払うように、おどけるように続ける。
私は鼠の言に、勇者ブルム、そして剣聖エヴァリエルの姿を思い起こす。確かに、あの二人であれば、覇王軍随一の騎士とて、相手にはなるまい。そして──勇者や剣聖には及ばずとも、私たちであれば仮面卿を打ち破れるのではないか、とも思う。
しかし、当の鼠はそれを望んではいまい。もしも私たちが敗れたならば、私たちとかかわった彼らも死罪となるのである。出会ったばかりの私たちを信用もできぬであろうし、そんな私たちの言動に大切な妹の命を賭けさせるというのも酷であろう、と思う。
「そんなわけだから──」
思いをめぐらせる私をよそに、鼠はようやく当初の問いに戻る。
「仮面卿さえいれば、反乱も怖くはない──とはいえ、それでも王にとっては、異人の助力はわずらわしかったんだろうさ。だから、その善戦以来、クラウディレは入国に厳しくなったってわけ」




