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「──大丈夫?」
トレントの樹液を浴びて、何ともおどろおどろしい姿となった黒鉄に代わって、私が少女に手を差し伸べる。
「──ありがとうございます」
答えて、少女は私の手を取って──私はそのまま少女の身体を引き起こして、その軽すぎる手応えに眉をひそめる。見れば、少女の頬はこけており、まともに食事もとっていないであろうことが見てとれる。
「お腹、すいてない?」
尋ねる私に、少女は腹の音で応えて──彼女は恥じるようにうつむくのであるが、それが何ともかわいらしい。
「あいにく、今晩のスープは、料理の苦手なドワーフがつくったものなんだけど、きっとあったまるよ」
「余計なことは言わんでよい」
私の説明に不平をもらす黒鉄をよそに、ロレッタがスープを碗によそう。スープには、ドワーフが乱雑に切った野菜がごろごろと入っており、食いでがあることだけは確かである。
「私は、シレーナと申します」
少女──シレーナは、スープの注がれた碗を受け取ると、そのあたたかさにいくらか安心したものか、とつとつと身の上を語り出す。
シレーナの語るところによると、彼女は森に住む薬師のもとに奉公しているのだという。薬師は腕がよく、その薬は貴族も買い求めるほどであることから、薬師に奉公できるのは誉である、と家族から送り出されたというのであるが──実のところ、それは単なる口減らしであり、彼女には戻る家はないという。
「その薬師は、何でこんな森なんかに住んでるの?」
シレーナの話に割って入るように、ロレッタが口を開く。確かに、トレントに襲われるような物騒な森に、好き好んで住むものがいるとも思えない。
「この森は、近隣では妖樹の森と呼ばれています。ご主人様の薬には、妖樹の樹液を用いているため、この森を拠点としているのです」
言って、シレーナは黒鉄に両断されたトレントの死骸を見やる。
「妖樹の樹液を用いた薬は、万病を癒すとも言われているんですよ」
「──そうなの?」
万病を癒すとは、まるで命の水のようではないか、と私はルジェンの首もとのフィーリに尋ねる。
「万病を癒すというのは、やや大げさにすぎるかもしれませんが、トレントの樹液に癒しの力があるのは事実です。特に皮膚を再生する効能があることから、美容目的で珍重されていると聞きます」
「そのとおりです──よくご存知なんですね」
シレーナは、その説明がルジェンによるものと勘違いしたのであろう、彼女を尊敬の眼差しでみつめる。
「助けていただいた上に、こんなにあたたかいスープまでごちそうになってしまって──本当にありがとうございました」
スープを食して人心地ついたようで、シレーナは礼を述べて──そして、おもむろに立ちあがる。その様からすると、すぐにでも薬師のもとに戻ろうというのであろうが、それはさすがに無謀が過ぎるであろう、と思う。
「もう夜も遅いし、朝になってから戻ればいいんじゃない?」
「いいえ、すぐに戻らなければ、ご主人様に折檻されてしまいますから」
私はシレーナを引き留めんと言葉を重ねるのであるが、彼女はあたりまえのようにそう返して──それが、私にはたまらなく痛ましく思える。
「じゃあ、送っていくよ」
せめてそれくらいは、と申し出る私に、皆も同意を示すように頷いてみせる。シレーナも、本当のところは心細く思っていたのであろう、張り詰めていた糸が切れるように、ほう、と息をついて。
「──ありがとうございます。助かります」
瞳を潤ませながら、感謝を告げる。
「道はわかるの?」
「森のことなら、お任せください」
私の問いに、シレーナは誇らしげに答える。
私は、幼い少女に森歩きなどできるのであろうか、といくらか不安に思っていたのであるが──任せろというだけのことはあって、シレーナは森を熟知していた。彼女は私の隣に並んで、夜の森を危なげなく歩く。振り返ってみると、ロレッタとルジェンの方が遅れているくらいで──殿をつとめる黒鉄が、早く進まんかい、とぼやいている。
私たちはシレーナの案内で森を行き──やがて、開けた場所に出る。そこは、深い森の中であるというのに、不自然なほどに開けていて──おそらく、件の薬師とやらが切り拓いた土地なのであろう、と思う。
「無事に帰ることができました。ありがとうございました」
シレーナが足を止めて、私たちに礼を述べる──と同時に、雲の切れ間から夫婦月がのぞいて、森の奥深くには似つかわしくない壮麗な館が、月明りに浮かびあがる。
「わあ! ここが薬師の館なの?」
「──はい」
感嘆の声をもらしながら尋ねるロレッタに、シレーナはなぜかうつむいて答える。
「じゃあ──私たちはこれで」
シレーナを無事に送り届けて、役目をはたした私たちは、彼女に別れを告げて──踵を返そうとしたところで、シレーナが私の外套を強く握りしめていることに気づく。彼女の瞳に脅えの色を見て、私はその手を握る。どうしたの、と問いかけようとした──まさにそのとき、私の問いを封じるように、勢いよく館の扉が開く。
「おやおや、帰りが遅いと思ったら、まさかお客様を連れて帰るとは──」
そうぼやきながら扉から現れたのは、老婆──ではなかった。その口調から、年老いた老婆であろうと思い込んでいた私は、彼女の容姿を目にして、あっけにとられる。
「ようこそ、お客人」
そこに立っていたのは、絶世の──しかも、妖艶なる美女だったのである。




