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「外のことを教えてはくれぬか?」
老爺に連れられて、私たちは通路の先にある部屋の、豪奢な長椅子に腰かけている。しかし、豪奢なのは、何も長椅子だけではない。部屋の調度のほとんどは黄金であしらわれており──フィーリに言わせると、品のない装飾であるとのこと──まるで貴族の暮らす部屋のようにも思える。
私たちは、上等な茶をふるまわれて、老爺の歓待を受けている。
「外は──今はどうなっておる?」
私たちの答えを待てずに、老爺は興味津々といった様子で、繰り返し問う。
「私たちは旅人なので、それほどのことはわかりませんが──」
と、前置きをして──私はカルヴェロで見聞きしたことを、かいつまんで話す。
「そうか、そうか──国は平和か」
それは何より、と老爺は満足そうに頷く。その様は、まるで自らが王であるかのようで──その顔に、魔法具によって変えられた偽王の顔の面影を見て、私は、もしや、と疑念を抱く。
「お爺さんは、何でこんな地下で暮らしているの?」
「──何で?」
問われた老爺は、何を問われたかわからぬ、といった様子で、首を傾げる。
「はて──何でじゃったかのう」
どうにか思い出そうと悩む老爺は、どうやらとぼけているわけではなさそうである。なぜならば、老爺はとろんとした眠そうな目で、宙の一点をみつめており──もしかすると、呆けているのやもしれぬ、と思う
「ルジェン、帽子に蜘蛛がついてるよ」
と──不意に、ロレッタが声をあげる。
「え、やだ!」
ロレッタの指摘に、ルジェンは小さく悲鳴をあげる。古代人といえども年頃の娘であることに変わりはなく、彼女は慌てて旅人帽を脱いで、黒鉄に手渡して──黒鉄は帽子が傷まぬよう、優しく蜘蛛をはたき落とす。ルジェンは黒鉄に礼を述べて、旅人帽を入念に確認してから、再び銀髪を隠す。それで事は終わり──ではなかった。
「──その髪」
老爺はルジェンの髪を見るなり、その顔色を変える。
「レクサールの亡霊め!」
言って、老爺は憤怒の形相でルジェンをねめつけて、長椅子から立ちあがる。その目には明らかな狂気が宿っている。
「手勢を引き連れて、儂を殺すつもりなのであろうが、そうはいかんぞ!」
「ちょっと──お爺ちゃん、どうしたの?」
私は慌てて老爺の乱心を止めようとするのであるが──老爺の立ち回りは思いのほかに速い。
「貴様の腕は返さぬぞ!」
吠えて、老爺は傍らの杖を手に取る。杖を握った老爺に危険を感じて──私は臨戦態勢に入る。
「黒鉄!」
「任せい!」
黒鉄は心得たもので、すぐにルジェンの前に立ち、魔鋼の盾を構える。一方で、私はロレッタをかばうように、真祖の外套を広げる──と同時に、老爺が唱える。
『轟雷よ!』
力ある言葉と同時に、部屋中に雷がほとばしる。雷は轟音とともに調度を打ち砕き、部屋はもとの様子がわからぬほどに黒焦げになるのであるが──それほどの魔法であっても、魔鋼の盾と真祖の外套を貫くには至らない。しかし──「轟雷」はいつぞやの宝冠の使用した魔法であり、そこらの魔法使いに扱えるものではないはずである。目の前の老爺──いや、老魔法使いは、相当な魔法の使い手なのであろう、と私は警戒を強める。
「儂が行く!」
言って、黒鉄が前に出て──私は入れ替わるようにルジェンの前に立つ。狭い部屋である。黒鉄は、いつものようには巨人の斧を振るうことあたわず、柄の上部を持って、腰の回転のみで斧を振るう。それでは、いつもの強撃には程遠い──とはいえ、それは剛腕のドワーフの一撃である。その程度であっても、老魔法使いなどひとたまりもないであろう、と楽観していたのであるが──斧は、老魔法使いの眼前で、魔法の障壁に阻まれて、たやすく受け止められる。
「背理の障壁!?」
私は驚愕の声をあげる。
それは、かつて百腕の巨人や護民官が用いた魔法の障壁である。魔神の攻撃すら防ぐ高度な魔法を操るとは、目の前の老魔法使いは、いったい何ものなのであろうか、と疑問を抱き──いや、そんなことを考えている場合ではない、と私はかぶりを振る。
「黒鉄! 私が出る! ルジェンをお願い!」
背理の障壁が相手では、小回りの利かぬ黒鉄では不利になろう。負けぬにしても、戦いにくいとなれば、不測の事態がないともかぎらぬ。
「頼んだ!」
そのあたりの事情を察したのであろう、黒鉄はすぐに引いて、ルジェンを守るように盾を構える。
『──!』
駆け出した私に向けて、老魔法使いは何やら唱える。それは、私の知らない魔法である。何が起こっても対処できるように、私は足を止めて、襲いくる何かを待つ──が、その何かが訪れる気配はない。
『雷撃よ!』
足を止めた私に、老魔法使いは追撃を放つ。その魔法の展開は、先の轟雷よりも明らかに速く、私は避けることあたわず、何とか真祖の外套で雷を弾くにとどまる。
急に老魔法使いの動きが速くなった──いや、違う。私の動きが遅くなっているのである、と気づく。先の魔法は、私の動きを封じるものだったのであろう。そうとわかれば、対処のしようはある。
私は疾風のごとく駆ける。それは、いつもの疾走にくらべれば遅々としたものであったが、老魔法使い相手であれば十分に速かろう、と思う。私は二つ身に分身して──今の速度では二つが限界である──とまどう老魔法使いの、その眼前の障壁に向けて、透しを放つ。相手が背理の障壁であっても、透しであればあるいは通じるのではないか、と思ったのであるが──そこは障壁の方が上手であった。透しは老魔法使いには届かず、奴は勝ち誇るように笑う。
しかし──そうとわかればそれでよいである。なぜならば、私はすでにして、限界を超える動きでもって三つ目の分身をつくり出しており、老魔法使いの死角にまわり込んでいるのである。私は疾風のごとく大地を踏み込み、大地を穿つほどのその衝撃を、身体をねじりながら手のひらにまで伝えて、老魔法使いの背にそっと触れるような掌打を放つ。老魔法使いは吹き飛んで、壁に身を打ちつけて、その場にずるりと崩れ落ちる。ま、死んではいないであろう。
「いったい──何だったの?」
気を失った老魔法使いを見下ろしながら、ルジェンがつぶやく。先の狂気にあてられたものか、その表情には脅えの色が見える。
「そのご老体、腕がどうとか言っておったが──」
と、黒鉄が戦いの余波により床に転がった木箱を拾いあげて。
「もしかして、これのことではないのか?」
その中身を見せるように、木箱をこちらに向ける。
「──うえ」
木箱の中をのぞいたロレッタが、えずくような声をあげて、顔を背ける。黒鉄はその様を見て、ロレッタに次いで中をのぞこうとしていたルジェンを押しとどめる。私は木箱をのぞいて──確かに、ルジェンには見せぬ方がよいであろうな、と納得する。
木箱には、誰のものとも知れぬ、干からびた左腕が入っていたのである。




