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旅神のご加護がありますように!  作者: マリオン
第4話 古城

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6

 本の海を越えると、城主の居室につながると思しき扉があった。

 フィーリに確認して、どうやらこの扉らしい、とグラムに合図を送ると、彼は止める間もなく無造作に扉を開く。


 部屋は、書斎ほどではないにしても広く、そして簡素だった。

 広大な空間には、樹齢にすれば数百年はあろうかという木を用いてつくられたと思しき巨大なテーブルしか置かれておらず、わずかに周囲には──城主はよほどの本好きとみえる──壁面の書架があるのみである。


 テーブルの奥には、男が一人座っている。傍らに少女を侍らせて、我々の到着を待っていたかのように、泰然と構えている。

「知らない方ですね」

 男──おそらく吸血鬼──の顔を見て、フィーリがつぶやく。


 少女は、見たかぎり、まだ人間のようだった。傍らの吸血鬼に脅える様が演技なら、大したものだと思う。部屋に入ってきた私たちを認めると、少女は呪縛から解き放たれたように、椅子を蹴り倒してこちらに駆け寄る。


「唯一の生き残りだな」

 グラムに駆け寄ろうとした少女は、その威容に畏怖を覚えたものか、逃げるように私の方に駆けてきて、隠れるように背後にまわる。だよね。

 少女を安心させようと、ぎゅっと抱きしめて、頭をなでる。

「必ず助けるから、扉を抜けて、書斎で待ってて」

 少女を扉の向こうに送り、吸血鬼に向き直る。


 吸血鬼はゆるりと立ちあがり、私たちをねめつけながら、近づいてくる。

「始める前に聞かせろ」

 大剣を肩にかついで、グラムが問う。

「お前はスヴェルの村を知ってるか?」

 雪に閉ざされた小さな村だ、と寂しそうに続ける。


 グラムの問いに、吸血鬼は答えなかった。知っているのでも、知らないのでもない。そもそも人間と話す気などないようで、口を開くそぶりさえ見せない。

「知らないならいい。心置きなく死んでくれ」

 言うが早いか、グラムは一瞬で距離を詰めて、大剣を横薙ぎに振るう。


 グラムは速い──しかし、吸血鬼はさらに速かった。グラムの一閃をかいくぐるように避けて、ぬるりと懐に飛び込む。吸血鬼の拳がグラムの腹をえぐる──その寸前に、空を切ったはずのグラムの斬撃は、まるで初めからそういう軌道を描くつもりであったかのように戻ってきて、真上から吸血鬼を打ち落とす。怪力で敵を吹き飛ばすような戦い方ばかりのグラムであったが、意外なことに剣の腕も一流だった。


 地べたに這いつくばるように叩き落とされたことが、よほど屈辱だったとみえて、先ほどまでの余裕はどこへやら、吸血鬼は醜く顔を歪める。


 再び対峙する。

 先制するのはグラム。しかし、グラムの初撃を上まわる速度で、吸血鬼が回避する。さらに、吸血鬼の回避を上まわる技術で、グラムが追撃する。とはいえ、渾身の初撃ではない小手先の追撃では、吸血鬼に隙をつくるような一撃にはなりえない。

 二人の実力は拮抗している。


 それならば、その均衡を崩せばよい。

 グラムの攻撃にあわせて、さらにそれを避ける吸血鬼の動きを予測して、矢を放つ。吸血鬼を滅ぼすことはできなくとも、旅神の矢であれば、その動きを牽制することくらいはできる。たかが弓矢とでも見くびったのだろう。避けようともしなかった吸血鬼は、旅神の矢をまともに額に受けて、思わぬ衝撃にのけぞる。


 のけぞった先には、グラムの初撃があった。


 グラムは本当に一流の剣士だった。私の牽制も織り込み済だったようで、先ほどまでは追撃に切り替えていた初撃を、軌道を変えることなく振り切って、人間離れした怪力で吸血鬼を吹き飛ばす。吸血鬼は壁に叩きつけられ、したたかに頭を打ちつけて、脳を揺らす。


「グラム!」

 私の投げた白木の杭を受け取り、グラムは猛然と吸血鬼に迫る。いまだに立てずにいる吸血鬼の心臓めがけて、杭を振りおろす。杭は吸血鬼の表皮をえぐる──が、肉を貫いてはいない。いまだ心臓をえぐってはいない。


 グラムは、左手で杭を握り、右手で大剣の柄を振りおろす。鉄塊のごとき大剣を打ちつけられて、杭が肉を貫いてわずかに沈む。

「人間ごときがあああ!」

 間近に迫る危機に、なりふり構っていられなくなったものか、吸血鬼が叫び声をあげる。再度振りおろされんとする大剣めがけて拳を振るい、鉄塊を部屋の隅に弾き飛ばす。しかし、武器を失っても、それでもなお、グラムは怯まない。


「人間ごときの怒りを思い知れ!」

 吼えて、杭に拳を叩きつける。何度も、何度も叩きつける。血まみれの拳を打ちつけるたびに、少しずつ杭は肉をえぐる。

 心臓に迫る死の恐怖から逃れようと振りまわした吸血鬼の拳が、図らずもグラムの腹をえぐる。吸血鬼の膂力は、私が想像していたよりも凄まじいようで、あのグラムでさえ、たった一撃で、その場に崩れ落ちる。


 しかし、私は待っていた。グラムが倒れるその瞬間を。


 長大に変じた弓を構えて、グラムが倒れると同時に、その背に向けて矢を放っていた。吸血鬼からすれば、倒れたグラムの影から、突然矢が飛び出してきたように見えたことだろう。

 奇襲の一撃は、勝ち誇り、無防備となった吸血鬼の胸を撃った。矢は、白木の杭を押した。吸血鬼の顔が、一瞬で絶望の色に染まる。


 しかし、一方で、旅神の弓で放たれた矢は、私の想定よりも強すぎた。杭を押すと同時に、次の瞬間にはそれを打ち砕き、吸血鬼の胸をも貫いてしまう。胸に空いた穴は、吸血鬼に滅びを与えるには足りず、飛び散った肉片は主のもとへと戻り始める。

 あと一押し足りなかった。グラムが身を挺して引き寄せた千載一遇の好機を逸する。


 私など目にも入っていなかったのだろう。矮小な存在であるはずの私に恐怖を植えつけられるなど、あってはならないことである、と言わんばかりの憤怒の形相で、胸に刺さった杭の欠片を抜いて投げ捨てる。

「殺す」

 短くつぶやいて、吸血鬼は私に襲いかかる。


 吸血鬼の力は凄まじく、それ故に速い。グラムほどの男が負けるのだから、人間には超えることのできない壁なのかもしれない。しかし、それでも知覚で劣っているとは感じない。迫りくる吸血鬼の存在を、私の感覚は確かにとらえている。それならば──あとは吸血鬼より速く動くだけでよい。

 ウェルダラムで手に入れた疾風のブーツの力を解き放ち、襲いくる吸血鬼を迎え撃つ。


 疾風のごとく駆ける。速く、速く、さらに速く。視覚を振り切って駆ける。床を、壁を、天井をも蹴って、縦横無尽に駆けめぐる。祖父から教わった体術の足さばきを織り交ぜて、さらに視覚を幻惑する。

 黒鉄相手に試してみたところ、何人もの私が見えると言って、めずらしく昨晩の酒が残っておるのう、などと目を擦っていたのだから、吸血鬼には私の分身が見えていることだろう。


 まさか()()()反撃を受けるとは思ってもいなかったのだろう。吸血鬼は突進の途中で足を止め、呆けた顔で立ちすくむ。

 前後左右から襲いかかる私の分身を振り払うように、吸血鬼は闇雲に腕を振る。本物の私は、すでに後方に飛びながら、弓を構えて狙いをさだめている。うろたえて、私を認識することさえできていない吸血鬼の姿に、自らが奴よりも格上であることを確信して、唱える。


『貫け』


 放たれた矢は、一条の光となって、吸血鬼の心臓を貫く。彗星のごとき一撃を受けた吸血鬼は、衝撃で吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。

 吸血鬼は、指先から緩やかに灰となり崩れ始める──が、その滅びの気配は全身までには波及しない。心臓からわずかにそれていたのだろう。はやる気持ちに獲物を仕損ずるとは。自らの未熟を恥じる。

「この私が! 吸血鬼の祖たる、この私が、こんなところで!」

 わめき散らす吸血鬼は、憎悪に満ちた双眸で、私をにらみつける。


 もう一撃。そう思って弓に矢をつがえる──その瞬間だった。


 壁を透り抜けて現れた華奢な腕が、吸血鬼の背後からその首をからめとる。

 次いで壁から現れたのは、闇より深き黒衣の美貌だった。男は、吸血鬼の顔を背後からのぞくようにして、異様に紅い唇を開く。


『嘘をつくな』


 ぞわり、と全身が粟立った。

 どうする、と考えるよりも速く身体が動く。疾風のごとく飛び出て、グラムの脚をつかみ、引きずるようにして壁際に戻る。


 それは、ほんの数秒──しかし、獰猛な獣に背中を向けるような致命的な数秒であったというのに。壁を抜けて現れた男は、こちらを歯牙にもかけぬ様子で、吸血鬼の首を艶めかしくなでている。

『余の血族の末にすぎぬお前が、吸血鬼の祖を名乗るとは、嗤わせる』

 吸血鬼の耳もとで、囁くように告げる。

『消えろ』

 命ずると、それに応えるように、吸血鬼は瞬く間に灰と化す。命乞いの暇すらない死の宣告だった。男の足もとに砂山のように積もった灰は、さらさらと流れて裾野を広げる。


『余の館がこれほど荒れ果てるとは、痛ましい』

 独り言のようにつぶやく。男が口にしているのは公用語ではない。そうではないのに、言葉の意味がするりと腑に落ちる。それがたまらなくおそろしい。

 周囲を見渡して、男は部屋の中心までゆるりと歩み、おもむろに指を鳴らす──と、男を中心に、水面に波紋が広がるように、清浄な気配が周囲を満たす。気づけば、先ほどまでの荒れ果てた城内はなく、嘘のように清らかで、塵一つない。


『さて』

 男が視線をこちらに向ける。

 翡翠の羽のような黒髪から、真紅の両眼がのぞく。殺気もなく、ただ向けられただけの視線に、それでも心臓を射抜かれたような錯覚を起こす。意識を刈りとられぬよう下唇を噛んでこらえ、膝をつかぬよう震える脚を叩いて活を入れる。


 男が近づく。

 疾風のブーツの力であれば、男を出し抜くことができるだろうか。否。いくら考えをめぐらせてみても、分身を見切られる未来しか浮かばない。

 それでも絶望などしない。死の覚悟などしない。絶対に生き延びる。そう決意して、震える脚に力を込めて、眼前に迫った男の顔を、にらみつけるように見あげる。

 しかし、男は私のことを見てはいなかった──いや、正確に言えば、私の胸もとに視線を向けて、唐突に語りかけた。


『フィーリではないか』

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