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数日をかけて砂漠を越えて、私たちは久々に緑地に足を踏み入れる。緑地は、次第にその緑を深くして──やがて、緩やかにのぼり、高原へと至る。
高原には、私たちのような来訪者を待ち構えていたかのように、朽ちた砦が残っている。どうやら、とうの昔に打ち捨てられているようで、あたりに人の気配はない。開け放たれた砦門を抜けると、その先に道──おそらく街道が続いており、私たちはついに東方諸国に足を踏み入れたのだと実感する。
東方の街道は、中原のものと比するといくらか粗雑で、おそらくは人の手によるものであろう、と思う。もしかすると、件の覇王とやらが、東方を征服した際につくらせたものかもしれぬ、と私は歴史の重みを感じながら、その石畳を踏みしめる。
街道をいくらも行かぬうちに、私たちは南に向かう行商とすれ違う。その行商の言うことには──ロレッタが色仕掛けで馬車を停めさせたのである──南方との往来は盛んなようで、私たちのような旅人の訪れもめずらしくはないのだという。
「旅慣れたものなら、一日も歩けば、カルヴェロにたどりつくはずさ」
ロレッタの美貌に鼻の下を伸ばした行商は、北を指して、そう告げる。
カルヴェロ──城郭都市カルヴェロは、東方諸国の南端に位置する小国で、南方との貿易により栄えている──とは、先に別れた行商の談である。
「ずいぶんと──栄えているのね」
そして、その言に偽りはなかった。砂都アスファダンほどではないにしろ、カルヴェロの市場は活況で、ルジェンは旅人帽のつばを持ちあげて──目立つ銀髪を隠しているのである──驚きの声をあげる。
「蛮族もやるもんでしょ?」
からかうように言って、私は鼻を鳴らす。それを聞いたルジェンは──彼女の公用語の上達は著しく、自らがからかわれたことを解したようで──手を振りあげて叩くそぶりを見せて、私は笑いながらその間合いから逃れる。
私たちは市場を歩きながら、露店を眺める。初めて訪れる東方諸国、見るものすべてが目新しい──と、言いたいところであるが、どうやらそういうわけでもないようであるなあ、と私は気づき始める。
「何だか、中原とあんまり変わらないねえ」
言って、ロレッタはつまらなさそうに唇を尖らせて──確かに、と私も頷く。アスファダンの異国情緒にあふれた市場にくらべると、カルヴェロは中原の地方都市であると言われても信じてしまうくらいに、露店には見慣れたものしか並んでいないのである。しいて言うならば、目の前の露店の棒状の菓子が物めずらしいくらいであろうか。
「あんたら、旅人さんだろう」
と──まさにその露店の商人が、流暢な公用語で語りかけて。
「中原からの旅人さんは、みんなそういう顔をするんだよ」
商人は私たちの顔を眺めながら苦笑する。
商人の語るところによると、覇王レクサールは、その征服の過程で、東方の土着の文化を排除して、中原の文化を取り入れるという施策を推し進めたのだという。当時のレクサールに逆らうことのできるものなどおらず──その施策ゆえに、このあたりは中原色に染まり、公用語を解するものも多いというのである。
「一説には、覇王レクサールは中原の出身だったんじゃないかとも言われてるんだよ」
そう結ぶ商人は、話の駄賃でも欲するかのように、このあたりの伝統菓子であるという棒状の菓子を売りつける。菓子は、棒状に並べた木の実を、葡萄の果汁と糖蜜で固めたもののようで、独特の食感が面白い。商人の、その商魂のたくましさに敬意を表して、携帯食にもなるであろうから、と私たちは追加で菓子を買い込んで、フィーリに放り込む。
商人に礼を述べて、私たちはその菓子をかじりながら、再び市場を行く。やがて、市場を抜けたところで、向かいから近づいてくる男が、にこやかに笑うのを見て──私は嫌な予感を覚える。私は男の視線から逃れるように斜めに道を行くのであるが、男の方も斜めに道を来て、私の行く手を阻むように立ちふさがる。
「リムステッラの巡察使──マリオン殿とお見受けする」
男は確信ある口調で告げる。
おいおい、どこかで経験したことのあるような流れではないか。どうせまた何やら頼まれごとをして、厄介事に巻き込まれるのであろう。わかっているのだぞ!──と、言いたいところなのであるが、首を振る黒鉄に止められて、私たちはやむなく城に連れられる。
「呼びたてて、すまぬ。許せ」
カルヴェロ王は、現れるなり、まず私たちに詫びを述べて──そのことに私は少なからず驚く。王というものは、少なくとも私のようなものに詫びることはないと思っていたのであるが──カルヴェロ王の、その王らしからぬ実直さに、私は好感を覚える。
「アスファダン王より、触れがあってな。それで、リムステッラの巡察使殿のことを知ったのだ」
「──触れ?」
私は思わず問い返して──自らの無礼に気づいて、慌てて顔を伏せる。
「アスファダン王の名において、よしなに、とのことよ」
王は私をとがめることもなく、からからと笑いながら続ける。
カルヴェロ王の語るところによると、アスファダンは南方を統べる大国であるのだという。ゆえに、アスファダン王の言は、東方諸国の南側において、絶大な影響力を誇るというのであるが──私は、好々爺然としたアスファダン王を思い出して、そんなに偉いお爺ちゃんには見えなかったなあ、と失礼なことを考える。
「さて──」
と、おもむろに王は口を開いて──脇に控える近衛兵を見やって、部屋から出るよう、手振りで命ずる。
「儂がよいと言うまで、入るでないぞ」
王の命に、近衛兵はいぶかしげな顔を返しながらも、逆らうことなく部屋を辞する。
「いったい、何のご用がおありなのですか?」
一国の王が人払いまでして、一介の巡察使に何の用があるというのか、皆目見当がつかず、私は疑問の声をあげる──と、驚くべきことに、王は玉座から立ちあがり、小走りで私に近づいたかと思うと、私たち以外には誰もいないというのに、それでもなお声をひそめて、ささやくように私の耳もとで告げる。
「王を探してほしい」
「──は?」
私は伏せていた顔をあげて、呆けた声をあげる。
「実は──儂は本当の王ではないのだ」




