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「こんな島が空に浮かんでいたとは──いやはや、世界は広いもんだなあ」
アルグスは手庇をして、廃墟となったナタンシュラの宮殿跡を眺めながら、そうつぶやく。
ナタンシュラは、そのほとんどが落下の衝撃で崩壊していたのであるが、宮殿を含む一部の区画については、深く根を張った大樹のおかげであろうか、島としての原形をとどめていた。
私たちは、ロレッタの魔法の糸を頼りに島の岩壁をのぼり、高台から宮殿跡を見下ろしている。その破壊の爪痕は凄まじく──古代の都市をして、ここまで崩壊せしめたのであるから、その衝撃たるや、推して知るべしである。
「しっかし、ロレッタの親父だっけか──こんな崩壊に巻き込まれて、生きてんのかねえ?」
アルグスは北方の男らしく、ロレッタの前で配慮の欠片もないことを口にする。彼女の父親が勇者ブルムであると知っていたならば、そんな発言は出ていないのであろうが──話すとややこしいことになりそうだから、と私たちは口をつぐんでいる。
「手分けして探そう」
ナタンシュラは、もとは島である。ゆえに、その一部であろうともそれなりの広さであろうから、手分けした方がよかろう、と提案する。ひょっとすると、盗賊とはちあわせることもあるかもしれぬが、この場にいるものなら、二人もいれば不覚をとることもあるまい。
ルジェンの護衛は黒鉄に任せて、私は一人でもよいかな、と歩き出したところで。
「おう、マリオン、一緒に行こうぜい」
と、アルグスが私を呼びとめる。おいおい、ラディと行けよ、と私は目で訴えるのであるが、アルグスはどこ吹く風──何ら気にするそぶりもなく、私の背をどんと押す。正直なところ、アルグスの怪力よりも、背中に刺さるラディの視線の方が痛い。
私とアルグスは、宮殿跡を真っすぐ抜ける道を選ぶ。宮殿跡といっても、私はこの目で見たことがあるからこそ宮殿の跡であると認識しているだけで、初見のアルグスにとっては、ただの瓦礫の山にしか見えまい。かろうじて残った宮殿の床は、上質な石材を用いられているようで、私たちの足音は美しく鳴り──そして滅びた都市に空しく響く。
「アルグスたちは、何でアスファダンにいるの?」
何気ない私の問いに、アルグスは苦笑しながら答える。
「このあたりには、何でも願いをかなえてくれるという魔神の伝説があってな」
アルグスの語るところによると、エントマで別れてから、彼らはその伝説を追って、海を渡ったのだという。砂漠の民の口伝を頼りに、どうにかアスファダンまではたどりついたものの、そこから先はあてどもなく、どうしたものかと思案しているところに、彼らの滞在を聞きつけた王からお呼びがかかったのである。アルグスは名の知れた英雄である。その名は遥か南方にも轟いており、こうして盗賊討伐を頼まれるに至ったというわけである。
「何でも願いをかなえてくれるっていうんだから、ラディの呪いも解けるだろうと思ってたんだがなあ」
当てが外れたよ、とアルグスはぼやく。
「ずいぶんとうさんくさい話を当てにしたもんだねえ」
「違いねえ」
あきれる私に、アルグスはからからと笑ってみせる。そのあっけらかんとした様からするに、アルグス自身も、わずかな期待を抱いているという程度なのであろう、と思う。
私たちは宮殿跡を抜けて、都市の目抜き通りであったろう、石畳を行く。都市部は宮殿よりもさらに崩壊が激しく、先に訪れた酒場など、どこにあったやらわからぬほどで──あの葡萄酒は惜しいことをしたなあ、と私は悔いる。ルジェンの冷たい視線に耐えてでも、もう二、三本くらいは失敬しておくべきであった。
「そういえば──魔神ってさ、この世界を乗っ取ろうとしてるらしいよ」
葡萄酒のことを考えるうちに、ナタンシュラでの出来事を思い起こして、私はアルグスに告げる。魔神王の語った悪魔の目論見──それがすべての悪魔に共有された悲願だとすれば、砂漠の魔神とやらも、願いの代償に何を求めるやら、わかったものではない。
「だから、仮にその砂漠の魔神をみつけても、願い事なんてしない方がいいのかもよ」
そういった理屈を、私は魔神王とのやりとりを交えて、かいつまんで説明する。
「なるほどなあ。願いをかなえてくれるだけ──なんていう都合のいい話はないかあ」
アルグスは、一縷の望みも絶たれたというように、大きな溜息をつく。
やがて、目抜き通りが途切れて、私たちは見るも無残な瓦礫となったナタンシュラの正門を越える。宮殿跡、目抜き通りと過ぎて、しかし私たち以外の気配はない。とはいえ、さすがの私も都市の全域の気配を感じられるわけではないから、仲間たちのうちの誰かがブルムか盗賊をみつけている可能性はある。
「他のみんなは、何か収穫あったかなあ」
つぶやきながら、ナタンシュラの郊外であった草原を行く。草原には金目のものはないのであるからして、少なくとも盗賊はおるまい──と、私たちはいくらか気を抜いて歩く。
「アルグスはさ──ラディのこと、どう思ってるの?」
私は、ずばり、アルグスに尋ねる。余計なお世話だとわかってはいるのであるが、ラディの気持ちを知ってしまったからには、実際のところはどうなのであろうと気になるのが人情をというもの。
「どうって──そりゃあ、お前、相棒だよ」
アルグスは、心なしかぶっきらぼうに答える。おやおや、この反応からするに、アルグスの方もラディのことを憎からず思うておるのではなかろうか、と私は世話焼き婆のごとき心持ちとなって、ほくそ笑む。
「これは──何だ?」
と、不意にアルグスが声をあげる。私は、話をそらすでない、と噛みつこうとして──どうやらそれが偽りなく本心からの疑問の声であることに気づく。アルグスの見すえる先には、かつて転移門であったもの──石柱の門の名残がある。石柱はすでに折れ、無残に崩れており、かつてのように転移門として機能している様子はない。
「もしかして──」
私は世話焼き婆の心持ちを忘れて──ある可能性に、思わず声をあげる。今や無残に崩れた転移門も、私たちが島から飛び降りた折には、まだ正しく機能していたはずである。となると──もしかするとブルムは、墜ちる都市に一人残ったのではなく、かといって私たちのように飛び降りたのでもなく──転移門から北壁の頂上に戻ったのではなかろうか、と思い至る。
墜ちたら死ぬ──ブルムのその言葉に誘導されて、私は飛ぶよう仕向けられてはいなかったか。
「──あの野郎」
あのとき、私は一人ではなかったから、実際に転移門を目指していたとしても、間に合ったかどうかはわからない。しかし、飛び降りるしか道がなかったわけではないのだと悟って──私はブルムの小憎らしい顔を思い出して歯噛みする。
「アルグス、もう探さなくていいよ」
私は付近の草むらをかきわけるアルグスを呼びとめる。
「たぶん、探し人は、もうここにはいないと思う」
そう告げると、アルグスは、お前が言うんならそうなんだろう、と納得を示して──私たちは、盗賊探しに専念すべく、踵を返す。
「──マリオン!」
そのときだった。正門の方から、私を呼ぶ声がして──見れば、ロレッタとラディがこちらに駆けてくるところで、私とアルグスは顔を見あわせて、すわ何事か、と二人の到着を待つ。
「ちょっと待って──」
やがて、私たちのもとにたどりついたロレッタは、息もたえだえに、そう告げる。肩で息をしながら、なかなか口を開こうとせぬロレッタにやきもきして──そういうことならばこちらから、と私はおもむろに口を開く。
「ロレッタ、残念だけど、ブルムは──」
と、首を振る私に、ロレッタは首を振り返す。
「──あたし、別の探し人、みつけちゃったかも!」




