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砂の都アスファダンは、突如として砂漠に現れた──青い宝石であった。
都市の建造物は──おそらく、良質の石材が乏しいからであろうが──煉瓦を用いてつくられている。しかし、それは私の知る単色の煉瓦ではない。青を基調として様々に彩られており、単調な砂漠に慣れた目には、まぶしいほどに映るのである。
私たちはアスファダンに入るため、その正門に並んでいる。その列には、私たちが同行しているような商人から、長い旅路を経たであろう巡礼者まで、様々なものたちの姿がある。普段であれば、それらの人々に目を引かれていたかもしれないのであるが──私は今や眼前の鮮烈な青に目を奪われている。いてもたってもいられずに、列を抜けて前に歩み出て、どれどれ、と門の青に触れてみる。
「──おお」
と──指先に、煉瓦の感触とは異なる、つるりとしたなめらかな感触を覚えて、私は思わず声をあげる。
「これは──釉薬をかけておるのう」
同じく門の煉瓦に触れた黒鉄がつぶやく。
黒鉄によると、南方の陶器は、釉薬と呼ばれる薬品のようなものをかけて仕上げるのだという。そうすることによって、表面がなめらかな手触りになるというのであるが──ま、詳しい説明は聞いてもよくわからないので、右から左に聞き流す。そういえば、いつぞやの伯爵の茶会で用いられた陶器も、このようになめらかな手触りであったなあ、と思い出す。もしかすると、あれは遥か南方から取り寄せた陶器であったのかもしれぬ、と遠く離れたリムステッラに思いを馳せて──私は柄にもなく郷愁を覚える。
そうこうして物思いにふけるうちに、いつのまにやら私たちの順番となっており──隊長が衛兵と話し込んでいる。互いに軽口を叩いているその様を見るに、どうやら隊長はその衛兵とは顔見知りのようで──しばらくすると、二人は笑いながら肩を叩きあって、隊商はすんなりと通過を許される。
「ありがと、助かったよ」
よそものの私たちだけではこうはいかなかったかもしれぬ、と私はあらためて隊長に礼を述べる。
「ま、『汝には利益を──しこうして、我にはさらなる利益を』と言うからな」
隊長は、何やら格言めいたことを言って、豪放に笑う。
「最近は盗賊の被害が多くてな。俺たちにとっちゃあ、あんたらを連れていく方が、より利益が大きいと判断しただけさ。気にしなさんな」
盗賊の被害が多いとは物騒な話であるが、そのおかげで私たちの同行がかなったとなると、何とも複雑な心持ちである。
「ところで──どこに向かってるの?」
隊商は目抜き通りを行かず、すぐに道を折れて、都市の東側に向かっている。
「俺たちは隊商宿に泊まるんだ」
私の問いに答えながら、隊長は先に見える建造物を指し示す。
隊長によると、アスファダンをはじめとする砂漠の都市には、寄進によって運営される公共の施設があるのだという。隊商宿もその施設のうちの一つとのことで、その呼び名の印象に反して、隊商に属する商人だけでなく、誰であっても──異教徒たる私たちであっても!──無償で泊まることができるというのであるから、何とも民思いの施策であるなあと感心する。
「あ、でも──」
と、隊長は振り返りながら、気遣わしげな声をあげる。
「隊商宿は大勢でごった返してるからなあ──そっちのお嬢さんの顔色もよくないし、金があるなら別の宿にした方がよいかもしれんな」
言われて、私は振り返り、後ろを歩くルジェンの顔をのぞく。確かに、疲労の色濃く、足取りも重い。隊長に指摘されるより先に、私が気づくべきであったと悔いる。
「ま、アスファダンほどの都市になれば、旅人の訪れも多い。宿もいくらでもある。泊まるところくらい、すぐにみつかるさ」
私たちは隊長に礼を述べて、隊商と別れて──何はともあれ宿を探す。旅慣れぬルジェンの存在もあって、いつもよりも奮発して、よい宿に決める。
アスファダンは中原ではないから、本来であれば両替商に頼んで、現地の通貨に両替しなければならないのであるが──面倒なので、その手間賃も含めて、気前よくウェルダラム金貨を一枚、先払いで宿の主に渡す。彼の満面の笑顔を見るに、見知らぬ国であっても、金貨は中原と同様の価値があるようで、大変ありがたい。
「ようこそ! 異国のお客人!」
さすがによい宿だけのことはあって、主は公用語を解するようで、私たちは笑顔で歓待を受ける。主の公用語は、話し慣れていないからか、言葉遣いこそ若干荒いのであるが──しかし、彼の気遣いは一流のものであった。
「あんたら、そんななりで大丈夫なのかい?」
主は、私たちを部屋に案内しながら、心配そうに語りかける。
「せめて、頭くらい布で覆わないと、太陽に食われちまうよ」
そう言ったかと思うと、主は宿の奥に引っ込んで──しばしの後、真っ白な布を手に戻ってくる。その布を渡されて、私たちは主に倣って、見よう見真似で頭に布を巻いていく。
確かに、言われてみれば、隊商のものも、宿までの道すがらにすれ違ったものも、皆一様に、頭に布を巻いていた。主の言うところの、太陽に食われぬように備えるというのであれば、砂漠の民の知恵にあやかるべきであろう。
「特にあんた──あんたは髪の毛を隠しておいた方がいいだろうね」
主はそう言いながら、布巻きに苦戦するルジェンに手を差し伸べる。
「銀の髪なんて、初めて見たよ。教国ではめずらしくないのかい?」
「めずらしい──と思う」
主に布を巻いてもらいながら、ルジェンは──フィーリの補助もあって──拙い公用語で、とつとつと返す。
「それを聞いて安心したよ。こんな別嬪さんがあふれているんだとしたら、教国に移住したくなっちまうからね!」
主はおどけるように言って──ルジェンは思わずといった様子で、ほんの少しだけ口もとをほころばせる。
次の日──昨日と変わらず沈んでいるルジェンを少しでも元気づけようと、私たちは半ば無理やりに彼女を連れ出す。隊長から、隊商宿の近くに市場があると聞いていたので、気晴らしくらいにはなるであろうと軽い気持ちで出かけたのであるが──その市場の盛況さといったらなかった。
「──わあ!」
ルジェンは、砂漠に墜ちて以来、初めて年相応の無邪気な声をあげる。そうであろう、そうであろう。何せ、今や旅慣れた私の方こそがはしゃいでいるのであるからして、彼女にもはしゃいでもらわねば、私の立つ瀬がない。
隊商宿の向かいの広場には、隙間がないほどに露店が建ち並んでいた。それどころか、広場の先に見える歩廊にも、さらにその先の歩廊にも、絶えることなく露店が建ち並んでおり、どこまで続いているやら、見当もつかないのである。
「砂の都の市場は、この世のありとあらゆるものが売っている、と謳われております」
ルジェンの胸もとで、フィーリがそう言って──私は、さもありなん、と頷く。露店で売られている工芸品は、どれも腕のよい職人の手によるもののようで、中原ではお目にかかることさえできそうにないその異国の情緒あふれる造形に、私は目を奪われてしまう。
「おじさん、これちょうだい!」
ロレッタは言葉も通じないのにそう言って、身振り手振りだけで、何やら果物のようなものを買う。彼女はそれを手で割って、そのうちの一片を私に放る。それは、どうやら果物の果肉を干したもののようで──その黄色い干し果物を噛むと、程よい甘さと、さわやかな酸味が、ふわりと口内に広がる。あら、おいしい。
私はその干し果物を気に入って、他のものも試してみようと近場の露店を見まわして──その段になって、市場に果物類が豊富であることに気づく。砂漠であるにもかかわらず、と意外に思ったのであるが──いや、砂漠であるからこそ、果物の需要があるのだと思い至る。需要さえあれば、たとえ砂漠の真ん中であろうと、露店に果物が並ぶのであるからして、まったく砂漠の商人というのは、商魂たくましいものであるなあ、と感心する。
そうして、あちらこちらと市場を歩き、ルジェンもいくらか笑えるようになった頃のことである。私は、市場には似つかわしくない衛兵の一団を視界の端にとらえる。はて、何か事件でも起こったのであろうか、と様子をうかがっていると、あろうことか、衛兵の一団は、私をめがけて雑踏をかけわけてくる。
「リムステッラの巡察使──マリオン殿とお見受けする」
衛兵の長と思しき年かさの男が歩み出て、私にうやうやしく語りかける。その物腰はやわらかく、私は思わず警戒を解きそうになるのであるが──その一方で、後ろに控える衛兵たちは緊張の面持ちを隠せてはおらず、私たちの一挙手一投足に注目しているのが見てとれる。おそらく、私たちが逃げ出しはしまいかと警戒しているのであろうが──まったくもって、厄介事の予感しかしない。
「──どうする?」
黒鉄が問う。暴れるか、と尋ねていることは明白なので、かぶりを振って答える。なぜに砂都の衛兵が私のことを知っているのかはわからぬが、ともあれ私がリムステッラの巡察使であると知りながら、無体なことをするとも思えぬ。
「いかにも、私はリムステッラの巡察使──マリオン・アルダ」
私は彼らを真っ向から見すえて、堂々と名乗りをあげる。
私たちは、あれよという間に宮殿に連れられて──気づけば、天蓋のある玉座の前に跪いている。目を伏せているのでさだかではないが、先にちらりと見えた威厳ある姿──頭に布を巻き、立派な髭をたくわえたその老爺こそが、アスファダン王その人なのであろう、と思う。隣に控えているのは宰相であろうか。
「リムステッラの巡察使──マリオンよ」
王は流暢な公用語で私に呼びかけて──私は目を伏せたまま、いったい何故呼び出されたのであろうか、と神妙な面持ちで言葉の続きを待つ。
「いや──」
と、王は口にして、たっぷりの沈黙の後、おもむろに続ける。
「大罪人──島墜としのマリオンよ」
不意にそう告げられて──私は背に滝のような冷や汗をかく。
「余にあれこれと言われずとも、身に覚えはあろう」
確かに──身に覚えはある。私は思わず、ごくり、と喉を鳴らす。しかし、この砂漠の地において、その事実を知るものなどいないはずであるというのに──。
「貴様らを、極刑に処す」
考えをめぐらせる私をよそに、王は無情なる判決を下す。そのあまりの衝撃によるものであろうか、私の耳には、かすかに耳鳴りのような鈍く濁った音が響く。考えている場合ではない。すぐにでもこの場を脱出せねば、と決意した──そのときであった。
「──と、言いたいところなのであるが」
王は、先までとは打って変わって、からかうように笑いながら続ける。
「余の客人が、どうしても貴様らが必要であるというのでな。条件次第で恩赦を与える」
言って、王が手を叩くと、それを待っていたかのように玉座の間の扉が開いて、巨人のごとき大男がぬっと姿を現す。
「よう──久しぶりだな」
と、のんきな声をあげて現れたのは誰あろう──北方の英雄アルグスであった。




