1
私たちは想像を絶するほどの高所から落下していた。しかし、どうやら北壁に向かって落下しているわけではないようである、と気づく。浮島の、その浮遊の原動力たる風の大魔石の力が失われたときから、すでに下降は始まっていたのであろう。高所からの緩やかな下降により、浮島は思わぬほどの距離を移動していたようで──眼下には、見たこともないような砂の大地が広がっている。
『風よ!』
私は風を巧みに操って、落下しながらも、黒鉄のそばに寄る。
「黒鉄! ロレッタを起こして!」
つべこべとうるさかったから気絶させたものの、困難にあっては、やはりロレッタの魔法は頼りになろう。
黒鉄は頷いて、肩にかついだロレッタに、器用に活を入れる。
「おはよう」
目覚めたロレッタに、私は朗らかに告げる。
「──墜ちるううううう」
しかし、意識を取り戻したロレッタは、正しく現状を把握するや、じたばたと暴れながら叫び声をあげる。
「ロレッタ、私たちは死なない! だって、ロレッタの魔法があるんだから!」
私はロレッタの肩を抱いて、信頼をあらわに語りかける。裏を返せば、ロレッタの魔法がなければ死ぬかもしれぬ──そう言われていることに、彼女は気づいたのであろう。
「──何をすればいい?」
ロレッタは震える声で、しかし持ち前の勇気を宿した瞳で、私に問いかける。
「私たちを糸でつないで! 近くに寄せて!」
私は答えて──私たちはロレッタの魔法の糸で強く結ばれる。こうしておけば、少なくとも散り散りに落ちることはあるまいし──何より、風の力を全員で受けることができよう。
『──風よ!!』
私は、大地から噴きあげるような風の奔流を思い描きながら、風神の指輪に命ずる。落下の勢いをやわらげる──だけではない。ともに墜ちる浮島から離れるように、私は風向きを操る。
あれほどの高所から、しかも浮島ほどの巨大なものが落下したならば、周囲への被害は甚大なものとなろう。幸いにして──と言ってよいものやらわからぬが──落下する先は砂漠であり、建造物も見えないのであるからして、人死にが出るということもなかろうが──浮島の崩壊に巻き込まれては、私たちなどひとたまりもないであろうから、離れておくにしくはない。
「ロレッタ! 今!」
『羽のごとくあれ!』
地上が近づいたところで、私はロレッタに合図を送り、彼女は手はずどおりに魔法を唱える──と同時に、浮島が砂の大地に墜ちて、私たちは轟音とともに凄まじい衝撃で吹き飛ばされる。しかし、私たちは今や羽である。吹き飛ばされはしたものの、次第にその勢いは弱まり──やがて、羽毛が風に舞うごとく、ふわりと砂の上に転がる。
「──うえ」
口を開いたまま墜ちたのであろう、ロレッタが口内の砂をぺっぺっと吐き出しているのであるが──私は彼女を気にかけることもできずに、眼前の光景に見惚れている。
世界には、砂と空しかない。そう評すると、どこか浮島にも似た印象に聞こえるかもしれないが、こちらはずいぶんと荒涼としており──そこに何とも言えぬ風情がある。風が砂に描いた模様──砂紋は、時とともにうつろい、その表情を変えていく。常に形を変える砂は、流転する世界そのもののようで、あくことなく、いつまでも見ていられるような、そんな心持ちさえする──この信じられぬほどの暑ささえなければ。
「暑い!」
叫んで、黒鉄が鎧兜に手をかける。どうやら、不倒の黒鉄も、砂漠の暑さには耐えかねたようで、脱ぎ捨てた鎧兜を次々とフィーリに放り込んでいく。
「フィーリよ、いったいここはどこなんじゃ?」
身軽になって、ようやく人心地がついたようで、黒鉄がフィーリに尋ねる。
「落下の際の景色からするに──おそらく、中原より遥か南方の砂漠地帯であろうとは思いますが、正確なところはわかりかねます」
フィーリの言に、さもありなん、と頷く。私の目をもってしても、四方には砂しか見えないのであるからして、正確な位置などわかろうはずもない。
「ロレッタ、どこいくの」
私は、墜ちた都市に向けて歩き出したロレッタを、慌てて呼びとめる。
「親父を探しにいくんじゃないの?」
ロレッタは振り返りながら、私たちを急かすように足踏みしてみせる。なるほど、彼女からすれば、早いところブルムと再会して、魔神王との戦いの折に遮られた話の続きをしたいのであろうから、気持ちが急くのもわからないではない。しかし──。
「気持ちはわかりますが、砂漠で拠点もなしに探索を続けるのは危険ですよ」
と、私がロレッタに言い聞かせようとした内容を、フィーリが代弁する。
「ブルムは死にませんから、焦る必要はありません。こちらが危険を冒して探すよりも、むしろ向こうから出てくるのを待った方が早いかもしれませんよ」
フィーリに諫められて、ロレッタは、それもそうか、と納得を示す。
「おそらく、北に向かえば、どこかで交易路にぶつかるはずです。その交易路をたどれば、街もみつかるでしょう。ブルムを探すのであれば、その街を拠点とするのがよいと思います」
私は手庇をして、北を見やる。本当に交易路にぶつかるのやらさだかではないが、今は旅具の言葉を信じるしかあるまい。
『──』
と──砂に横たわっていたルジェンが、声にならぬ声をあげて、ようやく目を覚ます。私は屈み込んで、彼女を安心させるように、その顔をのぞき込む。
『──ここは!?』
しかし、ルジェンは自らが砂漠にいると気づくや、混乱の声をあげる。
『ルジェン』
私は取り乱すルジェンを落ち着かせようと、その名を呼びながら肩をつかむ。彼女からすれば、先までナタンシュラの大樹の間にいたというのに、突然砂漠に放り出されているのであるからして、混乱するのも無理はない。
『──ナタンシュラは?』
おそらく、ルジェンにもその答えはわかっているのであろう、と思う。それでも、藁にもすがるような思いでしぼり出したであろうその問いに、私はゆっくりとかぶりを振って応えて──彼女はその場に泣き崩れる。
私は泣きじゃくるルジェンを背負って──彼女には真祖の外套をはおらせているから、それほど暑くはあるまい──そして、北に向けて一歩を踏み出す。
砂漠の旅は、想像していたよりも遥かに過酷──ではなかった。
「暑いのう──そろそろ頼むわい」
すでに鎧兜を脱ぎ捨てているというのに、それでもなお暑そうに黒鉄が告げる。不倒の黒鉄ともあろうものが、私たちよりも先に暑さに音をあげるのは、立派にたくわえられたその髭によるところが大きいのであろう、と思う。それならば、髭を剃ってしまえば、いくらか涼しくなるのではないか、と私は提案するのであるが、黒鉄は何か奇異なものでも見るかのような目で私を一瞥して、その提案を却下するのであるからして──やはり、ドワーフの生態は不思議なものである。
「──いきますよ」
言って、フィーリが自身から水を吹き出す。百年の旅を保証すると豪語するだけに、旅具には膨大な水が蓄えられているのであろう、その噴出に出し惜しみはない。宙に舞った水しぶきは、からからに乾いた私たちを潤すように降り注ぎ、それだけでも生き返るような心地がするのであるが。
『氷結せよ!』
覚えたてのロレッタの魔法によって、それはさらなる涼しさをもたらす。水しぶきは、その水滴の一つひとつまでが凍り、氷結して、周囲の温度を下げる。
『風よ!』
そして、私の呼び起こした風により、氷結した水は周囲をめぐる。循環する風は、私たちを冷たく包み込み──しばらくの間は、涼しいまま歩くことができるというわけである。
『マリオン──もうおろして』
しばらく進んだところで、ルジェンが声をあげる。私はルジェンを背からおろして、おもむろにその銀の髪をかきあげて、彼女の顔をあらわにする。すすり泣きはすでにやんでおり、目こそ赤いままであるものの、そこには絶望に立ち向かう彼女の強い意志が宿っている。
「ルジェンのこと、どうしたらいいと思う?」
私は振り向いて、黒鉄とロレッタ──二人に尋ねる。もちろん、しばらくは私たちと同行するであろうし、ともにあるかぎりは彼女の身も守るつもりである。しかし、その後──私たちと別れるとき、彼女はどうあるべきなのであろう、と私は問うているのである。
「彼女の同胞──古代人の暮らすところを探し出して、送り届けるというのはどうじゃろう」
黒鉄の提案は、もっともであるように思える。しかし、空中都市ナタンシュラはともかくも、地下都市ウェルダラムは遥か昔に滅んでいたのである。他の古代都市を探したとて、そこに今も古代人が生きているかどうかは、さだかではない。
「リムステッラに連れて帰るとか」
一方で、ロレッタの提案も、現実味があるという点においては、もっともであろう、と思う。しかし、古代人たるルジェンが、彼女からすれば蛮族の国たるリムステッラにおいて、はたしてまともに生活できるのであろうか、という不安は残る。
『ルジェン──』
あなたはどうしたい、と尋ねてみるのであるが。
『──わからない』
彼女は力なくかぶりを振る。それもそうであろう。このような大事、即断できようはずもない。
「どうするにせよ、しばらくの間はともに旅をすることになるでしょうから、彼女には蛮族語を覚えてもらわなければならないでしょうね」
あいかわらず、蛮族語という響きだけは気になるのであるが──ま、今は許そう。フィーリの言ももっともであろう、と判断した私は、旅具をルジェンの首にかける。
「ルジェン、私の話していること、わかる?」
フィーリは私の意図を察したのであろう。私の公用語を、ルジェンに理解できるように古代語に翻訳してみせる。
「──わかる」
旅具の翻訳を受けて、ルジェンは頷いて──次いで、片言の公用語で返す。
ルジェンの身の振り方は、あらためて考えるということにして──私たちは再び北を目指して歩き出す。
墜ちた都市ナタンシュラから二日も北上すると、砂は次第に岩石へと姿を変える。荒涼としていることに変わりはないが、砂よりかはいくらか歩きやすいのがありがたい。
私たちはルジェンを気遣って、日中は岩陰で身を休めて、夜に歩くことにする。夜は夜で寒いのであるが、昼間の暑さほど厳しいわけではないから、と私たちの足取りはいくらか軽くなる。
「お──何か見えるよ」
三日目の夜明け頃、私はようやく砂と岩石以外のものを目にして、声をあげる。それは、長く伸びた商人の一団──おそらく、隊商であった。彼らは見たこともないような駄獣に荷を載せて、緩やかに西を目指して進んでいる。
「駱駝です」
珍妙な駄獣を物めずらしく眺める私に、フィーリが口を開く。旅具の語るところによると、駱駝は砂漠に適しているらしく、水を飲まずに数日間耐えることもできるというのだから、驚きである。
「──」
私たちが隊商に近づくと、どうやら彼らの方もこちらに気づいたようで、赤銅色の背の高い男が大声をあげる。それは、中原の公用語ではない。私の知らぬ異国語で、何と話しているやらわからぬが、私たちのことを誰かに伝えているであろうことくらいは想像できる。
やがて、背の高い男に呼ばれて、隊の先頭から、馬に乗った男がやってくる。その男は、他のものにくらべると、いくらか肌が白く、身分も高いようで──おそらく、隊商を指揮する隊長なのであろう、と思う。
「あんたら、教国人か?」
どうやら、隊長は公用語を解するようで、私たちに流暢に尋ねる。
「──教国人?」
「教国とは、エルラフィデスのことです」
私の疑問の声に、フィーリが答える。
「大昔から変わらずに中原にある国は、エルラフィデスくらいのものですから──南方人からすれば、中原の民は皆、エルラフィデス人ということになるわけです」
なるほど、と納得して、私は隊長に頷いて返す。
「見たところ、盗賊でもなさそうだし──都まで一緒に行くかい?」
それは、土地勘のない私たちからしてみれば、願ってもいない申し出であった。
「その代わりと言っちゃあ何だが、盗賊に襲われたときには手伝ってもらうぜ」
特にドワーフの旦那にはな、と隊長は黒鉄に目配せをする。そのような条件でよいのであれば、否やはない。私たちは互いに頷きあって、隊商との同行を決める。
私たちは、隊商の真ん中あたりに陣取り、駱駝と並んで歩く。周囲の警戒はしているものの、私の感知できる範囲には盗賊などおらず、道中は気楽なものである。
「ここがどこだかわかりました。『緑の道』です」
しばらく歩いたところで、フィーリが確信するように声をあげる。
「道なんてないし、緑もないけど」
「砂漠に点在する緑地を結ぶ道だから、緑の道というのです」
指摘する私に、旅具は溜息をつきながら返す。
「そして、隊商の目指す西の都とは──」
やがて、隊商は小高い丘に差しかかって──私の目は、遥か西の彼方に、幻のごとく揺らめく都市の姿をとらえる。
「砂漠の星と謳われる砂の都──アスファダン」




