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『──この石を欲しておったのだ』
口をきけぬはずの少年が、おもむろに口を開く。それは神代の言葉であり、私は少年の正体──最悪の正体を察する。
「お前は何ものだ? どうしてその石を欲する?」
『この石がどうやってつくられたか──まさか、貴様らは知らぬのか?』
私の問いには答えず、少年は逆に問いを発する。私たち蛮族は当然知らぬとして、古代人たるルジェンも群衆も何も答えようとはしないから、誰も石の製法など知らぬのであろう、と思う。もしかすると、政務官たちならば何か知っていたかもしれないのであるが──もはや、彼らは死に絶えている。
『この石はな──貴様らが悪魔と呼ぶ我らを贄としてつくられたのよ』
想像だにしていなかった少年の言葉に、私はまさかと息をのむ。
古のナタンシュラの民は、風の大魔石に膨大な魔力を込めて、島をも浮かせたのだという。そうだとすれば、その膨大な魔力とやらは、いったいどこからまかなわれたのであろうか。私は単純に、ナタンシュラの民の魔力を結集したのであろうと思っていた。しかし、そうでないとしたら──その程度では足りないほどの膨大な魔力を込めているのだとしたら、それは──。
『貴様らは我ら悪魔を召喚し、捕らえ、贄としたのだ』
私の想像を裏づけるように、少年は続ける。
『つまり、この石には──悪魔の力が蓄えられておるということ』
言って、少年はおもむろに風の大魔石を打ち砕く。
「あ──」
気づいたときには、すでに遅かった。魔石に閉じ込められていた膨大な魔力──悪魔の力が解き放たれて、目の前の少年に吸い込まれていく。
『ついに──ついに顕現できる』
少年は歓喜の声をあげて、同胞の魔力を吸い込む。その勢いたるや、まるで竜巻のごとく──先まで護民官の障壁に守られていた群衆までもが、瞬く間に吸い込まれて、蒸発するかのように消えていく。
その様を見て、張り詰めていた糸が切れたのであろう、ルジェンが意識を失って、その場に倒れる。私は慌ててルジェンを抱きかかえて、急ぎ壁際に運ぶ。彼女には申し訳ないが、これから顕現するであろう脅威を思うと、気を失ってくれた方がありがたい。
『我、ここに降臨せり』
それは、もはや先までの少年ではなかった──いや、容姿という意味では、少年であった頃の姿形とさほど変わってはいないかもしれない。眼前の魔神は、今までの異形とは異なり、少女と見紛うほどに可憐で、少年とも少女ともつかぬ、まるで両性を有しているような、妖しい微笑をたたえているのである。
しかし──と、私は魔神の頭上を見やる。奴は、まるで王であるかのように、黄金の冠を戴いているのである。魔神──いや、魔神王の放つその神威たるや、海神のそれを彷彿とさせるほどで──私は神に等しいほどの高位の悪魔が顕現してしまったのだと悟る。
『──ひれ伏せ』
魔神王の一声で、私はその場に膝をつく。これは──この圧力は、単なる神威などではありえない。見れば、あの黒鉄でさえ、まるで神に許しでも請うように、地べたに這いつくばっているのである。
ロレッタは、と見やれば──さすがは半神ということなのであろうか、私たちのようにひれ伏すことなく、赤剣を構えて、魔神王と対峙している。
「──ロレッタ」
魔神王に隙をつくることができれば、この訳のわからぬ圧力からも逃れられるやもしれぬ。ロレッタの魔法と赤剣ならばあるいは、と呼びかけたのであるが──よくよく見れば、彼女の剣先は、小刻みに震えている。どうやら、魔神王の力こそ効いてはいないものの、その神威だけで、ロレッタはすでに動けないようで──いや、荒事の苦手な彼女にしてみれば、赤剣を構えて魔神王に相対しているだけでも、十二分に健闘しているであろう、と思い直す。
「神の権能とは──よほど高位の魔神とみえる」
と──不意に、聞き覚えのあるのんきな声が、静寂を破る。
『──ひれ伏せ』
魔神王は、その権能をもって、闖入者に命ずるのであるが──闖入者は意に介することなく、すたすたと魔神王に歩み寄り、おもむろにその可憐な顔を蹴り飛ばす。虚を突かれたのであろう、魔神王は吹き飛んで、宮殿の壁をも貫いて、私たちの視界から消える。
魔神王が消えると、身体の自由も戻る。私は立ちあがって、その傍若無人な闖入者を見やる。
「よう、嬢ちゃん」
その顔を確認するまでもない。それはまごうことなく、赤毛の勇者──ブルムその人であった。
「親父!」
「おお!? ロレッタ!?」
ロレッタとブルム──離ればなれとなっていた親子は、互いに駆け寄って、熱い抱擁を交わす──ようなことはなかった。ロレッタはブルムの胸ぐらをつかんで、思い切り前後に揺する。
「親父! あたしに何か言うことがあるでしょ!」
「──って、え? 何? お前、赤剣を従えちゃったの?」
ロレッタは父親に食ってかかるのであるが、ブルムはどこ吹く風──ロレッタの手にする赤剣を認めるや、感嘆するように口笛を吹く。
「すげえ、そんなの、もう勇者じゃん」
「話を聞け!」
「──ブルム」
と、親子の仲睦まじい再会に割って入ったのは──私の胸もとの旅具である。
「え、お前──フィーリか!?」
ロレッタに揺すられるがまま、ブルムは顔だけをフィーリに向ける。
「久しいな!──ってことは、嬢ちゃんはエルディナの子孫になるのか!?」
どうりで似てると思ったよ、と続けて、ブルムとフィーリは、はっはっは、と笑いあう。
「そんなことは、どうでもいいの!」
と、ロレッタは再びブルムに食ってかかる。
「親父、今までどこに行ってたのさ!」
「いや──悪魔どもの侵入した世界の穴をふさいでたんだよ」
大もとを断ってから残りを駆除するのだ、とブルムは続けるのであるが──おそらく、ロレッタはそんなことを問うてはいない。
「そうじゃない!」
言って、ロレッタはぶんぶんとかぶりを振る。彼女は、なぜにブルムが自らの前から姿を消したのかということをこそ、問うているのである。
「親父には──親父には聞きたいことが、たくさんあったのに!」
ロレッタは駄々っ子のようにわめいて──ブルムは困り顔で、彼女の頭にぽんと手を乗せる。
「あいつをぶっ倒したら──ゆっくり話すとしようや」
ブルムの言葉に──私はその気配に気づいて、慌てて振り向く。
広間に空いた大穴──先ほどのブルムの蹴りで空いた穴から、魔神王が戻る。奴は、私たちには目もくれず、ブルムに歩み寄り、その赤毛を忌々しく見あげる。
『貴様は──異神の一柱か?』
魔神王の問いに、ブルムは応えない。
『旧神に命じられて、世界を守るとは、ご苦労なことよな』
しかし、ブルムの返答がなくとも、魔神王には確信があるようで、旧神の狗め、と嘲るように続ける。
「まったくだ。もしも旧神どもに会うことでもあれば、文句の一つでも言ってやらんとなあ」
ブルムは挑むように魔神王をにらみつける。
「おう、魔神の親玉よう。お前の目的は何なんだ?」
ブルムは続けて問う。
悪魔の目的──それはナタンシュラにしか存在せぬもの、風の大魔石を得るためであると護民官は推測していた。そして、今やその魔石は砕かれ、そこに封印されていた悪魔の力を奪われて、魔神の王のごときものが顕現──いや、降臨しているのである。私は、奴らの目的はすでに果たされているのではないのか、と思っていたのであるが。
『我が主を召喚する』
あにはからんや、魔神王は私の想像だにしない目的を告げてみせる。魔神の王のごとき悪魔の、さらに主とは──そんなものを召喚されては、もはや人の力ではどうすることもできないではないか。
『そして、滅びゆく我が故郷に代わり、この世界を我らのものとするのだ』
魔神王はその秘めたる決意をあらわにする。それは、奴にとっては、道理にかなっている主張なのかもしれない──が、私はその身勝手な決意に、憤りを覚える。なるほど、確かに悪魔にも言い分はあるのであろう。しかし、悪魔どもが、いかに苦境にあろうとも、いかに困窮していようとも──私たちの世界を蹂躙するに足る道理など、あろうはずもない。
「自力で世界の壁を越えることはできなくとも、召喚であれば話は別ということか」
ブルムは、ふむ、と頷きながら続けて──私は護民官の言葉を思い出す。
私の記憶が確かならば、護民官は、世界の壁は目の粗い網のようなものである、と言っていた。そして、その壁は神のごときものを通すことはない、とも。
「──そういうことか」
私は、ようやく魔神王の狙いを察して、つぶやく。
神ごときものは、その強大な力ゆえに、世界の壁を越えることはできない。魔神王にしても、先までは間違いなく力なき少年だったのである。意図的に力を失って、世界の壁を越えて──そして、こちらの世界で力を取り戻して、魔神王として顕現したのである。
しかし、召喚にはその理があてはまらないとしたら、どうであろう。力ある召喚者であれば、おそらく神でさえも呼び出せるのである。それは、原初の神が異神を召喚したという事実からしても、間違いないのであろう。つまり、魔神王の力をもってすれば、悪魔の神を召喚することができるということなのである。
魔神王の、想像を絶する野望に気づいて、ぶるり、と震える。私は──私たちは、ついに神々の思惑の交錯する領域に足を踏み入れてしまったのである。
「それを聞いちゃあ──俺としては、退けないわな」
言って、ブルムは指の関節を鳴らす──はからずも、それが戦いの合図となる。
『吹き飛べ』
「効かねえんだよ!」
魔神王は権能を発動するのであるが、ブルムはそれを意に介さず。
「勝手に滅んでろ──よ!」
言いながら、ブルムは魔神王を蹴りあげて──奴は、このまま彼方に消えてしまうのではなかろうかというほどの勢いで天井を突き破る。
「──崩れるぞ!」
黒鉄が叫ぶ──と、その言葉のとおり、天井の一部が崩れて、私たちの頭上に降ってきて──黒鉄がそれを巨人の斧で粉砕する。
「急いで外に!」
言って、私は壁際のルジェンに駆け寄り、意識を失ったままの彼女を肩にかついで、先にブルムの空けた大穴から外に出る。




