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『魔法を操ることのできる大人の中には、生き残っている人もいると思う』
ルジェンによると、ナタンシュラの大人の中には、かなりの魔法──それこそ、自然を操るほどの大魔法の使い手もいるのだという。いかな悪魔が相手とはいえ、そう簡単にやられてしまうはずはない、と彼女は願うように続ける。
しかし──と、私は三つ首の魔神の姿を思い起こす。相手が低位の悪魔であるならともかく、魔神ともなると、さすがに古代の魔法使いであっても荷が重いのではないか、と懸念する私は、ルジェンほど希望的にはなれない。
『──私も一緒に行く』
いざ出発という段になって、ルジェンは駄々をこねる。
『ルジェンはここにいて。ここなら悪魔も襲ってこないかもしれないから』
『私がいないと、マリオンたちは街のことわからないでしょ』
私は諭すようにルジェンに告げるのであるが、彼女は聞く耳を持たない。
『それに──ナタンシュラは、私の故郷だもの』
それを言われてしまっては、返す言葉などない。私はルジェンに、死ぬこともありうるのだぞ、と告げて──彼女が頷くのを見て、溜息とともに歩き出す。
私たちはルジェンと少年を連れて──年端もいかぬ、しかも口のきけぬ少年を一人残す方が危ないであろうという判断から──慎重に街を目指す。
郊外の草原は、やがて緩やかに下り始めて、その先には街を囲む外壁が見える。外敵のいないはずの浮島に外壁とは、これいかに、と思案したのもつかの間、あれはナタンシュラが地上にあった頃の名残なのであろう、と独り合点して頷く。
外壁に沿って、外周を行く。やがて、とても人力では開けぬであろうほどの巨大な門が現れて──おそらく魔法で開閉するのであろう──私たちは足を止める。街の正門と思しきそれは開け放たれており、門扉の隙間から街中をのぞくことができる。
『──誰も、いない』
ルジェンは呆然とつぶやく。門の先、平時であれば人であふれているであろう目抜き通りには、彼女の言うとおり誰もおらず──遠く先の白亜の宮殿までを見通すことができる。周囲には誰の気配もなく──つまるところ、悪魔の気配もなく、私たちは警戒を続けながら門をくぐる。
「これが──ナタンシュラ」
私のつぶやきは、しんと静まる街に意外なほどに響いて、そして静寂に浸透する。
『真っすぐ進んで、宮殿を目指しましょう』
ルジェンの言葉に従って、私たちは歩き出す。偉大なる魔法使いは、その力量から、政務官と総称されるいくつかの役職に就いており、宮殿に詰めているものが多いのだという。
私は通りを行きながら、その両側に並ぶ建物を、物めずらしく眺める。古代の都市──しかも、地上と隔絶された空中都市なのである。地上とは異なる見慣れぬ意匠を目にするたびに足を止めたくなるのであるが──そこは、ぐっとこらえる。
建物には、そのすべてにガラスの窓がある。私としては、宮殿でもない建物にガラス製の窓があることだけでも驚きなのであるが、それらは中を見透せるほどに美しいのである。この窓を一つ持ち帰るだけでも、地上では結構な金になるであろうなあ、と私は卑しいことを考える。
「あれは──酒場かのう」
言って、黒鉄は右手の建物から突き出した看板を顎で指す。見れば、そこには確かに酒杯を打ちあわせるような浮き彫りが細工されていて──なるほど、これはどう見ても酒場であろう、と納得する。古代人も酒をたしなむのだなあ、と私は親しみを覚えて、窓から中をのぞき込む。酒場には誰もいない──にもかかわらず、いくつかのテーブルの上には、食べかけの昼食らしきものが並んでいて、私は違和感を覚える。
「──ちょっと入ってみよう」
後ろに続く黒鉄とロレッタに呼びかけて、私は酒場の扉を開く。自らの違和感に従ったのであり、決して古代人の酒を物色したかったわけではない。断じてない。
私はテーブルの上のスープに指をつける。ぬるい──とはいえ、いくらか熱が残っているということは、この席の客が姿を消してから、それほど時間は経っていないということになろう。
「──マリオン」
黒鉄の声にそちらを見やる──と、隣のテーブルには、飲みさしの酒杯が残っている。昼間から酒とは、よい御身分であるなあ、といくらかあきれながら、私は酒杯を手に取る。その紅玉のごとき赤から香るのは、芳醇な葡萄である。
「何という深みのある味じゃあ」
見れば、黒鉄はすでに酒瓶の方に口をつけており、葡萄酒を飲みほして、恍惚とつぶやく。
『マリオン──本当に助けてくれるのよね?』
ルジェンは半眼で私たちをにらんで──その刺すような視線に、はっと我に返る。なるほど、酒場から葡萄酒を回収せんと動き出した黒鉄とロレッタは、彼女からすれば泥棒にしか見えぬことであろう。こら、と二人をたしなめて──。
『もちろん。任せて』
神妙に返しながら、私はとっさに外套に隠した葡萄酒を、こっそりフィーリの中に放り込む。




