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「私がお持ちしましょうか?」
グラムから渡された袋を背負う私を気遣ってか、フィーリが声をかける。
「いや、いざというときにすぐに取り出せる方がいいから」
返して、古城へと続く山道をのぼる。
前を行くグラムは、私のことなどおかまいなしで、歩調を緩めることもない。離されずについていくこともできるのだが、あえて遅れることにする。フィーリと話すのであれば、このくらいの距離はあいていた方がよい。
「吸血鬼って、この弓でも殺せないの?」
つぶやくように問いかける。
「マリオンが言うところの旅神の弓は、無敵の力を誇る弓ですが、唯一苦手とするのが不死の魔物です。例えば、ウェルダラムの迷宮で悪魔を滅ぼしたような一撃であれば、吸血鬼を消滅寸前まで追い込むことはできるでしょう。しかし、彼らはそのような状態からでも再生、復活するのです」
「そんな怪物、どうやって倒せばいいの?」
旅神の弓なら何とかなるのではないか、と甘く考えていたが、どうやらグラムの指摘は正しいらしい。
「低位の吸血鬼であれば、グラムとやらの言うとおり、白木の杭など、弱点を突くことで殺すことができます。しかし、高位の吸血鬼となると、白木の杭でも絶命しません。せいぜい苦しむ程度です。神の加護を得た聖なる武具であれば、高位の吸血鬼を滅ぼすこともできると聞きますが、そもそもそのような神具は私でさえそうそう目にしたことがありません」
「どうしようもないじゃない」
グラムを見返すためにも、援護だけでなく、活躍したいと思っているのに。
「そうでもありません。存在としての格が上であれば、不死の魔物を殺すことができると言われています」
旅具は訳のわからないことを言う。
「例えば、高位の吸血鬼は、低位の吸血鬼を滅ぼすことができます。高位の吸血鬼の存在としての格が、低位のものよりも明確に上であるから可能なのだと推測されています。実際、エルディナ様との旅路では、何の変哲もない剣で高位の吸血鬼を斬り殺した剣士と出会ったこともあります」
「私が吸血鬼よりも格上であれば殺せるってこと?」
「そういうことです」
どういうことだよ。
「独り言の多いやつだな」
いつのまにかグラムの方が歩調を緩めていたようで、追いついてしまう。
「じきに古城だ。静かにしてろ」
フィーリの声は、グラムには届いていない。グラムからすれば、私が独り言の多いやつに思えるのも理解できる。理解はできるのだが、納得はできない。グラムの背中に向けて、思い切り舌を出す。
山の天気は変わりやすいというが、雲一つなかった空は、今や分厚い雲に覆われている。
眼前にそびえたつ古城は、艶やかに黒い。青天のもとで見れば、青を貫く黒い尖塔の対照が映えたのかもしれないが、曇天のもと、それも宵闇の頃とあっては、亡者が巣食うと言われても信じられるほどに不気味に映る。
ぽつり、と振り出した雨が額を叩く。まずは城外から偵察するのだろうと見当をつけて、雨を避けるように外套で身体を覆う。
「行くぞ」
しかし、予想に反して、グラムは雨宿りでもするかのように、無造作に城門をくぐる。
城門を抜けて、居館へと向かう。居館へと続く石畳は、その一枚一枚に細かな紋様が描かれており、芸術の粋を集めた城であるというフィーリの言も嘘ではないのだろうと思わせる。一方で、庭園は荒れ果て、ひび割れた城壁は補修された形跡もない。遥か昔に滅びてしまったようなおどろおどろしい様は、黒鉄の言う「呪われた城」という呼称ももっともであると思わせる。
居館の扉には、鍵はかかっていなかった。
私と同じく夜目が利くとみえて、グラムは薄暗い城内を危なげなく進む。
かつて贅を尽くしたのであろう調度は、今では埃にまみれて、幾層もの蜘蛛の巣が張っており、見る影もない。
いつのまにやら本降りになったようで、薄汚れた窓──驚いたことにガラス製のようである──を雨粒が叩く。時折響く遠雷が、雨は当分降り続くのだろうと予感させる。
瞬間、轟音とともに稲光が城内を照らして、グラムが足を止める。
廊下の奥に人影が見えた。
目を凝らすと、闇の中にぼんやりと少女の姿が浮かぶ。
侍女だろうか。荒れ果てた城には似つかわしくない仕立てのよい服に身を包み、微笑をたたえながら、ゆっくりと──不自然なまでに足音をたてずに──近づいてくる。
「村長に聞いた行方不明者の特長に合致するな」
ぼそり、とグラムがつぶやく
かどわかされた村人のうちの一人──少女は、廊下の中ほどまできたところで、口を開く。
「お客様にはお帰りいただくよう仰せつかっております」
慇懃に告げて、にたり、と嗤う。唇は血に濡れたように赤く、双眸は爛々と輝く。見れば、首筋には、赤黒く刻まれた傷痕が二つ。
一歩、また一歩。少女がこちらに近づいてくるにつれて濃くなる死臭が、村のものも冒険者も、捜索者が戻らなかったのは目の前の少女によるものだと告げている。
「吸血鬼に血を吸われた犠牲者だ。こうなったら、もう助からねえ」
言って、背負っていた大剣を抜く。グラムの身の丈ほどもある大剣は、見れば刃引きで、斬るのではなく叩き潰すことを目的とした、まさに鉄塊のごとき剣だった。
グラムが剣を構えると同時に、少女は可憐な唇から牙をむきだしにして、獰猛なうなり声とともに床を蹴る。速い。瞬時に間合いを詰めて、グラムに迫る。
獣のように飛びかかって、鉤爪を振るうだけ。それだけで多くのものを屠ってきたのだろう。技も何もない、しかし雷光のごとき強襲は──さらに速いグラムによって打ち落とされた。
横薙ぎに一閃。
無防備な胴部を鉄塊に薙ぎ払われた少女は、壁に叩きつけられ、脳漿を散らす。飛び散った脳漿は、主のもとに戻ろうと虫のように蠢く。見ていて気持ちのよいものではない。
「杭をくれ」
言われるまでもなく用意していた杭をグラムに投げる。
私の腕ほどもある白木の杭を、グラムは槍でも扱うかのようにして、器用に少女の心臓を穿つ。
「おおお!」
身体が再生しきれておらず、動けないところを刺された少女が、怨嗟の声をあげる。
それでも滅びる様子のない少女に向けて、グラムは追い打ちの大剣を振るう。金槌で釘を打つように、鉄塊で杭を打つ。心臓を貫いた杭が、さらに壁をも貫き、まるで標本の昆虫のように、少女を壁に留める。
数十秒。少女は奇声を発しながら、もがき続ける。しばらくするとその動作も緩慢になり、指先からぽろぽろと灰のように崩れ落ちていく。
少女の断末魔を、まるで心地よい音楽のように聴いていたグラムは、やがて少女が灰になって消えると、満足そうに頷く。
「まずは、一匹」




