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「はあ? 親父がいたあ?」
ようやく北壁の頂上にたどりついた黒鉄とロレッタに、私は赤毛の勇者との出会いを興奮気味にまくしたてる。
「待て、待てい、マリオン、落ち着けい」
身を乗り出すようにして語る私に、黒鉄は苦言を呈する。どうやら、無尽蔵とも思えるほどの体力を有する黒鉄をもってしても、ロレッタを連れての北壁の登はんは相当にこたえたようで──頂上にたどりつくなりその場にへたり込んで、肩で息をしながら、私に首を振ってみせる。
「そうだね、まずは頂上を堪能してもらおうか」
言って、私は二人の隣に腰をおろして──そのまま、ごろん、と寝転がる。見あげる青天を、巨大な浮島が横切る。どうやら浮島は、ゆったりと大空を泳ぐかのように、北壁のあたりをぐるりとまわっているようで──その雄大なる光景に、黒鉄もロレッタも、言葉もなく見惚れている。
「ロレッタ、フィーリは?」
私は隣に寝転がるロレッタに尋ねる。
「あ、ああ、うん」
ロレッタは浮島に見惚れたまま、うわごとのようにつぶやいて──自らの首にかけていた旅具を外して、私の手にのせる。
「おかえり」
私は手のひらの旅具にやわらかく微笑みかけて。
「ただいま戻りました」
私の微笑に比して、フィーリの返答は素っ気ない。一瞬のこととはいえ、今生の別れとなるのではないかとまで思ったというのに──私は不満もあらわに唇を尖らせて、そのまま旅具の表面に口づける。
「わ」
「わ、とは何だ、わ、とは」
失礼な。乙女の口づけを何と心得る。
「いや、年頃の娘がはしたないなあ、と思いまして」
なおのこと失礼な。友愛の情を素直に受け取れい、と私は嫌がるフィーリに再び口づける。
「北壁の頂上に、このような高原が広がっておるとはのう」
じゃれあう私とフィーリをよそに、いつのまにやら起きあがっていた黒鉄が、手庇をして、眼前に広がる高原を見やる。
「それに、あの浮島──あれは、いったい何なんじゃ」
と、そのまま頭上に視線を移して、黒鉄はその長い髭を手でもてあそびながらつぶやく。その声音からするに、きっと黒鉄にも、私の目にしたものと同じ、浮島にのぞく建造物の突先が見えていて──それゆえに、わきあがる疑問を抑えられないのであろう、と思う。
「フィーリ、わかる?」
「想像を交えてでよろしければ」
起きあがりながら尋ねる私に、フィーリは当然のように答える。さすがは旅具。頼もしいかぎりである。
「じゃあ、歩きながら話を聞こうか」
言って、ひとまず黒鉄とロレッタを巨人の里に案内すべく、私は先に立って歩き出して──そして、おもむろにフィーリが語り始める。
フィーリの語るところによると、今のトゥリオ湾にあたる海には、古代に大きな島があり、そこにはナタンシュラという都市が栄えていたのだという。その海は、今でこそ穏やかな湾となっているものの、古代──特にその末期の「災厄の時代」には、魔法の船さえ呑み込む荒海として知られており──そう遠くない将来、海の藻屑と消えるであろうとされたナタンシュラは、近隣の魔法使いの総力を結集して、島ごと宙に浮かせて、空に難を逃れたのである。私たちの目にしている浮島が、件の都市であると断ずることはできないものの、見あげる島からわずかにのぞく建造物──その建築様式からすると、おそらくナタンシュラなのではないか、と旅具は結ぶ。
「空中都市ナタンシュラかあ」
言って、私は浮島を見あげて、目を細める。空中都市という響きだけであっても興奮を抑えられないというのに、ナタンシュラという名を与えられて、歴史という輪郭が描かれると、それはまるで宝島のようにさえ見えてくるのであるから、まったく不思議なものである。
「いや──」
と、そこまで考えたところで、私は首を振る。空中都市ナタンシュラは、今や悪魔の巣食う島やもしれぬのである。油断は禁物である、と自らの気を引きしめる。
「それにしても、これほどの高地であるというのに、暖かいもんじゃのう」
黒鉄はつぶやきながら、外套を脱いでフィーリに預ける。
「本来であれば、人の生きられぬ環境のはずですよ。高原にしても、浮島にしても、どちらも魔法の力で自然を操っているものと思われます」
フィーリの説明に、私などは、なるほどなあ、と安易に納得するのであるが、現役の魔法使いたるロレッタにとっては、どうもそうではないようで。
「自然を操るって──そんなの、大魔法じゃない」
「古代の魔法使いであれば可能です」
驚きの声をあげるロレッタに、しかしフィーリは淡々と返す。ロレッタは、やはり信じられぬという様子で、溜息をつきながら、あらためて浮島の威容に見惚れる。
「あ、そうだ──」
しばしの後、我に返ったロレッタは、私に向き直る。
「──マリオン、親父と会ったんでしょ?」
どうだった、と尋ねるロレッタに、私は何と答えていいやらわからず──友人の父を評して、化物だったとも言えまい──事情を知るものに、そもそものところを尋ねるときがきたのだ、と覚悟を決める。
「フィーリ──赤毛の勇者って、いったい何ものなの?」
「話してもよいのですか?」
以前に話すのを止めた際の私の剣幕を覚えているからであろう、フィーリは驚きの声をあげる。
「おお、ついにフィーリの話が聞けるのか!」
次いで、黒鉄とロレッタも食いついて──結局のところ、私がフィーリに口外を禁じたがゆえに、二人とも赤毛の勇者の根幹に関わる秘密とやらを聞いてはいないのである。
「仕方ないでしょ。物語は物語で楽しむから、話していいよ」
「では、遠慮なく」
ついに私の許可を得て、旅具は嬉々として、その秘密を語り出す。
「赤毛の勇者とは──異神の一柱です」
「──は?」
フィーリのその一言は、私たちの誰しもが、まったくもって想像だにしていなかったものであり──それゆえに、皆一様に言葉を失う。
「──と言っても、赤毛の勇者は、他の異神とは、その役割を異にしております」
私たちの沈黙を気にもかけず、フィーリは淡々と続ける。
「赤毛の勇者とは──原初の神により、まつろわぬ異神を鎮めるために呼び出された、征伐の異神なのです」
フィーリはそう結ぶのであるが、私たちは誰一人として、それを真実であると受け入れることができない。
「いやいや、親父にかぎってそんなこと──」
ようやく我に返ったロレッタが、フィーリの発言を笑い飛ばす。確かに、私もブルムの実物を目にしているだけに、あれが異神であるという主張には異を唱えたいところであるが。
「あきらめてください。異神です」
しかし、旅具は溜息とともに、そう答える。
「うん? ということは──」
ロレッタのやつ、エルフとの混血であるからハーフエルフと名乗っていたわけであるが、異神との混血でもあるということは──。
「ロレッタは──半神ってことになるの!?」
「そうなりますね」
尋ねる私に、フィーリはやはり淡々と答える。
「ロレッタの母上は──おそらく、赤毛の勇者ブルムとともに旅をしたエルフの祖の一人──薄暮のレフスクルではないかと思います」
「その名前、親父から聞いたことがある──母さんの名前だよ」
フィーリの言が正しいことを、ロレッタの記憶が証明する。
「あたしを生んで、すぐに亡くなったって聞いたけど──」
「神の子を宿したのです。死は覚悟の上でしょう。エルフの祖たるレフスクルでなければ、そもそも子を宿すこともできずに死んでいたかもしれません」
フィーリは、おそらくロレッタの母と知己であったのであろう、彼女の死を悼むように続ける。
「──ってことは」
ロレッタは、半神であるという自らの出自に驚愕するかのように、大きく目を見開く。
「親父は人妻に手を出したってこと!?」
思わぬロレッタの叫びに、私は何もない草原でつまずきそうになる。確かに、エルフの祖の一人ということは、エルフとして子をなしたことがあるということであろうから──そしてその相手はエルフだったということであろうから──母親は人妻であったというロレッタの指摘も、あながち間違ってはいないということになる。
「ブルムの名誉のために訂正しますが、しいて言うなら未亡人です」
フィーリはあきれるように返す。
フィーリによると、レフスクルは大昔に──それこそ世界の始まりと等しいほどの太古に──同じくエルフの祖の一人と連れあい、そして子をなしているのだという。しかし、神代における異神との戦いに巻き込まれて、連れあいのエルフを亡くしており──つまるところ、神代以来の未亡人ということになろうから、そう言われてみると人妻というよりは未亡人であろうとも思える。
「レフスクルは絶世の美女でありましたが、どんな男に言い寄られても心を開くことなどありませんでしたから、ブルムと子をなしたのであれば、それは互いに愛し合ってのことだと思いますよ」
フィーリはブルムを擁護するように続ける。こやつ、ブルムに何か弱みでも握られているのではあるまいな。
「──母さんは絶世の美女かあ」
しかし、どうやらロレッタの心は、すでに別のところに向いている。照れるなあ、と彼女はまるで自らが絶世の美女であると評されたかのように続けるのであるが。
「ロレッタは父親似ですね」
返すフィーリの言葉は冷たい。




