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「人間、里に来る、初めて」
公用語を解する巨人に連れられて、私は巨人の里を訪れていた。里は、そのつくり自体は人間のものに近しいというのに、目にするものすべてが笑ってしまうほどに巨大で──私は、まるで小人にでもなったかのような錯覚を抱いてしまう。
私は巨人の後に続き、案内されるままに、里の奥まったところにある家屋に足を踏み入れる。巨人は私に椅子を勧めようとして──そうして、人間が巨人の椅子に座れるわけがないという道理に思い至ったようで、困り顔を見せる。歓待してもらっているというのに、家主に恥をかかせるわけにもいくまい。私はテーブルの脚を蹴って──多少の不作法はお許し願いたい──高く飛び、巨大な椅子の端に、ちょこんと腰かける。
「見事」
言って、巨人は厳めしく微笑む。ロレッタならば怖がるかもしれないその笑みも、私にとっては、今や目に映るすべてが新鮮で──私は巨人に満面の笑顔を返す。
巨人は、私に茶をふるまわんとして、椀を取り出す。しかし、あまりに巨大なその椀では、人間に茶を供することなどできぬと悟ったようで、考えあぐねた結果、巨大な匙に茶を注ぐ。
私は重い匙を持ちあげて、その端に口をつける。独特の香りを放つ茶は、しかし口にすると風味がよく、どこか癖になるような後味が残る。私は、喉が渇いていたこともあって、巨大な匙になみなみと注がれた茶を、あれよという間に飲みほしてしまう。
「ありがとう! おいしかった!」
礼を述べて、匙を置く。巨人の茶葉。これほどの味となると、ぜひとも譲ってほしいものであるが──はて、巨人は人間と同じく金を欲するのであろうか、そうでないとすると何で取引をすればよいのであろうか、と首を傾げる。
「我、欲す、汝の名」
茶のおかわりを淹れてくれるつもりなのであろう、巨人は匙を取りながら尋ねる。
「私はマリオン」
「マ、リ、オ、ン」
名乗ると、巨人はその名の発音が間違っていないかを確認するかのように、何度も繰り返し、私の名を呼ぶ。
「あなたの名前は?」
今度は私の方から問うてみる。
『──』
巨人の返答は、おそらく古代語であろうとは思うのであるが、私にはうまく聞き取ることができない。
「公用語だと、何ていう意味になるの?」
「──訳す、難しい」
それならば、と重ねて問うてみると、巨人は首を振って答える。
「がんばって!」
無理やりにでも名を聞き出そうと声援を送ると、巨人は困り顔で思案して──やがて、ぽつり、とつぶやく。
「たぶん──『理知』」
「理知!」
巨人の告げたその名に、私は思わず驚きの声をあげる。自ら理知を名乗るとは、ずいぶんと大きく出たものではないか、と考えたところで──いや、名を笑うなど、人としてあるまじき行為である、とすぐに反省する。おそらく、一族の中でも特に賢いもの、というような意味合いなのであろう。いくらか公用語を操っているところからしても、わずかな古代語しか操れぬ私などよりも賢いことは明らかであり、なるほど納得の名であろう、と思い直す。
「理知! よろしくね!」
「マリオン、よろしく」
理知は、私の笑顔に応えるように、再び厳めしく微笑んでみせて──私には、それが何とも愛らしく思える。
「ところで、何でこんなところに巨人の里があるの?」
理知から匙を受け取り、茶のおかわりを口にして──私はおもむろに尋ねる。部屋の窓から見える里の規模からすると、少なく見積もっても数十人の巨人が暮らしているはずであり、北壁の頂上という隔絶された地に、なぜこれほどの規模の里があるのか、私は疑問に思ったのである。
「我ら、古代、契約」
理知は答えて、天井を──いや、おそらくは、さらにその上にあるものを指す。
「浮島、都市、我ら、守る」
理知は誇らしげに続ける。
「浮島に都市があって、それを守る契約になってる──ってこと?」
「然り」
やはり。先ほど高原から見あげた浮島に、建造物が見えたように思えたのは、勘違いではなかったのである。空中都市──その響きだけで、私はえも言われぬ興奮を覚えてしまう。
「私、その空中都市に行ってみたい!」
それは、断られるものと思いつつの願い出であったのであるが、あにはからんや、私は理知に案内されて、巨木の森の最奥にたどりつく。そこは、木々の代わりに巨石の乱立する、不可思議な遺跡であった。巨石には、そのそれぞれに、フィーリに似た紋様が刻まれており──それがどのような意味をなすものやら、私には判然としないのであるが、それでも巨石ごとに形を変える紋様は、私の目をとらえて離さない。
やがて、開けた場所に出て、理知が声をあげる。
「あれ、門」
彼の指す先には、これまでの巨石群よりはいくらか小さな石柱が円形に並んでおり──その中心には、石柱でつくられた門のようなものが見える。
「石柱、都市の門」
理知はそれを門と呼ぶのであるが、その門とやらの向こうには、当然のことながら空中都市など存在してはいない。
「もしかして──あの門から、都市に転移するの?」
「然り」
私の思いつきに、理知は首肯する。古代の空中都市ともなれば、空を飛ぶことなく、転移の魔法で訪れることができるのだなあ、と感嘆して──そして、ふと明らかなる事実に気づく。
「あの門の大きさだと、理知は──巨人は空中都市には転移できないんじゃないの?」
「然り」
私の問いに、理知は再び首肯する。
「我ら、この地を守る、使命──」
そして、誇らしげに胸を叩いて続ける。
「──ゆえに、都市、行くこと、ない」
それは、門の大きさゆえではなく、そもそも空中都市に行くことを許されていないというような口ぶりである。先ほど理知の口にした古代の契約とやらで、そのように取り決められているのかもしれぬ、と思う。
「私は空中都市に転移してもいいの?」
「マリオン、使命、ない」
一方で、私には、彼ら巨人の契約は適用されないのであろう。
「ゆえに、都市、行ける」
理知は断言して、当然のことであるというように、鼻を鳴らす。
ふむ、と考える。若干の不安がないではないが、理知がよいというのであるから、私のような来訪者が転移門をくぐって空中都市を訪れるということは、想定されているのであろう、と解釈する。しかし、転移した先は、ウェルダラムと同様の古代の都市である。万全を期すのであれば、黒鉄とロレッタ、そして何よりフィーリの到着を待った方がよいのではないか、と思案する。
そのときだった。
不意に転移門が明滅したかと思うと、瞬き一つする間に──そこには異形が立っている。
「あれが──都市の住人?」
理知に尋ねながらも、そんなはずはあるまい、と思う。その禍々しい異形は、三つの首と──その一つは人の頭、残る二つは何やらわからぬ竜のごとき頭をしている──毒々しい緑の鱗を有しているのである。
転移門の先は古代の都市なのであるからして、その住人は古代人であろう。しかし、私の知る古代人は──闇の森の魔女にしても、ヴァイアやソティスにしても──いずれも異形ではなく、その姿形は現世の人間と変わるところはなかった。そうすると、あの異形は、都市の住人たる古代人ではないということになるのであるが、それならばどうして転移門より現れたのか、と私は考えをめぐらせる。
三つ首は周囲を見渡して、そして私たちを認めて、ゆるりと近づいてくる。
「都市の住人、違う」
理知は脅えるようにつぶやいて。
「マリオン、逃げる!」
叫んで、私をかばうように、三つ首の前に立つ。手にした棍棒を振りまわし、何とか奴を遠ざけんと奮闘するのであるが、三つ首はそれを意にも介さず、まるで蠅でも振り払うかのように理知を吹き飛ばす。
『巨人風情が』
理知を嘲笑うその言葉──それはまぎれもなく神代の言葉であり、私は三つ首がただものではないと判断する。
「──マリオン、逃げる」
理知は起きあがり、なおも私をかばおうとするのであるが──彼を置いて一人逃げるなど、できようはずもない。
私は竜鱗の短剣を抜いて、疾風のごとく駆ける。四つ身に分身して、牽制の風撃を放ちながら、三つ首の懐に潜り込み、その腹を短剣で薙ぐ。
『そのようなもので、我が鱗を傷つけることはできん』
しかし、奴は避けるそぶりさえ見せず、私の攻撃をも嘲笑う。悔しいことであるが、その言葉のとおり、奴の透きとおるような緑の鱗には、傷一つついてない。
ふん。ご自慢の鱗なのであろう。だが、それならば──その鱗を透して衝撃を伝えるとすれば、どうだろう。
私は竜鱗の短剣を腰に戻し、そのまま疾風のごとく大地を踏み込む。大地を穿つほどの衝撃を、身体をねじりながら手のひらにまで伝えて、奴の腹にそっと触れるような掌打を放つ。
『──な』
三つ首は驚きの声をあげて吹き飛ぶ。どんなに硬い鱗であろうと、その内側に衝撃を透されては意味をなすまい。吹き飛んだ三つ首は、石柱の門に吸い込まれるように転移する。
「理知! 逃げるよ!」
言って、私たちは脱兎のごとく駆け出す。




