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そこには、見渡すかぎりの高原が広がっていた。
「──わあ!」
やわらかな陽射しは暖かく、つい先ほどまで極寒の厳風にさらされていたことが信じられぬほどに──魔法の力でも働いているのであろうかと思えるほどに──高原は別世界のようであった。
ここ数日というもの、来る日も岩壁と向きあっていた身からすると、陽光に照らされた緑はまぶしく思えるほどで──隔絶された地に、これほど豊かな自然が息づいているとは思いもよらず、私はその光景に見入ってしまう。
そうして、どれほどの間、その緑に見惚れていたのであろう。我に返った私は、崖から離れて、未知なる高原を颯爽と進む。本来であれば、後続の皆の到着を待つべきなのであろうが、旺盛なる好奇心が私の背を押すのであるからして、やむをえないことであろう──と、心の中で言い訳を重ねる私の足取りは軽い。
すると、いくらも行かぬうちに、数頭の動物が現れて、物めずらしそうに私を眺める。それは鹿──なのであろうか。見た目からするに、おそらく鹿なのであろうとは思うのであるが、その鹿は──見たこともないような巨大な枝角を有しているのである。その枝角は、私が両手を広げたよりも大きく、その重さで首が痛くなったりはしないのであろうか、と私は彼らの身を案じてしまう。
「君たち、私のこと、怖がらないんだね」
私は、彼らが私をおそれないのをよいことに、そっと枝角に触れながら語りかける。中原であれば、鹿をはじめとする、狩りの対象となるような動物は、人間を目にすると逃げるものなのであるが、彼らは逃げるどころか、もっとなでろとでも言うように枝角をすりつけてきて──この地には、彼らを狩るような人間はいないのであろうな、と思う。
そうして、巨角鹿──今まさに私が名付けた──と戯れていると、不意に視界が暗くなる。当初は、頭上を雲が横切ったのであろう、と頓着しなかったのであるが──いや、雲は遥か下方のはず、と思い至り、頭上を見あげて。
「──嘘でしょ」
つぶやいて、私は言葉を失う。私の頭上には──冴え渡る青天には、巨大な島が浮かんでいたのである。島からは滝のように水が流れ落ちていて──どうやら、それこそがこの高原の水源となっているのであろう、と気づく。
「ねえ、君。あれが何だかわかる?」
私は巨角鹿のうちの一頭に、浮島を指しながら尋ねる。鹿は、まさか私の問いを解したわけではないのであろうが、器用に首を振って応えてみせて──やがて、私に興味をなくしたようで、他の数頭を引き連れて去っていく。
「さよなら」
巨角鹿を見送って──私は再び頭上を見あげて、浮島の威容に見惚れる。私の位置からは、浮島の表層がどのようになっているのかはわからないのであるが、わずかに建造物の突先のようなものがのぞいているところからすると、いつぞやフィーリが言っていた空中都市ではなかろうか、と推測する。そうであるならば、ぜひともこの目で見てみたいものである。
「マリオン、調子はどう? 無事なの?」
と、ちょうどよいところで、魔法の糸を通して、ロレッタの声が届く。そういえば、頂上到達の報告をしていなかったな、と反省しつつも、私の興奮はさめやらない。
「ロレッタ! 上はすごいよ!」
「おお! ついに頂上にたどりついたんだ!」
さすがはマリオン、と続くロレッタの賛辞に、私は、えへん、とない胸を張る。
「それで、どうなの? 上には何があったの?」
ロレッタの問いに──私は、にしし、と品なく笑って返す。
「秘密! だから早くのぼっておいでよ!」
教えてよう、とロレッタはせがむのであるが、この感動は、ぜひともこの地にたどりついて、自らの目で確かめてほしいものである、と口をつぐむ。
私は、後に続く黒鉄とロレッタを励ましつつ、登はんにあたっての注意点を伝えて──そして、巨角鹿の去った方角を目指して、再び歩み始める。そちらに進めば、少なくとも巨角鹿の暮らすところがあるはずで、そこにたどりつきさえすれば水や食料にもありつけるであろう、という算段である。
小高い丘を越えると、大きな森が見える。森は、近づくにつれて、その威容をあらわにする。それは、樹齢何百年とも思われるような巨大な木々の生い茂る──巨木の森であった。巨木は、その巨大さゆえか、それぞれが間隔をあけてそびえており──自然、その隙間は獣道となっている。私は、獣道の一つに巨角鹿のものと思しき足跡を認めて、その後を追うように森の奥へと足を踏み入れる。
やがて、行く先に何かの気配を感じて、私は足を止める。先の巨角鹿であろうか、と様子を探ってみる──と、大地から、明らかに鹿ではありえないほどの震動を感じて、慌てて巨木の陰に隠れる。しばらくして、森の奥より現れ出でたのは、まごうことなき──巨人であった。
大柄な巨人と、それに比するとやや小柄な巨人は、私の隠れた巨木の近くまでくると、匂いをかぐように鼻を鳴らし始める。まずい。フィーリなしで、三日三晩、北壁をのぼり続けたのであるからして、今の私はそれなりに匂う──のであろうか。そうであったら嫌だなあ、と私は乙女心から恥じらい、自らの匂いをかいでみる。それほど匂わず一安心──と、息をついたのもつかの間、私をのぞき込む大柄な巨人と目があう。
『──!』
やはり匂ったのであろうか、と恥じらう間もなく、巨人が吠える。それは古代語のようにも思えたのであるが、フィーリが不在の身では解することあたわず──何も答えぬ私に業を煮やしたものか、巨人は手にした巨大な槌を振りかぶる。私は旅神の弓で応戦しようとして──しまった、それもフィーリに預けていたのであったと思い至り、慌てて腰から竜鱗の短剣を抜く。
『──』
一触即発──というところに割って入って、何やら声をあげたのは、小柄な巨人であった。大柄な巨人をなだめるように声をかけて、私に向き直り、おもむろに語りかける。
「──汝、人間?」
驚いたことに、巨人は拙い公用語で私に語りかけて。
「そう、人間」
私は驚きのあまり、つられるようにして片言で返す。




