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どれほどの間、意識を失っていたのであろうか。
私は大地に横たわっている。何とか首を起こして前を見ると、武侠がゆるりと近づいてくるところで──幸いにして、意識を失っていたのは、ほんのわずかな間であろう、と安堵する。
急いで立ちあがり応戦せねば、と半身を起こして──私は腹を貫くような激痛にその場にうずくまり、吐瀉物を撒き散らす。
武侠の掌打──それは、手のひらを添えるがごとき掌打であったというのに、私はまるで鉄塊でも打ちつけられたかのような深手を負っている。
「──驚いたかい?」
武侠は足を止めて、無様に地を這う私の姿を、楽しそうに見下ろす。私はその視線に耐えかねて、意地だけを糧に立ちあがり、虚勢を張って武侠をにらみ返す。
「おうおう、やるねえ」
しかし、武侠にはそれが虚勢であると見破られているようで──奴は、立ちあがった私に、わざとらしく手を叩いてみせる。
その間に、私はすばやく周囲を見渡す。前線から離れた村の広場には、いくらかは村の男衆もいるものの、彼らは自らの戦いに没頭していて、私と武侠とが対峙していることに違和感を抱く様子はない。黒鉄──いや、せめてロレッタの姿はないか、と探すも空しく──私は、この瞬間、この場所を選ばれて、武侠に襲われたのだと悟る。
私は深手を負い、少なくともしばらくの間は、助けがくることもない。その状況に愉悦するように口角をあげて、武侠はおもむろに口を開く。
「俺はこいつを『透し』と呼んでいる」
こいつとは、先の掌打のことであろう。言いながら、武侠は自らの手のひらを私にみせる。それは大きく、そして岩のようにさえ思える強靭な手である──が、だからといって、竜革の鎧を貫いた、あの異様な衝撃の説明にはならない。
「あんたのことだから、その革鎧もたいそうな代物なんだろうが──透しの前には意味をなさない」
得意げに語る武侠の言を信じるならば、あれはまさに鎧を透して、衝撃のみを内部に送り込む技なのであろう。いったいどのようにして、その神業を可能としているのか、私には見当もつかないのであるが、どうやら奴はその術理までを詳らかにする気はないようで。
「俺はな、あんたらに一つ嘘をついていた」
言いながら、武侠は突き出していた手を引っ込めて、おもむろに腕を組む。
「名を捨てたというのは本当のことなんだが、実のところ『武侠』以外にも呼び名はあってな」
「──名乗りなよ」
もったいをつける武侠に、私は名乗りをうながす。会話を続けて、少しでも回復をはからねば、次の攻撃を避けることはできまい。構えを解いているにもかかわらず、武侠にはまったく隙がないのであるからして、私には命の水を飲む暇もない──となれば、現状、フィーリの旅具としての機能による主の回復だけが、頼みの綱なのである。
「俺の名は──絶影」
武侠──いやさ、絶影は、誇らしげに名乗りをあげる。その名からするに、影をとどめないほどに速い、ということなのであろう。確かに、疾風のブーツの加速に追いつくほどであるから、その名もふさわしかろうと思える。
しかし──なぜであろう、私はその名に言い様のない不吉な響きを覚えて、絶影をきっとにらみつける。
「──教団に所縁のもの、と言えばわかるか?」
続く絶影の言葉に、私は絶句する。
教団──それはいつぞやの暗殺騒ぎの黒幕である。その暗殺を未然にふせぎ、奴らの暗殺者をも制したのが私であると知られているのであれば、教団のものに命を狙われるのも頷けない話ではない。
「──教団の手のものか」
しぼり出すような私の問いに。
「所縁のものって言ってるだろ。教団のものではない」
絶影はおどけるように、ひらひらと手を躍らせる。
「武侠はな──時折、教団からの依頼を受けて、強者と戦うのよ」
利害の一致ってやつだな、と絶影は続ける。武侠は強者を求め、教団は強者の命を求める、ということなのであろう。まったく、胸が悪くなるような共存関係である。
「ま、そういうわけだ。俺があんたと戦う理由は、理解できただろ」
言って、絶影はゆるりと構えをとる。それは微塵の隙もない達人の構えであり──私は目の前の武人が、先のフェルナスに勝るとも劣らない剛のものであることを確信する。
「一つ、忠告をしておこう」
絶影は、構えたまま、指を立てて続ける。
「あんたは強い。天稟にも恵まれている──ただ、道具に頼りすぎるきらいがある」
そういうのはよくないな、と絶影は諭すように告げて──その子弟に向けたような物言いに、私は激しい憤りを覚える。
「ご高説、どうも──」
返して、深手を負ったまま、私も構えをとる。
会話による時間稼ぎの間、フィーリによる回復で、わずかなりとも傷は癒えているはずなのであるが、どうやらそれを感じとることもできぬほどの深手のようで──私は不利をくつがえすべく、絶影をにらみつけて、気迫を込めて武威を放つ。
「──ほう」
私の武威を受けて、絶影は短くつぶやく。次いで、深く腰を落として──そして、応えるように凄まじいほどの武威を放って、告げる。
「さて──今度こそ本気で死合うとしようじゃないか」




