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旅神のご加護がありますように!  作者: マリオン
第20話 勿忘

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2

 丘の上の小さな家には、その庭にまで勿忘草が咲いている。家の主はよほどこの花が好きなのであろう、と庭に足を踏み入れる──と同時に、フィーリが意外な声をあげる。


「結界に入りました」

「結界──って、魔法使いの操る、あの結界?」

 薄い青の美しき丘に、結界という物騒な語は似つかわしくなく、私は思わず問い返す。

「そうです。私でなければ気づけないほどの巧妙な結界です」

 フィーリの言葉に、私は目の前の家の扉を凝視する。結界の主が私の侵入に気づいたとすると、扉を開いて現れ出るは邪悪なる魔法使いであろうか、と身構えたのであるが。

「──こんなところにお客さんとはめずらしい」

 扉を開いて現れたのは、四十がらみの冴えない男であった。客を前にしてその無精髭を気にするそぶりもなく、鳥の巣のごとき癖毛をさらにくしゃりとなでる姿にはさしたる威厳もなく──とても巧妙な結界を張った魔法使いとは思えない。

 しかし、考えてみれば、ロレッタという前例もある。どんなにそうは見えないものであっても、魔法使いである可能性はある。私は緊張を解くことなく、男の顔を見あげる。

「あら、ほんとに、お客様なんてめずらしい」

 と、男の後ろから、ひょいと顔を出したのは──私の追いかけていた少女であろう──うら若き乙女であった。彼女には微塵の敵意もなく、爛漫と咲くその笑顔に毒気を抜かれて──私はようやく警戒を解く。


「見事な勿忘草を眺めながら丘を歩いていたら、ここまでたどりついてしまって」

 とっさに思いついた言い訳を口にして、私は少女に笑いかける。

「勿忘草を眺めにくる人は多いけど、丘をのぼりきってここまでたどりついちゃう人はなかなかいないわ」

 少女は吹き出しながらも、私の言い訳に納得してくれたようで。

「ちょうどお茶を淹れようと思っていたところなの。あなたも飲んでいきなさいよ。街の名産のお茶なのよ」

 と、強引に決めたかと思うと──どうやら他人に命令し慣れているようで──私の手を引いて家に招き入れる。


 マインと名乗るその少女によると、家は男──エルギスのものであるという。エルギスはここらではそれなりに名の知れた画家であるらしく、マインは自らの肖像を描いてもらうために、丘の上に通い詰めているということらしい。


「私、エルギスの絵が好きなの」

 マインは私に椅子に座るよううながしながら、熱っぽく語る

「だから、絶対に肖像を描いてもらいたいのに──この人、もう肖像は描いてないからって断るのよ」

 本当に頑固なんだから、とマインは唇を尖らせて、上目でエルギスをにらむ。

「私は領主様の遠縁なんだから、描いてくれてもいいじゃない」

「本当の本当にかなりの遠縁だって聞いているからなあ」

 領主様に描けと言われれば描くけれども、とエルギスは飄々と返す。


「マイン、お茶を淹れるんだろう?」

 エルギスは話をはぐらかすように話題を変えて──そうだった、とマインは慌てて茶を淹れに走る。

「絵でも眺めて待っていて!」

 マインに言われて、私はあたりを見まわして──なるほど、と頷く。家には、エルギスの手によるものであろう、いたるところに絵画が飾ってあり、私は言われるがままに壁にかけられた絵を眺めてまわる。

 絵画のほとんどは風景画であった。街の市場の様子など、日常を描いたものが多く、画家の──つまるところエルギスの愛着が滲み出ているような素朴な筆致で、観るものを思わず微笑ませるような不思議な魅力にあふれている。

 私は部屋をぐるりとまわり、そのまま隣の部屋に足を踏み入れて──部屋の奥の壁、最後の絵画の前で足を止める。


 その絵画だけ、他のものとくらべると、どこか異質であった。


 絵には妙齢の女性が描かれている。青いドレスを着た彼女は、ゆったりと椅子に腰かけて、物憂げな瞳で窓の外を眺めている。窓辺の一輪挿しの花瓶に飾られているのは勿忘草であろうか、薄い青の花は風に吹かれて揺れており──今にも花が香るのではないかと思わせるほどに、それは見事に瞬間を切り取った絵画であった。


「この絵、ちょっと好きだな」

 私は、ともに絵画を眺めるフィーリに向けてつぶやいたつもりであったのであるが──応えたのは旅具ではなかった。

「──私も好き」

 言いながら、マインは私の隣に並ぶ。見れば、彼女の淹れたと思しき香草茶は、家主のエルギスが運んでいるところで──とても絵を描いてもらおうとするものとは思えぬ不遜な態度に、私は思わず苦笑する。

「私も、エルギスにこんなふうに描いてほしいの」

 ただ、どうやらその願いだけは心からのものであるらしく、マインは真摯な態度で、どこか懐かしむように絵画を眺める。



 それから、私たちは香草茶を飲みながら語らった。マインによると、香草茶は勿忘草の花弁を乾燥させて煮出したものであるらしく、それゆえに薄く青みがかった色になっているのだという。何でも、飲めば美しくなるという効能があるとかで──私は一息で茶を飲みほして、おかわりを所望する。


 マインは、私が旅人であると知ると、旅の話を聞きたがった。何度もせがまれては、私としても断りづらく、やむなくフィーリの存在はぼかしつつ、若干の脚色を交えながら、自らの冒険譚を語り出す。

 話は長時間に及び──途中、エルギスは創作の思いつきを書きつけておくと言って、何度か席を外したほどである──私の喉は茶で潤してもなお枯れるほどであったのであるが、マインは私の冒険譚をたいそう気に入ったようで、飽きることなく続きをうながして、ついにはリムステッラから船出するところまでを語り切り──夜を迎えて、今宵はここまで、と区切りをつける。


「マリオンは、いつまでデクスに滞在するの?」

 マインは、冒険譚の続きが聞きたいのであろう、探るように私の予定を尋ねる。

「仲間の鍛冶が終わるまで──なんだけど、私には鍛冶のことはわからないから、いつまでっていうのもわからないかなあ。もしかしたら、すぐに出立するってこともあるのかも」

 冒険譚の続きを求められて、再び喉が枯れるほどに語ることになるのであれば、すぐにでも出立すると嘘をついてもよかったのであろうが、私はこのお転婆な少女のことを意外と好ましく思っているようで、素直なところを答える。


「そんなのもったいない!」

 と、マインはテーブルを叩きながら立ちあがり、大声をあげる。

「デクスのお祭りだけは、絶対に見ていった方がいいわよ!」

 デクスとシニスのお祭りね、とエルギスが小さく訂正するが、マインは聞く耳を持たない。

「大河に舟を出して、そこから空に天灯を飛ばすの。夜空を埋め尽くす天灯は、それはもう見事で美しいのよ!」


 マインの語る天灯とは、どうやら読んで字のごとく、天にのぼる灯りのようなものであるらしい。籠を紙で覆い、その底に火を灯すと、どういう原理かはわからぬが、籠は空を飛ぶのだという。無数の灯りが夜空を埋め尽くすというのであれば、それは確かに夢のように美しいであろう。私は想像の光景にさえ、ほう、と溜息をつく。


「天灯の紙の部分には願い事を書き入れて、勿忘草の種を載せて飛ばすの。マリオンも一つ飛ばしてみるといいわ」

 マインの言葉に、はて、と疑問を抱く。

「勿忘草の種を載せるの?」

 願い事の成就のために天灯を飛ばすというのは理解に難くないのであるが、勿忘草の種を載せるというのはどういう趣旨かわからず──なぜ、と問うてみる。

「さあ──なぜかしら。考えたこともなかったけど、昔からそうなのよね」

 マインは首を傾げて──年長者のエルギスに、答えを求めるように視線を送る。

「僕にも理由はわからないよ。でも、勿忘草の原産はこのあたりのはずだから、リムステッラに咲く勿忘草も、もしかしたら祭りの天灯が届けた種が芽吹いたものかもしれないね」

 エルギスはそう結ぶ。もしも本当にそうなのだとしたら、それはとても素敵なことのように思えて──種を載せる理由など、さして気にすることでもなかろう、と思い直す。


「ね! だから、マリオンも祭りにおいでよ!」

「──わかった。じゃあ、仲間にも伝えて、必ず祭りまで滞在するよ」

 マインの熱意に負けて、私は祭りまでの滞在を約束する。実のところ、夜空を埋め尽くすほどの天灯に興味がないと言えば嘘になる。

「よかった!」

 言って、マインは心からであろう笑顔を見せる。


「マリオン、明日もこられるかしら。私、もっとお話、聞かせてほしいわ」

 彼女の要望に、私は覚悟を決めながら頷く。今度は喉を枯らさぬよう、デクスの清水をたっぷりと用意しておかなければなるまい。

「明日は画材の買い出しに出かけるから、僕はいないかもしれないけど……」

「早めに着いたら、お茶でも飲みながら待ってるから、大丈夫よ」

 申し訳なさそうに告げるエルギスに、マインはあっけらかんと返して──誰の家なのやら、と私は思わず吹き出すのであった。



 次の日──例によってベッドを独り占めして自堕落に過ごすロレッタを尻目に、私は身支度を整えて宿を出る。途中、昨日の露店に立ち寄り、フィーリから取り出した鍋にスープを満たしてもらってから、丘の上の家を目指す。

 露店の料理を食べたことがないというマインは、領主の遠縁というのは眉唾であるとしても、お嬢様であることに変わりはないのであろう。彼女の口にあえばよい、と願いながら、私は鍋を抱えて、丘の上までたどりつく。

「マイン!」

 名を呼びながら家の扉を叩く──が、何度叩いても、どれだけ待ってみても、中から(いら)えはない。私よりも先に着いているはずなのであるが、といぶかしみながら扉に手をかけると──扉は抵抗なく開く。


「マイン!」

 テーブルに鍋を置いて、マインの姿を探す。狭い家である。どこかにいるのであれば、すぐにみつかると思っていたのであるが、家のどこにも彼女の気配はない。

 テーブルには、飲みさしの器が残っている。器に触れると、中の茶はまだあたたかく、つい先ほどまで誰かが──おそらくはマインが口にしていたのであろうとうかがえる。


 隣の部屋で音がしたような気がして、私はそちらに足を向ける。部屋には誰もおらず、どうやら壁の絵画が傾いた際の音であろうと気づいて、私は額縁を持って水平に直して──そこで、違和感を覚える。

 私は額縁を手にしたまま、絵画を凝視する。それは、昨日マインと眺めた絵画である。女性と勿忘草──絵画の題材はそれだけであったはずであるというのに、そこには新たに見覚えのある少女が描き加えられているのである。


「──マイン?」

 呼んで、その似姿に触れる──と同時に、私の意識は闇にとける。

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