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旅神のご加護がありますように!  作者: マリオン
第20話 勿忘

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131/311

1

 私たちはシニスの街を旅立って──デクスにたどりついていた。


「ま、ようするに旅立ってないってことだよね」

 言って、ロレッタは部屋に一つしかないベッドに寝転がって、闇の森の魔女より授かった魔法書の頁をめくる。

 ロレッタの言葉のとおり、私たちはシニスの対岸──デクスの街に滞在しており、旅立ったというよりは、橋を渡ったと表現する方が正しいであろう、と思う。


 デクスでの滞在は、黒鉄の希望によるものであった。黒鉄は、剣聖エヴァリエルとの戦いにおいて鎧を失っており、旅を続けるためには──北方の未知なる魔物に相対するためには、新たな鎧を鍛えなければならず、そのためにいつぞやのようにデクスの鍛冶屋の一画を借り受けているのである。何でも、デクスには古代の偉大なる魔法使いによって築かれた鍛冶場がそのまま残っているそうで、その鍛冶炉であれば魔鋼でさえも──レクスフェルムの試練でちょろまかした()()である──精錬できるはずであろうから、と黒鉄は私たちの意見も聞かずに、デクスへの滞在を決めたというわけである。


 デクスの宿屋は、近く祭りが開かれるということもあって、ほとんどが客で埋まっており、私たちはようやくみつけた場末の宿の、しかももっともおんぼろな一室に、三人で泊まるはめになっていた。

 黒鉄は連日鍛冶屋に出かけるからよいのであるが、それでも狭い部屋に二人──しかも、ロレッタはめずらしく外出もせず、魔法書に夢中でベッドを独り占めしているものだから、私は読書もままならず──私だって寝転んで本を読みたいのに!──やむなく、ぶらりと散歩に出かける。



 デクスの街は、まだ祭りの日を迎えていないというのに、すでに活況を呈していた。目抜き通りには露店が建ち並び、物めずらしそうに足を止める客の中には、私たちと同様に中原から訪れたであろうものの姿も少なくない。


「嬢ちゃん、お昼がまだならどうだい!」

 威勢のよい呼び声と──何とも食欲をそそる香りに、私はまんまと露店に吸い寄せられる。

「デクスの清水で煮込んだスープだよ! 雑味のないスープなんて、デクスじゃないと味わえないよ!」

 露店の店主の売り文句に、どれ、と大鍋をのぞき込んでみる──と、スープは底に沈んだ具材が見えるほどに澄んでおり、確かに看板に偽りはなさそうである。肉と野菜を煮込んだスープなど、普段であれば露店で買うほどのものではないのであるが、デクスの清水のなせる(わざ)か、それとも北方の香辛料の独特の香りによるものか、私の腹は大いに自己主張を始める。


「スープ、一人分ちょうだい。碗は自前で」

 言って、私は代金とともに、フィーリから取り出した銀の碗を店主に渡す。

「助かるよ、碗が出払ってたもんだからさ」

 店主は銀の碗にスープをよそって、あいよ、と私に返す。見れば、店主の後ろでは、丁稚であろうか、幼い少年が別の客の使った碗を水路でゆすいでいて──なるほど、街中に張りめぐらされた水路があるからこそ、スープに水を足したり、碗をゆすいだりできるわけで、水道橋を擁する水の街ならではの露店であるのだなあ、と感心する。


 私は露店から離れて、水路の脇に腰かける。そして、フィーリから銀匙を取り出そうとして──いや、ここは北方の民にならうべきであろう、と思い直して、碗にそのまま口をつける。リムステッラ騎士団長殿の目も北方までは届くまいから、巡察使としての礼儀など知ったことではない。


「──おお!」

 一口すすって、思わず感嘆の声をあげる。

 普通、スープといえば、野菜──と運がよければ肉を、適当に煮込んだものであり、その多くはごろごろと放り込まれた旬の野菜を味わうもの、と思っていたのであるが、このスープはまったく趣を異にする。

 具材はさして目新しくもない鶏と野菜であるというのに、スープは黄金色に澄んでおり、その味わいは繊細で深い。店主の言葉を信じるならば、デクスの清水によるものということになるのであろうが、それにしたって、いったいどれほど煮出せば、これほど優しい出汁がとれるものか、と驚嘆しながら、私は繰り返しスープをすする。


「──ん?」

 と、舌鼓を打つ私の前を、奇妙な少女が横切る。身なりはそこらのものと変わらないというのに、その漂う気品はまったく隠せてはおらず──貴族の令嬢がお忍びで祭りを楽しんでいるのであろうか、とも思ったのであるが、共のものを一人も連れずに出歩くというのはさすがに物騒であろう、と私はいぶかしむ。

 少女は露天商の呼び込みにも脇目も振らず通りを行き、やがて人通りの途切れたあたりで足を止める。そして、人目をはばかるように左右を見まわしてから、するりと路地に足を踏み入れる。

 俄然、面白くなってきたではないか。私は名残惜しくスープを飲みほして──明日また来ようと誓う──水路で碗をゆすいでから、少女の背中を追いかける。


 少女は、路地を流れる水路に沿って、突きあたりまで歩みを進める。路地はそこで行き止まりなのであるが、水路は鉄格子に遮られた先、壁の奥まで続いており──少女はおもむろに端の格子を外して、何と水路に足を踏み入れる。

 少女の後を追って、薄暗い水路を行くと、水はやがて街の外に流れ出る。水はそのまま大河の支流に流れ込んでおり──なるほど、生活で汚れた水をこうやって処理しているのであろう、と納得する。


 さて、少女はどこぞ、と見渡せば──彼女は郊外の丘にのぼっていくところであった。薄い青の花の咲き乱れる丘は美しく、もしかすると少女は花を愛でにきたのかもしれぬ、と思って。

「お転婆な娘だなあ」

 と、思わず素直な感想が口をついて出る。


 少女が花を愛でるという、さして面白くもない結末になるかもしれぬが、ここまできたのだから、と私は少女の後を追って丘をのぼる。

「わあ、勿忘草!」

 咲き誇る薄い青は、中原にも咲く花──勿忘草であった。中原では今頃は暑さで枯れているはずなのであるが、北方ではその寒さゆえであろうか、萎れることもないようで──見渡すかぎりの青に、私は思わず感嘆の声をあげる。


「今は勿忘草と呼ぶのですか?」

「そうだよ」

 興味深そうに尋ねるフィーリに返しながら──ということは、以前は異なる呼び名であったのであろうと気づいて問い返す。

「昔は何て呼び名だったの?」

「『鼠の耳』です」

 フィーリの答えに、私は一瞬言葉を失う。

「……葉っぱが鼠の耳に似てるから?」

「おっしゃるとおり」

 溜息を一つ。古代人というのは、どうにも風情を解さないものであるなあ、とあきれながら、私は丘をのぼる。


 それにしても、と私は不思議に思う。誰かが手を入れねば、こうも見事に花は咲くまい。もしかすると先を行く少女が育てているのであろうか、とその背中を見やって──いや、そうではあるまい、と考えをあらためる。


 丘の上には小さな家があり、少女は勝手知ったる様子で、その扉を開いたのである。

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