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「わあ!」
前方に現れた大河と、そこに架かる巨大な橋を認めて、私は荷台から身を乗り出して、思わず声をあげる。
「嬢ちゃん、クウィンタリナ大橋を見るのは初めてかい?」
商人──エルカは御者台から荷台を振り向きながら問いかけて、私は大きく頷いて返す。
「だったら、よく見ておくといい。クウィンタリナ大橋は、北方一の橋だからな」
エルカは誇らしげに告げて──彼の北方一という評も、あながち誇張ではあるまい、と私はあらためて眼前の橋を眺めながら思う。見渡すかぎりの大河の両岸をつないでいるというだけでも信じられぬというのに、その橋は驚くことに上下二層の構造になっているのである。エルカによると、上層の橋には水が流れており、それゆえにクウィンタリナ大橋はその別名を「水の道たる橋」──水道橋とも呼ばれているのだという。
「水道橋を流れる水は、魔法で浄化されているから、よその水とはくらべものにならんくらいに澄んでるんだよ」
「それは、ぜひとも味わってみたいね」
エルカに返して、私はまだ見ぬ清水に思いを馳せる。
エルカの語るところによると、クウィンタリナ大橋は古代の偉大なる魔法使いによって架けられたものであるという。橋の中央部の地下に設置された魔法具を用いて、大河の水を吸いあげて、それを浄化して、両岸に流しているということらしい。
「大橋に向かって西側がシニスの街、東側がデクスの街だよ」
エルカの声に、私はそれぞれの街を見やる。どちらの街も、クウィンタリナ大橋とくらべても見劣りすることのないほどの建造物が立ち並んでおり、とても蛮族の街とは思えない。
「立派なもんだろう。シニスもデクスも、もとはクウィンタリナ大橋を架けた魔法使いによってつくられたって話だよ」
さすがにすべてが古代からそのまま残ってるわけじゃないけどね、とエルカは続ける。
「もとは一つの街だったらしいよ──シニスデクスだったか、それともデクスシニスだったか──どちらにせよ、街同士の仲はあまりよくないから、そこは気をつけた方がいい」
エルカの忠告に、そうなんだ、と気のない返事をしながら──私はクウィンタリナ大橋のその威容から目を離すことができないのであった。
「黒鉄の旦那の剛力といったらなかったぜ!」
言って、エルカは酒杯を片手に、黒鉄の武勇を褒めそやす。
「まあ、まあ、大したことではないわい」
謙遜するように返して、黒鉄はエルカの奢りの酒を、ぐいと飲みほす。
シニスの街は──ベルフィデもそうであったが、さらに──蛮族の街とは思えぬほどに華やかで、活況を呈していた。なるほど、確かに粗野なものが多く、文化の相違を感じることも多いのであるが、それでも彼らの本質は私たちと何ら変わらないように思える。中原の国々にまつろわぬもの──蛮族という呼び名は、あくまで中原の為政者の都合によるものであり、北方に生きる民草は決して野蛮なわけではないのだと今さらながらに悟り、自らの不明を恥じる。
エルカの荷を彼の所属する商会に預けてすぐに、私たちは酒場に繰り出す。近隣の商人であるエルカの勧める店だけあって、酒場はたいそう繁盛しており、その酒も料理も、奢られる身としては申し分ない。
幸いにしてというか、不幸にしてというか、エルカは大いに酔っ払っており、黒鉄がいかに飲み、ロレッタがいかに食べているかについては、まったく気づいていない様子で──さすがにすべてを奢らせるのは酷であろうから、ベルフィデの腕押しでの儲けからいくらか補填してやろう、と私はフィーリから銀貨を取り出しながら、花の酒を舐める。
「あんたら、旅人さんですかい?」
と、隣のテーブルから、強い訛りのある声で話しかけてきたのは、地元のものであろう、赤ら顔の男であった。
「そうだよ、南から来たの」
「そうだろうと思いやしたよ。あんたみたいな別嬪さんは、見たこともねえから」
答えるロレッタの美貌に、男は素直な賛辞を贈る。
男はヴィジルと名乗り、こちらのテーブルに椅子を寄せる。
「ささ、旅人さんなら、ぜひともシニスの地酒を飲んでくだせえ。水がきれいだからこその澄んだ味わいは、他にはないもんですぜ」
俺が保証しやす、とヴィジルは胸を叩いて、給仕に件の地酒を注文する。
酒杯に注がれた地酒は、清水のごとく透きとおっている。ほのかに香る酒精がなければ、とても酒であるとは思えないほどで──実際、そうは思えなかったのであろう、ロレッタは水を飲むがごとく、ぐいと地酒を飲みほして、思わぬ酒精にむせて、酒を床に吹き出す。
「ふうむ、見た目だけでなく、味わいも透きとおるようじゃのう。このような酒であれば、いくらでも飲めそうじゃ」
一方で、黒鉄は舌の上で転がすようにして、じっくりと地酒を味わいながら飲みほして、賛辞を述べて──給仕におかわりを注文する。黒鉄であれば、このような酒でなくとも、いくらでも際限なく飲めるであろうに──とは思いつつも、それは口にせぬのが慎みというもの。
「ところで──ドワーフの旦那、そんなにお強いんですかい?」
ヴィジルは、黒鉄が地酒を気に入ったのを見て取って、いくらか安堵した様子で続ける。
「強いなんてもんじゃないよ。とんでもない巨大な斧を振るって、魔物を両断していくんだから、黒鉄の旦那の方が魔物だって言われても、今なら信じちまうだろうね」
「はっはっは、よせよせい、褒めすぎじゃて」
大仰に述べるエルカに、黒鉄は形だけの謙遜を返しながら、誇らしげに鼻を鳴らして──それならば、とヴィジルはずいと身を乗り出す。
「お強い旦那を見込んで、頼みたいことがあるんでさあ」
言って、ヴィジルは黒鉄の酒杯に地酒を注ぎ足す。
ヴィジルの語るところによると、彼はシニスの自警団の長を務めているのだという。本来であれば、街の治安を維持するのは領主の衛兵の仕事であり、自警団などなくともよいはずであるのだが、シニスとデクスにおいては事情が異なる。以前は、よそと変わらず領主の衛兵が配置されていたというのであるが、シニスとデクスの出身者からなる衛兵は、その出身によりそれぞれの街を贔屓するようになり、結果として冷遇された住民の不満が噴出したのである。当初は規律をもって正さんとした領主も、一向に改善せぬ状況に、やがて匙を投げて、衛兵を引きあげて──そして、それぞれの街に自警団が組織されるに至ったというわけである。
「デクスの奴ら、事あるごとに嫌がらせをするんでさあ」
言って、ヴィジルは酒杯をあおるように飲みほして、手酌で地酒を注ぎ足す。私からすれば、自警団など組織したことこそが、それぞれの対立に拍車をかけているのではないかとも思えるのであるが、当事者としては相手憎しなのであろう、ヴィジルのデクスを貶める発言はとどまるところを知らない。
「それで、頼みたいことというのは?」
一向に本題に入らぬヴィジルにしびれを切らしたものか、黒鉄が問いかける。
「こらあ、すんません」
ヴィジルは酒杯をテーブルに置いて──持っていると際限なく飲んでしまうからであろう──さらに身を乗り出して、顔を近づける。
「実は最近、水道橋からシニスに流れてくる水の量が減ってるんでさあ」
ヴィジルは声をひそめて告げる。周囲に聞こえぬよう気を配っている様を見るに、公にはなっていない事案なのであろう、と思う。
「デクスの野郎どもが悪さしてるに違えねえんですが、クウィンタリナ大橋には自警団は入れない決まりになっておりやして──」
ヴィジルは言いづらそうに続ける。
ヴィジルによると、クウィンタリナ大橋はシニスでもデクスでもない扱いとなっており、ここばかりは領主の衛兵の管轄となるため、それぞれの街の自警団は警衛の名目で入ることが許されていないのだという。しかしながら、衛兵がその出身によりそれぞれの街を贔屓するというのは先の話のとおり──ヴィジルは、デクスの住民が衛兵を抱き込んで、水道橋の魔法具に悪さをしているに違いないと考えているというわけである。
「──旦那方、水道橋の魔法具の様子を見に行ってもらえやせんでしょうか」
ヴィジルの頼みに、私と黒鉄は顔を見あわせる。街同士のいざこざに巻き込まれるのはまっぴらであるからして、断るにしくはなし──と、互いに頷いたところで。
「あたし、魔法具、見てみたい!」
考えなしのロレッタが好奇の声をあげる。
「どうぞどうぞ、ついでに見ていってくだせえ!」
他で見れるもんじゃありやせんぜ、とヴィジルがロレッタの肩を叩いて──あれよという間に、私たちは依頼を受けることになっている。
「もしも、デクスの奴らが悪さしてたら、こらしめてもらってもかまいやせんぜ!」
煽るように続けるヴィジルに、ロレッタは、任せてよ、と安請け合いして──私は、できるかぎり穏便に済ませよう、と心に誓う。




