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「あんの長耳婆め!」
ベルフィデから、さらに北へと向かう道すがら、黒鉄は何度目になるかわからない悪態をつく。木立に射し込む木漏れ日はやわらかく、私たちの心を平らかにするのであるが、どうやら黒鉄の怒りについては、そのかぎりではないらしい。
「次にやれば負けはせんというのに!」
黒鉄は豪語するが、それはどうであろうか、と私はいぶかしむ。あの老エルフの業前は、ただ事ではなかった。何でもありの戦いであればまだしも、腕押しでは何度やっても黒鉄に勝ち目はないのではないか、と思う。
「しかし、黒鉄が腕押しで負けるとはねえ」
「油断しておったんじゃ! 次にやれば負けんと言うておろうに!」
からかうようなロレッタの言葉に──毎度のことだから無視でもすればよいのに──黒鉄は怒りもあらわに返す。
「一瞬で負けたのに?」
「あの一瞬で何が起こったかもわかっておらんやつは黙っておれい!」
事後、私の説明を受けて、黒鉄は自らの敗因に納得しているのであるが、ロレッタは本当にそのようなことが可能なのかと懐疑的であり──彼女はぺろりと舌を出して、はあい、と反省のない声をあげる。
「──む?」
そうして、道中絶えず昂っていたからであろうか、黒鉄は私よりも先に、その異変に気づいた。
「マリオン、聞こえるか?」
「──うん」
街道の先──木立を抜けた先から、かすかに助けを求める声が届く。私たちは急ぎ木立を走り抜けて、街道の先を見やる──と、荷馬車に群がる数匹のゴブリンの姿が目に飛び込む。商人と思しき御者が剣を振るってそれを追い払わんとしているのであるが、どうやら飢えたゴブリンの目当ては荷台の食料のようで、まったく引きさがる気配はない。商人は一人──周囲に護衛の姿はなく、あれでは数匹のゴブリン相手とはいえ、凌ぎきれなくなるのも時間の問題であろう、と駆け出しかけたところで。
「儂に暴れさせろ!」
吠えて、黒鉄は巨人の斧を手に、ゴブリンの群れに突貫する。よほど鬱憤がたまっていたものとみえて、黒鉄は猪のごとく、雄叫びをあげながら猛進する。私は駆け出そうとした足を止めて──最初から駆け出すつもりもなかったであろうロレッタとともに、黒鉄の戦いを見守ることにする。
「それにしても、北方は魔物が多いんだねえ」
黒鉄に蹂躙されるゴブリンを眺めながら、私はつぶやく。闇の森を抜けて、北方に足を踏み入れてからというもの、魔物に遭遇するのは、かれこれ三度目である。中原では、街道を外れなければ、魔物に襲われることなど滅多にないというのに。
「特別に魔物が多いわけじゃなくて、魔物を討伐する騎士団みたいな存在が少ないからなんだって」
と、私の疑問に答えながら、ロレッタは黒鉄に声援を送る。
なるほど、北方は蛮族の地であるから、そもそも騎士のごとく民心を安んずるために魔物を根絶するという発想からしてないのであろう。魔法を頼りとするウェネフィクスのように、中原と同じく騎士を擁する例外もあるのであろうが、多くは騎士道など解さず、直接的な害があって初めて魔物を討伐するというのであれば、ゴブリンどもが街道を跋扈するというのも頷けない話ではない。道中にも危険がともなうとなれば、ますます北方に人が寄りつかぬわけである、と私は一人納得するように頷く。
戦況に目をやると、すでにして決着はつきそうであった。
「ぬうん!」
吠えて、一閃。黒鉄の猛攻に逃げ出そうとしていた最後のゴブリンが、一振りのもとに両断されて、上下にわかたれた死骸が地に転がる。それで終わりだった。
血に濡れた街道で、むせかえるような臭気の中、黒鉄は獰猛に雄叫びをあげる。蛮族もかくやというその様を見るに、さぞ発散できたのであろうから、いくらか溜飲も下がったことであろう、と思う。
「大丈夫?」
いまだ吠える黒鉄を捨て置いて、私は腰を抜かしている商人に駆け寄る。幸いにして商人に怪我はなく、私は彼に肩を貸して、馬車の荷台に座らせる。助かった、と安堵の息をつく商人は、ようやく余裕を取り戻したようで。
「ありがとう、助かったよ。あんたら──もしかして、冒険者かい?」
礼を述べて、次いで私たちの出で立ちを見て、そう問いかける。
「そ、冒険者」
答えて、私は商人の蛮勇をたしなめるように続ける。
「商人が一人旅だなんて、物騒だよ」
「このあたりは冒険者の往来が少なくて、護衛を頼めるものがいなかったんだよ!」
と、商人は、まるで私たちが救いの神でもあるかのように、その目を輝かせる。
なるほど、北方全体からすれば南西部となるこのあたりは、さらに南西に位置する闇の森に遮られて、冒険者の往来が少ないのであろう。護衛を頼もうにも、そもそも人がおらねば頼みようもないのであるから、商人の苦悩もうかがえようというもの。
「どうだろう。できるかぎりの礼はするから、シニスの街まで護衛を頼めないだろうか」
言って、商人は革袋から銀貨を取り出す。それは護衛の相場よりもいくらか多く──私などは、どうせ行く先も同じであるのだから、言い値で引き受けてもよいと思うのであるが。
「もう一声!」
黒鉄とロレッタは、声をそろえて商人に詰め寄る。
「──シニスに着いたら、酒も奢ろう」
二人の勢いに気圧されたものか、商人はたじろぎながら続けて。
「決まりだね!」
喜色満面、黒鉄とロレッタは互いの手を打ちあわせて──私は、あちゃあ、と両手で顔を覆う。黒鉄とロレッタ──二人がどれほど飲み食いするかを知っていれば、そんな安請け合いはしなかったであろうに。きっと酒場での支払いの際に絶望するであろう商人をあわれんで、せめて彼の旅に幸あらんことを旅神に祈る。




