5
やがて、森は途切れて──私たちは、ぽっかりと開けた土地に出る。森の中の、そのわずかな平地には、小川がせせらぎ、川に沿うように耕された土には、見たこともないような野草が植わっている。
小道は、小川にかかる橋を越えて、私たちを平地の中央にそびえる塔へと誘う。古の魔女の住まう塔とは、いったいどれほどの威容であろうか、と身構えていたのであるが、眼前の苔むした塔は想像していたよりもこぢんまりとそびえている。考えてみれば、塔に住まうのは魔女その人と、百年に一度の弟子ばかりなのであるからして、天に届くがごとき威容である必要などないのである、と拍子抜けしつつも納得する。
「皆さま、私の後ろに続いてくださいな」
ルヴィアは高慢に告げて、蔦のからまる扉を開いて、塔に足を踏み入れる。扉の先、入ってすぐの部屋は物置のようで、壁際に雑多なものが積みあげられている。おそらく、魔女は塔の上階に居住しているのであろう、と私たちは部屋の外周にある螺旋状の階段をのぼる。
階段をのぼり詰めると、そこには古びた扉があった。扉には、古代語であろうか、何か文字が刻まれていて──魔女の住処に足を踏み入れしもの生きて帰ることあたわず、などと書いてあったら嫌だなあ、と私は苦く笑う。
「意訳すると『寝てるかもしれないから起こさないでね』と書いてあるのです」
私の豊かな想像など知る由もないというのに、フィーリがあきれるようにつぶやいて──それはそれで扉を開いてよいものか悩むなあ、と私はやはり苦く笑う。
ルヴィアは臆することなく、自らにこそ資格があるのだと確信した顔で、扉に手をかける。扉はあまり頻繁に開閉されてはいないのであろう、きしむような音をたてて開き、その隙間から埃っぽい空気が流れ出る。
扉の先は玄関のようで、先の物置よりかは、いくらか片づけられているように思える。部屋の中央にはさらに上階にのぼる階段があり──その階段の途中に、黒髪の女が腰かけている。
「──ようこそ」
女は気だるそうに告げて──魔女の住まう塔であるからして、彼女こそが件の魔女なのであろう、と私は姿勢を正す。
フィーリの知り合いであるというから、いったいどれほど年老いた老婆が現れるのであろうか、と思っていたのであるが、目の前の女は若く妖艶で──なるほど、闇の森の魔女ともなれば、老いなど超越しているのであろうなあ、と感心する。
「魔女様! 私こそが弟子となるにふさわしいものにございます!」
最初に飛び出したのはルヴィアであった。魔女の前に走り出て、我先に、と得意の魔法を披露し始める。
「私の魔法をこそ、ご覧ください!」
「我が家に伝わる秘伝の魔法を!」
出遅れてなるものか、と他の弟子候補たちも飛び出して、魔女の前で自らの実力を示さんと奮闘し始める。我らがロリスはいかに、と見れば──なぜか、彼女だけは脅えるようにクウェスの後ろに隠れて、その場を動こうとしない。
「魔女様、何だか怖い……」
ロリスがつぶやいた──そのときだった。
「ようこそ──招かれざるものどもよ」
魔女は吐き捨てるように言って、手にした杖で階段を叩く。その音に呼応するように、部屋の四隅の燭台に火がともる。
それだけで──すべての魔法が消え失せた。
ルヴィアをはじめとする弟子候補たちは、自らの披露していた魔法が忽然と消えたことが信じられぬようで、目に見えてうろたえる。彼女らは、再び力ある言葉を唱えるのであるが、魔法がその求めに応じる気配はない。
「──結界です」
胸もとでフィーリがつぶやく。
「魔法を封じてしまうとは、なかなかに高度な結界ですよ」
フィーリは感心するように続けるのであるが、我々を蔑むような魔女の視線を見るに、そのようなことを言っている場合ではない。
「魔法は選ばれしもののみに許されるもの。貴様らごとき下賤の民には過ぎた代物よ」
言って、魔女は立ちあがり、私たちを睥睨する。
その勝ち誇った顔といったらなかった。魔法を封じただけであるというのに、私や黒鉄をも軽んじるように見下ろす魔女の態度に、温厚な私にしてはめずらしく苛立ちを覚える。こちらには魔法使い以外の戦力もあるのだということを知らしめてやろう、と奴をにらみ返して、その驕りの源たる結界を打ち砕かんと決意する。魔女の結界は、フィーリの言うとおり高度なものなのかもしれないが、その発動の瞬間を見るに、四隅の燭台の火を消せば解除できるのであろうと当たりをつけて、私は疾風のごとく──。
『雷よ!』
駆け出すことはできなかった。魔女の放った雷は、私の足もとを穿ち、私は出足を封じられる。刹那の判断で足を止めていなければ、雷は私自身を穿っていたであろう。
「動くでない。魔法も使えぬ蛮族風情が」
吐き捨てて、魔女は私を嘲笑う。
不覚。魔女の結界は魔法を封じるだけでなく、いつぞやの王太后の宝冠のものと同じく、結界内に存在するものの動きすべてを感知することもできるのであろう。奴の思わぬ反応の速さに、私の方こそ奴を侮っていたのだと悟り、下唇を噛む。
魔女にわずかなりとも隙ができれば、私であればその一瞬で結界を打ち砕くこともできるものを、今のままでは動くことさえままならず、どうしたものかと思案する──と、意外なところから助け舟が出る。
「──あたしに考えがある」
ロレッタは、魔女に顔を向けたまま、小声で私に話しかける。私は、その考えとやらについて問い返すことなく、彼女に頷いて返す。ロレッタに考えがあるというのであれば、任せるに足るのである。
「ちょいと待ちなあ!」
ロレッタは高らかに叫んで──それは、彼女からすれば格好をつけたつもりの声であったのかもしれないが、はたからすれば間の抜けた声で、張り詰めていた空気が一気に緩む。
「魔法を封じたなんて、笑わせる」
ロレッタは魔女を見すえて、腕を組んで啖呵を切る。
「あんたが封じたのは、あくまで低位の魔法のみ。神代の魔法を操るあたしには通用しないよ」
「──神代の魔法だと?」
その言葉は、どうやら魔女の興味を引いたようで、奴は苛立ちを隠そうともせず、ロレッタに罵声を浴びせる。
「笑わせるのは貴様の方だ! 神代の魔法など、人の身で到達できるものではないわ!」
『花よ、咲き誇れ!』
ロレッタは魔女の罵声を遮るように、力ある言葉を唱える──と、彼女の手のひらに薄紅色の花が咲く。一輪の花は凛と咲いて揺れて、ロレッタはその花をこれ見よがしに魔女の足もとに放る。
ロレッタは、いったい何をしているのであろうか、と思う。魔女の結界によって魔法は使えないのであるからして、あれは彼女の奇術である。この緊迫した場面で、くだらない奇術を魔法と偽って何になろう、と私はあきれたのであるが。
「──は?」
しかし、そのくだらない奇術は、魔女にとってのみ、絶大な効果があった。奴は信じられぬものを見たというような顔で呆けて、間の抜けた声をあげる。
「あんたにも理解できるように、力ある言葉を唱えてあげた──でも、次は魔法の神髄を見せてあげる」
言って、ロレッタは私たちの顔を意味ありげに見まわして──そして、高らかに指を鳴らす。
すると、いっせいに花が咲いた。
ロレッタの手のひらに、胸に、髪に、薄紅色の花が咲き乱れる。いや、ロレッタだけではない。黒鉄にも、クウェスにも、そしてロリスにまで花が咲き乱れて、皆を美しく薄紅色に染める。
眼前に咲き誇る花を前にして、私は思わず吹き出してしまう。ロレッタのやつ、フィーリを驚かせるためだけに、いったいどれだけの種を仕込んでいたというのであろうか。
「──神代の魔法」
魔女は呆然とつぶやいて、杖を取り落とす。奇術に喝采するフィーリと同じく、奴にとっては、それは力ある言葉をともなわぬ神代の魔法のように思えたのであろう。
「──認めぬ、認めぬぞ! 貴様ごときが魔法の神髄に達しているなど!」
魔女は髪を振り乱してロレッタに手を伸ばし──私は、その瞬間をこそ、待っていたのである。疾風のごとく駆けて、四つ身に分身し、部屋の四隅の燭台それぞれに風撃を放つ。
「ロレッタ!」
燭台の火を消して、私はその名を呼ぶ。結界なき今こそ、魔法使いの腕の見せどころであろう。
『炎よ』
ロレッタが確かめるように唱えると、彼女の指先には拳ほどの大きさの火球が現れる。その結果に満足したものか、ロレッタはにんまりと笑いながら、魔女に向けて腕を掲げる。
「ロリス!」
ロレッタの呼び声に驚きつつも、ロリスも彼女を真似るように腕を掲げて──まさか、まさかとは思うのであるが、本当にあんないたいけな少女にあの魔法を教えてしまったのであろうか、と私は目を見開く。
『爆炎よ!』
ロレッタとロリスの声が重なり、二つの爆炎がまるで生き物のように魔女に襲いかかる。魔女は何やら唱えて、瞬時に魔法の障壁を展開するのであるが、双炎はその障壁の隙間を縫うように潜り込み、奴は瞬く間に灼熱の炎に巻かれる。




