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「闇の森なんて、たいそうな呼び名のわりに、何てことのない森だねえ」
言いながら、私は皆を先導するように前に立って、闇の森を行く。確かに深い森ではあるが、まったく光が射しこまないというわけでなし、闇の森とは少々大げさにすぎる呼び名であろう、と思う。
「森の中心には、件の魔女の住まう塔があると聞く。そのあたりは真なる闇に覆われておって、それが森の呼び名の由来らしいぞ」
「なるほど、魔女がらみの呼び名ってわけね」
黒鉄の言に頷きながら、私は行く手を阻むように茂る草木を竜鱗の短剣で払う。北に向かうにあたり、森を抜けるという選択をするものはいないのであろう、森を貫く街道跡には人の往来の形跡はほとんどなく、鬱蒼と草木が生い茂り、歩きづらいこと、この上ない。
「フィーリは、その魔女のこと、知らないの?」
「知っておりますよ。以前にお会いしたこともあります」
闇の森の魔女なんていうたいそうな名で呼ばれているのなら、旅具であればその存在を知っているのではないかと思っての質問であったのだが、まさか知っているにとどまらず会ったことまであるとは思いもよらず、私はいくらか驚いて、おお、と声をあげる。
「知り合いなら、会っていかなくていいの?」
「──気難しい方なんですよ」
返すフィーリの声はめずらしく苦く、なるほど旅具が会いたくないと言う程度には気難しいのであろう、と私もまだ見ぬ魔女に若干の忌避感を抱く。
私たちは、森の中心に広がるという闇に足を踏み入れぬよう、途中で街道跡をそれて、北東に向かって進む。街道跡を外れると、森はさらに険しさを増して私たちを拒むのであるが、そこは狩人の腕の見せどころというもの、森は私の狩場なのであるからして、いくら歩みが遅くなろうとも、歩み自体を阻まれるということはない。
「──おや」
やがて、私たちの進む先に交差する小道の存在を認めて、私は思わずつぶやく。獣道とも違う、明らかに刃物で切り拓かれたと思しき小道は、新しい足跡で踏み固められており──どうやら先頃、森の奥を目指したものがいるようである、と私は小道の行く先を見やる。
「黒鉄」
「──うむ」
小道の先から、かすかに悲鳴が届いて──私と黒鉄は顔を見あわせて頷く。
「先に行け!」
黒鉄は事情の呑み込めぬロレッタを急かしながら言って──言われるまでもなく、私はすでに疾風のごとく駆けている。小道はいくらか開けていて、私は一息で悲鳴の出どころまで駆け抜ける。
最初に目に入ったのは、脅えるようにうずくまる、とんがり帽子の少女だった。次いで、彼女を守るように立つ手負いの騎士と──最後に、視界が開けて、騎士の眼前にそびえたつ巨大な泥人形が目に飛び込む。
「下がって!」
私は泥人形に向けて牽制の矢を放ちながら、騎士の前に出て、後ろに下がるようにうながす。
「騎士が魔物に背中を向けるわけにはまいらぬ!」
騎士は剣を杖としており、もはや立っているだけでも精一杯であろうに、見え透いた虚勢を張る。
「騎士なら、まず主を守るために下がるもんでしょ!」
騎士のかばう少女が彼の主なのであろう、と当たりをつけて返して──返答はないものの、騎士の下がる気配を背中に感じながら、私は再び泥人形に牽制の矢を放つ。矢は幾本も刺されども、泥人形に止まる気配はなく、此奴は痛みを感じることなどないのであろうと判断して、私は弓に命ずる。
『貫け!』
放たれた矢は光りをまとって、さながら彗星のように飛ぶ。彗星は私をつかまんとする泥人形の右腕を吹き飛ばすのであるが、奴は微塵も焦らず、おもむろに肘から先を失った右腕で大地に触れる。すると、大地は泥人形の新たな右腕と化して、再び私に襲いかかる。すんでのところで奴の右腕をかわして、私は後ろに飛び退る。
「この泥人形──不死の魔物?」
「あれは件の魔女の使役する泥人形──ゴーレムです」
誰にともなくつぶやいた私に、フィーリが答える。
「もっと森の奥深いところを守っているはずなのですが」
フィーリは続けて疑問の声をあげるのであるが──今はそんなことはどうでもよい。
「知ってるなら教えて。どうすれば倒せる?」
「額の文字を──」
「額ね!」
見れば、ゴーレムの額には古代語であろうか、フィーリの言のとおり文字が刻まれていて──あの文字こそが弱点の類なのであろう、と私は奴の額に狙いをさだめる。
『貫け!』
再び放たれた矢は光りをまとって、さながら彗星のように飛ぶ。彗星はあやまたずゴーレムの額を直撃して──額ごと頭部を吹き飛ばす。頭部を打ち砕かれたゴーレムは、今度こそ再生することなく崩れ落ちて、やがて土くれとなる。
「額の文字を一文字削るだけでよかったのですが……」
「あ、そうなの?」
ま、よいではないか、とフィーリをなでて、私は手負いの騎士の救出に向かう。
「マリオン、無事か!」
ようやく黒鉄とロレッタが追いついた頃には、事はすべて終わっていた。私はフィーリの傷薬で騎士を癒し、彼の主であろう少女の無事を確かめている。
「ありがとうございます──」
瞬く間に癒えた自らの傷に驚きながらも、騎士は礼を述べて。
「──あなた方は、いったい何ものなのですか?」
魔女の住まう森を越えて北を目指すものなどいないからであろう、騎士はいぶかしげに問いかける。
「儂らは──めずらしいかもしれんが──北に向かう旅人じゃ。野盗の類ではないから、安心せい」
「──よかったあ」
黒鉄の返答を聞いて、騎士にかばわれるようにして身を縮こまらせていたとんがり帽子の少女が、あっけらかんと声をあげる。
「助けてくれて、ありがとう!」
少女は騎士の前に歩み出て、朗らかに礼を述べる。年の頃は十を越えたくらいであろうか、帽子からはみ出した黄金の髪は木漏れ日を浴びてきらめく水面のように揺らめき、頬にはわずかに紅を塗ったような赤みが差していて──少女は思わずこちらの頬が緩んでしまうほどに愛らしかった。
「こちらこそ問いたい。ぬしらのようなものたちが、なぜに闇の森に足を踏み入れたんじゃ」
黒鉄の問いに、騎士と少女はしばし瞬いて──それは、なぜそんな自明のことを尋ねるのか、という顔である──やがて、二人は顔を見あわせて、こう答える。
「──魔女の弟子となるために」




