5
扉は重い音をたてながら閉まり、私たちは闇の中に取り残される。
「フィーリ、灯りを」
旅具の灯りに照らされた光景に──私は絶句する。扉からは奥に向かって真っすぐに坑道が伸びており、その先にはどこかで見たことのあるような巨大な穴があいている。穴は上下に伸びており、その外周には──かつて採掘を試みたのであろう──螺旋状の階段が設置してあり、そのところどころにはさらに横穴があいている。私はダヴィアでの出来事を思い起こして、まさか、と黒鉄を見やる。
「もしかして、ここって──」
「──奈落じゃ」
私の問いに、黒鉄は短く答える。
「さすがにここまでは追ってこんじゃろうて」
と、黒鉄は得意げに笑うのであるが、私とロレッタにとっては、想像だにしない展開である。
「奈落って──罪人を放逐する場所なんでしょ!?」
何でそんなところに入るの、とロレッタは声を荒げるが、黒鉄はどこ吹く風。
「儂らにはフィーリがおるんじゃぞ。奈落からの脱出など、たやすかろうて」
のう、と黒鉄はフィーリに呼びかける。
「旅具の腕の見せどころです」
めずらしく旅具として頼られたことがうれしいものか、フィーリは意気込みをあらわにする。
「そもそも、奈落って何なの?」
もしかすると、フィーリならば奈落について何か知っているのではないかと思い至り、私は今さらながらに問いかける。
「私も存在を知っていたわけではありませんので、想像になりますが──」
と、フィーリはいくらか自信なさげに語り始める。
「マリオンは、赤毛の勇者の冒険譚をどこまで読みましたか?」
「四巻まで」
「では、赤毛の勇者ブルムが、死霊の王と戦った話は読んでいるでしょう」
確認するような旅具の言葉に、私は頷いてみせる。それはいつぞやの雨の日に読み終えた、三巻の物語である。
「この山脈の西──レクスフェルムの西こそが、その話の舞台となった地です」
「──山脈の西?」
フィーリの言に、黒鉄は疑問の声をあげる。
「山脈の西は、誰も生きて帰ることはできぬという死の砂漠じゃぞ」
「その砂漠は、物語にあるように、もとは肥沃な大地であったのです」
私は三巻の物語を思い起こして──なるほど、私の知る結末が真実なのであれば、肥沃な大地が死の砂漠となることもあろう、と納得する。
「フィーリ先生、それ、どんな話なの?」
あたしその話は知らないかも、とロレッタがフィーリに問いかける。確かに、物語を知らぬものにとっては、得心しづらいことであろうから、と私はフィーリに語りをうながす。
「それでは、僭越ながら──」
と、フィーリは前置きをして、朗々と語り出す。
フィーリの語るところによると、レクスフェルムの西──現在の死の砂漠には、遥か昔にとある国が栄えていたのだという。
その国の中心には、世界樹と呼ばれる巨大な樹がそびえており、その樹の生命の力によって、大地には季節を問わず緑が芽吹いていた。豊穣を約束された大地で、人々は飢えることなく、平穏に暮らしていたのである。
しかし、長きにわたる平穏は──突然、破られた。邪悪なる死霊の王が、世界樹の生命の力を求めて、その国に攻め入ったのである。死霊の王の強大な力の前に、人々はなすすべもなかった。滅びを目前にして、国を治める賢き王は、神に救いを求めて──そうして遣わされたのが、勇者ブルムであった。
ブルムと仲間たちは、激闘の末、死霊の王を討ち果たした──しかし、死霊の王は死の間際に、大地に呪いをかけたのである。自らがよみがえるための、邪悪な呪いを。
呪いによって、死霊の王の亡骸は、生命の力を吸い続ける異形と化した。彼奴がよみがえるに足る力を得るまで、周囲の生命は吸われ続けるのである。人々は倒れ、多くのものが息絶えた。
賢き王は、民よりも大切なものはない、と国を捨てる決意をした。死霊の王の亡骸は、世界樹の根元に捨ておかれて──その地を中心にして、世界は枯れ始めた。ありとあらゆるものが枯れていき、やがて世界樹までもが枯れ果てたところで、そこは生きるものの存在せぬ世界となった。生きるものなくしては、生命の力は得られない。死霊の王の亡骸は、それ以上の生命の力を得ることができず、彼奴の復活はかなわなかったのである。
そうして、その国の都──廃都を中心とした一帯は、命あるものの近づくことを許さぬ、死の砂漠となり果てたのである。
「それで、その話と奈落と、どんな関係があるの?」
旅具の語りに拍手を送るロレッタをよそに、私はフィーリに問いかける。
「奈落というのは──枯れ果てた世界樹の根の跡なのではないかと思います」
「は?」
フィーリの言に、私は眼前の巨大な穴を見やって──まさか植物の根の跡であるとは想像だにしておらず、ずいぶんと間の抜けた声をあげる。
「なるほどのう!」
一方で、黒鉄の反応は単純であった。
「奈落が根の跡であるならば、いかに巨大であろうと、いかに深かろうと、地上につながっているのは道理!」
やはり脱出できそうではないか、と楽観的に語る黒鉄に、私とロレッタは溜息で返す。黒鉄の言うように簡単な話であれば、誰一人帰らぬところとして罪人を放逐する場所とはなっていないであろうに。
「さあさあ、先を急ごうぞ!」
今にも駆けていきそうな黒鉄に代わって、私は先頭に立って。
「それではマリオン、お気をつけて」
フィーリにうながされて、歩き始める。
この巨大な穴が、本当に世界樹の根の跡であったのならば、いったい世界樹とやらはどれほど巨大であったのであろう、と私はまだ見ぬ巨樹に思いを馳せながら──奈落に足を踏み入れる。




