7
雌蠍の魔人は扉を開いて、私たちがついてきていることを確かめもせずに、聖堂の奥へと歩き出す。開いた扉には、エルラフィデスの聖典に記された神や信徒の姿であろうか、精緻な浮き彫りが細工されている。華美にすぎず、荘厳な印象を与える浮き彫りは、おそらく元来の聖堂の細工なのであろう、と在りし日のダヴィアを思いながら、雌蠍の後ろに続く。
やがて、私たちは聖堂の最奥にたどりつく。そこは、神に祈りを捧げるための祭壇であった。中央には光り輝く神の像が鎮座しており、その頭上には、天井画とでも呼べばよいのであろうか、神の住まう天界のごとき風景が、素朴な筆致で描かれている。
「原初の神ではありませんね」
神像を見て、フィーリがつぶやく。
「あれは──『聖神』です」
その口調に苦々しいものを感じて、私は、おや、と声をあげる。
「聖神──って、聖なる神様ってこと? それなら、よい神様のように思えるけど」
「自ら『聖神』と称するのですよ。ろくな神ではありませんよ」
私の問いに、フィーリは鼻息も荒く答えて──私は、なるほど、と頷く。
「しかし、聖鋼で神像をつくるとはのう」
もったいないのう、と黒鉄がこぼす──と。
「──我らが聖神をかたどるのに、聖鋼よりもふさわしいものはあるまい」
神前に配された椅子──醜悪に飾りたてられた椅子から、くぐもった声があがる。
司教のためのものであろう椅子に座するのは、しかし司教ではなかった。そこには、雄山羊の頭を持つ人身の化物──雄山羊の魔人が座しており、その両脇に雌蠍の魔人と双頭の魔人が控えている。
「そろいもそろって、気軽に人間を辞めおって」
黒鉄はそう吐き捨てるが。
「下等な人間であることにしがみついて何となる」
魔人どもはせせら笑うばかりで、聞く耳を持たない。
「儂らに用があるんじゃろ」
「そう、貴様らにしか用はない」
と、雄山羊は黒鉄の問いに答える。
「民衆の反乱など、取るに足らない些事にすぎぬのだ」
雄山羊は淡々と告げる。それは虚勢ではなかった。聖堂まで攻め込まれているというのに、奴は微塵の焦りもなく、何の痛痒もないと言い放っているのである。
「貴様らを始末して、それからゆるりとダヴィアの民に教えてやればよい」
誰が支配者であるのかをな、と雄山羊は続ける。
「本当に邪魔なのは、貴様らだけよ」
雄山羊は私たちの助力に気づいているのであろう、鬼気迫る武威を放ちながら我々をねめつけて──派手にやりすぎたかしら、と私はいくらか反省する。
「ドワーフ──確か黒鉄であったか。どうだ、命乞いでもしてみせるか?」
さすれば小娘二人の命は助かるかもしれんぞ、と雄山羊は黒鉄を嘲笑う。
「すぐに殺してしまってはつまらんぞ。あたしはじっくりと楽しみたいんだ」
雌蠍は舌舐めずりをしながら、私から視線を離さない。
「それでは、座興に一騎打ちをするというのはどうだろう?」
そう言い出したのは、双頭の魔人であった。
「三対三だから、三戦──じっくりと嬲り殺しにできる」
「──すぐに三対二になるわい」
双頭の魔人の言葉を否定するように、黒鉄は吐き捨てる。
「力自慢のドワーフ風情が、我ら勇将を倒せる──と?」
雄山羊は、片腹痛い、と哄笑する。
「いや──」
黒鉄はちらりと私を見やって。
「──儂ではない」
言いながら首を振る──と同時に、私は一歩前に出る。
雌蠍は私を見て、いつぞやのように邪悪な笑みを浮かべる。
「あのときの続きといこうじゃないか」
雌蠍は格下の相手を嬲るような心持ちなのであろう、おいで、と嘲るように手招きする──が、ここにはかばうべき子どもはいないのである。奴の勘違いを正してやらねばならぬ──と、私は疾風のごとく駆け出す。
『風よ!』
私は四つ身に分身して、雌蠍に向かって風撃を放つ──といっても、雌蠍自身を狙ったのではない。雌蠍が私の攻撃をどのように避けるかを先読みして、その回避のために足を踏み出すであろうところをめがけて、風撃を放ったのである。雌蠍は出足を封じられて動くこともできず──かろうじて腕を交差して心臓と喉を守る。
しかし、そのような防御など意味をなさない。私はすでに雌蠍の背後にまわり込んでおり、動くことのできぬ奴の背中めがけて、旅神の弓を構える。
『貫け』
放たれた矢は光りをまとって、さながら彗星のように飛ぶ。旅神の矢は聖鋼の鎧を紙のごとく貫いて──それでもなおその勢いを緩めることなく、聖堂をも貫いて、彼方へと消える。
「──何で?」
雌蠍は信じられぬという顔で、自らの胸に空いた大穴をみつめる。
「──あたしは魔人だぞ?」
次いで、私を見やって。
「──聖鋼の鎧を身に着けているんだぞ?」
私の身体をつかまんと手を伸ばして、その手が決して届かぬことを知って。
「──何で、あたしが死ぬ?」
つぶやいて、自らの死因さえ理解できぬまま、雌蠍は倒れ伏して絶命する。
「言ったじゃろ。すぐに三対二になる、と」
言って、黒鉄は、ふん、と鼻を鳴らす。
「よくもコルフィスを!」
黒鉄の薄笑いへの返答は、双頭の魔人の激昂であった。おそらく雌蠍と親交厚かったのであろう、奴は怒り任せて四刀を抜く。
「次こそは逃がさんぞ、小娘!」
「──あんたの相手は、あたしだよ」
言って、ロレッタが私と双頭の魔人の間に割って入り、赤剣を抜く。それは決して蛮勇ではない。奴の相手はロレッタがつとめると決めていたのである。
「私の相手は剣術の素人ではないか」
ロレッタの構えを見て、双頭の魔人は侮るように笑う。
失礼な。私と黒鉄が苦心して稽古に励んでいるのであるからして、剣術の素人に毛が生えた程度には成長している。はずである。
双頭の魔人は無造作にロレッタに近づく。それは達人ゆえの無駄を省いた所作というわけではなく、ロレッタを侮っているからこその単なる気の緩みであり──今やロレッタはその隙を見逃すような素人ではなかった。
『魔糸よ!』
ロレッタは魔法の糸を紡ぎ出し、双頭の魔人の動きを封じるように、その身体を縛りつける。
「こざかしい!」
双頭の魔人は四刀を振るって、自らにからみつく糸を断ち切る。しかし、ロレッタにとっては、ほんの一瞬、奴の身体の自由を奪うだけで事足りたのである。
『轟雷よ!』
力ある言葉を唱えて、ロレッタはフィーリから教わった新たな魔法を放つ。
轟雷は、いつぞや王太后の宝冠の唱えた魔法であり、本来であれば広範囲に雷を放って攻撃する魔法なのであろうが──私はそれを近接戦における足止めの魔法と解釈して、ロレッタに稽古の一環として覚えさせたのである。
双頭の魔人は、広範囲に放たれた轟雷を避けることができず、雷に打たれて動きを封じられる。そこに、ロレッタが赤剣を振るって──魔人は、かろうじて聖鋼の剣を頭上に構えて、赤剣を受け止めようと試みるのであるが、いかな聖鋼の剣とはいえ、神剣の前にはただの棒切れにすぎない。
双頭の魔人は、剣術の素人の一振りで両断されて、その異様な双頭は半分にわかたれて床に転がる。
「これで、三対一じゃな」
「──無様な」
つぶやいて、雄山羊はようやく椅子から立ちあがる。
「小手先の技にばかり頼るから、裏をかかれて負けるのだ。勇将の面汚しどもめ」
雄山羊は仲間の死を悼むことなく、憤りをあらわにする。そして、その言葉のとおり、技ではなく力で戦うというのであろう、いかなる武具も身に着けず、その剛腕を誇示するように構えをとる。
「儂はな、ここのところ鬱憤がたまっておるのよ」
臨戦態勢の雄山羊をよそに、黒鉄は溜息をつきながら語り出す。
「やれ海神だ、やれ百腕の巨人だ、と大物ばかりを相手にして、儂の出番などありゃあせん」
言って、拗ねるように唇を尖らせる。
確かに思い起こしてみると、近頃の黒鉄には吹き飛んでばかりの印象があることは否めないのであるが、まさかそのようなことを気にしていようとは──というよりも、あれらの化物どもに吹き飛ばされながら生きている黒鉄も大概だと思うのであるが。
「雄山羊の魔人よ──儂の鬱憤を晴らす相手となってもらおうかのう」
「それはこちらの台詞よ」
言葉を遮るように返して、雄山羊は黒鉄と相対する。しかし、その挑発めいた物言いとは裏腹に、雄山羊は黒鉄の間合いに近づこうとはしない。先の二人を一撃で仕留めたように、黒鉄の斧にも不可思議な力があるのではないか、と遠間から警戒しているのであろう。
「安心せい。儂の斧は頑丈なだけのなまくらじゃからの」
雄山羊の警戒を解くように言って、黒鉄は巨人の斧を構える。
「──よかろう」
雄山羊は、あと一足で黒鉄の間合いに入るというところまで歩み出て、両の腕を大きく開く。その巨木のごとき剛腕たるや、いつぞやの雄牛の魔人を彷彿とさせるほどで、並々ならぬ怪力を思わせる。
黒鉄と雄山羊は、それぞれ斧と腕とを振りかぶり、そのまま愚直にぶつける。そして、互いに弾け飛ぶようにのけぞって──どちらからともなく笑みをこぼす。
そこからは怒涛のごとき応酬であった。黒鉄は巨人の斧をまるで棍でも扱うかのように振りまわして、自身に襲いかかる雄山羊の剛腕を打ち払う。遠心力で威力を増した黒鉄の一撃は重く、雄山羊の剛腕をたやすく弾いてみせるが、その単調な回転ゆえに、軌道は読まれやすくなるようで──雄山羊は数合の打ちあいの後、巨人の斧をかいくぐって、黒鉄の身体を剛腕で殴りつける。魔人の膂力で殴られたのある。常人であればそれで即死であろうに、黒鉄は不敵に笑って、魔人に向かって血の混じった唾を吐く。
「ドワーフ! 死ぬまで殴ってやろうぞ!」
吼えて、雄山羊は剛腕を振るい、黒鉄を何度も打ちすえる。しかし、そのたびに黒鉄は報復のごとく斧を振るい、自らを殴りつける魔人の腕に叩きつける。
「我慢くらべといこうではないか!」
今度は黒鉄が吼えて──二人の打ちあいは終わる気配なく続く。
私の弓とも、ロレッタの剣とも異なり、巨人の斧は神ごとき力など宿してはいないというのに、折れぬというその一点のみで、黒鉄との相性は抜群であった。
「どうした、魔人よ」
雄山羊は次第に黒鉄に押され始める。それは雄山羊にとって、未知の体験であったのだろう。本来であれば、鎧のごとき魔人の肌に阻まれて、いかなる武器もすぐに折れてしまうのであろうが──巨人の斧は決して壊れなかった。何度も、何度も打ちすえられた雄山羊の腕はだらりとたれて、どうやら腕をあげることさえままならぬようで──こうなってしまっては、魔人も只人と変わらない。
「ドワーフごときが魔人の剛力と互角に打ちあうとは──」
「その程度で剛力を誇るとは──」
雄山羊の言葉を否定するように吼えて、黒鉄は魔人の両腕を打ち払い、斧を高々と振りかぶる。
「──百腕の巨人の方が剛力であったぞ」
黒鉄は巨人の斧を振りおろし、ついに雄山羊の魔人の脳天を打ち砕く。




