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エルラフィデスの北西──つまり、ダヴィア教区の北端に、件の鉱山はある。
残党狩りにみつからぬよう、平原に出ることなく山を行き、三日をかけて鉱山近くまでたどりついたところで、私たちは山腹で野営する。山腹の樹上からは、坑道の入口を望むことができるため、様子を探るには都合がよいというわけである。
「やっと着いたあ」
倒木に腰をおろして、ロレッタは大きく伸びをする。
「ロレッタにしては、がんばったね」
言って、私は彼女の頭をくしゃりとなでる。ロレッタの足にあわせたからこそ三日もかかったのであるが、それでも期限には間に合ったのだから、労いの言葉は本心からである。
「あたしが作戦の要だからね」
がんばらないわけにはいかないよ、とロレッタはいつになくやる気を見せる。
「明日の夜──新月の夜に作戦を決行する」
そう、マリナが告げると、解放軍の精鋭は──といっても、すべて女であるが──見張りのために散開する。
「ロレッタ殿、疲れが癒えたら、お頼み申す」
マリナに頼まれると、ロレッタは疲れも癒えていないであろうに、勢いよく立ちあがる。
「まずは、ダヴィアの男たちを解放するところから、だね」
任せて、と胸を叩いて、ロレッタは目を閉じて深呼吸をする。
作戦の決行は明日の夜であるが──まずは偵察である。
『魔糸よ』
唱えると、ロレッタの足もとから、無数の魔法の糸が紡がれていく。
『隠』
続く言葉で、糸は消える。不可視の糸は坑道を目指して地を這い続けているのであろうが、私の目をもってしてもそれをとらえることはできない。やがて、ロレッタがこちらを向いて、ふふん、と鼻を鳴らして──その誇らしげな様に、入口に立つ衛兵に気づかれることなく、糸は坑道に侵入できたのであろう、と思う。
「──何だ、これ?」
しばらく無言で坑道を探索していたロレッタは、何かをみつけたものか、不意に声をあげる。
「深い──深い穴がある」
「そうだ、その穴だ!」
ロレッタの言葉に、マリナが身を乗り出して。
「坑道の一部が陥没して、深い穴が現れて、そこから聖鉱石がみつかったのだ、と兄から聞いたことがある」
と、彼女は興奮気味に語る。
「もしかして──それは『奈落』なのではないかのう」
何やら思いあたる節があるようで、黒鉄が口を開く。
「ドワーフの言い伝えでの、地獄に通ずると言われる穴のことじゃ」
黒鉄の語るところによると、ドワーフの国には、その地獄に通ずるという奈落が、いくつも存在するのだという。
「穴では、貴重な鉱物を目にすることも多いというが、それらを求めて穴の底を目指したもので、帰ってきたものはおらんとも聞く」
建国の頃こそ、鉱物の豊富な大穴をみつけて、喜び勇んで採掘にはげんでいたドワーフたちも、やがて一人、二人と戻ってこない仲間が増えるに至り、ようやく奈落の危険性に気づいたようで──長いときを経て、今や奈落は罪人を放逐するための場所となっているのだという。
「そんな危険なところで採掘させられているなんて──」
マリナは、憤るよりも先にダヴィアの男たちの身を案じているようで、悲痛な面持ちでつぶやく。
ロレッタの糸は奈落に潜り、やがて採掘の現場に行きあたったようで。
「──ひどい」
その惨状を目の当たりにして、彼女は声をもらす。
ロレッタの糸の感知するところによると、ダヴィアの男たちは、地の底まで続くような大穴を中心として、その外周を採掘させられているのだという。
男たちは、皆一様に疲労の色濃く──時折、疲労のあまりに倒れて、そのまま足をすべらせて、奈落に呑み込まれるものもある。落下による逃れられぬ死に際して、絶望のあまりに発したそのものの叫びは、いつまでも途切れることなく続き、奈落の、まさに底知れぬ深さを思い知らされる。
それでも、彼らの採掘の手は止まらない。奈落へと通ずる坑道においては、それはありふれた死なのであろう。わずかに死者を悼むために祈りの句を唱えるものもあるものの、多くはその死に見向きもせず、虚ろな顔で鉱石を掘り続けている。
「衛兵は、思ったよりも少ない、かも」
ロレッタは糸による探索を続けながら、衛兵の配置を事細かに告げて──マリナがそれを紙に書きつける。
「衛兵が少ないのなら、救出も楽になるやもしれぬ」
マリナは楽観的に語るが、事はそう単純な話でもあるまい。ロレッタの見立てが正しいのだとすれば、衛兵よりも数で勝るダヴィアの男たちは、我々の助けを待たずして蜂起してもよいはずである。それにもかかわらず、蜂起しない──いや、蜂起できないというのであれば。
「──魔将がおるのであろうな」
私の考えと同じく、黒鉄が言って、苦々しい顔を見せる。
「──わ!」
と、突然ロレッタが声をあげて。
「どうしたの!?」
腰を抜かしたようにへたり込むロレッタを、私は慌てて抱きとめる。
「ごめん、驚いて、魔法解いちゃった」
「驚いたって、何に?」
謝るロレッタに、問いかける。
「いや──頭が二つあったもんだから」
彼女の返す言葉の意味がわからず、はて、と首を傾げる──と。
「──魔将のうちの一人です」
間違いない、とマリナが答える。ダヴィアを蹂躙した三人の魔将のうちの一人──双頭の魔人の存在に、マリナはその身を震わせる。
「私たちの目的は魔将の討伐じゃなくて、まずはダヴィアの男たちを救出することでしょ」
それならいくらだってやりようはあるよ、と私はマリナを勇気づけるようにその背中を叩いて──しかし、彼女の震えは、決して止まることはなかった。
次の日──私たちはマリナの書きつけに目を通して、衛兵の配置を頭に叩き込む。特に皆を先導する役目の私は、万が一にもしくじることのないように、頭だけでなく、身体を動かしながら、坑道の構造と衛兵の配置を感覚として覚え込んでいく。
おおよその準備を終えて──私は皆に休憩を提案する。神経を張り詰めたまま夜を待つのでは、いざ突入となったときに全力を尽くせぬやもしれぬ。休めるときは全力で休む。それが冒険者の心得であろう。
私は大樹に寄りかかるように腰をおろして昼寝をする。目を閉じていると、木陰を吹き抜ける風が頬をなでる。風に香る草木に故郷の森を思い起こしながら、うつらうつらとまどろみ始めたところで──寝入りばなに誰かの近づく気配を感じて、やむなく目を開く。
私の前には、解放軍の女が立っていた。女はいくらか逡巡しながら、やがて意を決したようで、私の隣に腰をおろす。
「どうしたの?」
「解放軍の行末次第では、死するやもしれませんので──」
自らが死したときのために、伝えておきたいことがある、ということであろう。私は女の顔に覚悟の色を認めて、いくらか居住まいを正して、続きをうながす。
「マリナ様のことを、お守りいただきたいのです」
「心配しなくても、守るつもりだよ」
心配性だなあ、と女に笑いかけると彼女はかぶりを振って応える。
「マリナ様は、おそらく──ダヴィアの長であった氏族の血族です」
女の言葉に、私は少し離れたところで同じように昼寝をしているマリナに視線を向ける。
「族長にはマルガリタ様という娘がおりました」
言って、女はマリナの寝顔をみつめて、優しく微笑む。
「幼い頃にお見かけしただけですが、族長の面影がございます」
女の言葉が真実なのであれば──つまり、世が世ならば、マリナはダヴィアの王女であったということであろうか。
「族長の血族は、魔将の手にかかり、死に絶えたと聞き及んでおります。しかし、マリナ様は生きているのです。ダヴィアの地を我らの手に取り戻した折には、必ずやマリナ様の──マルガリタ様のお力が必要となるはずです」
言って、女は私の手を取る。
「どうか──どうか、お力添えを」
「任せて、必ず守る」
答えると、女は安堵の息をついて──繰り返し礼を述べて、去っていく。
なぜ、マリナはあれほどまでに武人たらんとするのか、と疑問に思っていたのであるが、女の話を聞いて、ようやく得心がいく。彼女は彼女なりに、ダヴィアを守ろうと必死だったのであろう。
「必ず、守る」
マリナの寝顔に向けて、もう一度つぶやいて──私は今度こそ、眠りに落ちる。




