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目の前に、およそ人のためにつくられたとは思えぬほどに巨大な扉が、そびえたっている。
「扉の先の部屋を抜けると、地下都市です」
フィーリの言に、黒鉄と顔を見あわせて頷く。
二つ目の昇降機を降りて、隠し通路から迷宮に合流すると、すぐにその場所に行きついた。誰もたどりついたことのない迷宮の最奥。正攻法で迷宮に挑む冒険者を出し抜いてしまったようで、申し訳ない気持ちにならないこともない。
「これは私じゃ無理かなあ」
そびえたつ扉を見あげて、溜息まじりにつぶやく。
「よろしく」
黒鉄の肩を叩く。黒鉄は不敵に笑って、見せつけるように力こぶをつくる。わかったから、早いとこやってくれい。
「まあ、任せろ」
言って、黒鉄は巨大な扉を少しずつ押し開く。人が通れるほどの隙間が開いたところで、中の様子をうかがう。少なくとも魔物の気配はない。
「ついてこい」
盾を構えて、先に黒鉄が足を踏み入れる。不測の事態に備えて、弓を構えながら、それに続く。
部屋には、やはり何もいない。フィーリの灯りに照らし出された部屋は広く、ぼう、と浮かびあがる壁や床──天井にまで、おびただしい血痕が付着しており、激戦の跡をうかがわせる。それにもかかわらず、部屋には、人の死体も、魔物の死骸もない。その痕跡すらない。
床には奇妙な紋様が描かれている。見たことのないその紋様を、膝をついて指でなぞる。血のような何か、得体の知れないもので描かれた紋様は、爪先で擦っても消えることはない。
「お気をつけください」
フィーリが声をあげる。
「その紋様は召喚の魔法陣です」
告げると同時に、床に描かれた紋様が青白く光る。見れば、紋様は部屋全体に及ぶほど大きく、複雑に描かれており、青白い光は垂直に立ちあがり、空間を満たす。
立体的に交錯する紋様の中心から、闇が滲み出る。闇は次第にあふれるように量を増し、濁流となって、やがて巨大な黒い穴となる。闇の底から、巨大な──オーガよりも巨大な腕が現れて、穴の縁に手をかける。次いで現れたのは、人の形をした──しかし、決して人ではありえないほどに醜悪な何かだった。
「悪魔か……」
黒鉄が、ぼそり、とつぶやく。
「強いの?」
「ちと厄介じゃの」
髭面の奥で、めずらしく冷や汗をかいているのだから、ちょっとどころではなく厄介なんだろうに。私を脅えさせまいと、軽い調子で答える。
「やることはさっきと変わらん! 儂が前、ぬしが後ろじゃ!」
言って、黒鉄は私をかばうように前に立つ。
『──』
悪魔が何かを唱えると、その眼前に巨大な火球が浮かぶ。
魔法。それも強大な。黒鉄の後ろに立っていてさえ熱気を感じるほどだというのに、巨大にふくれあがる火球を前にしても、黒鉄は怯まない。盾を構えて、その炎を受け止めんと待ち受ける。悪魔は、その様を見て、嘲笑うように唇を歪めて、黒鉄に向けて炎を放つ。
「この程度では、丸焼きになってはやれんのう!」
鉄をもとかすような灼熱の炎を受けて、しかし黒鉄の盾は揺るがない。いったいどんな鉱物でつくられたものか、盾は炎の奔流を割き、黒鉄の背後にのみ逃げ場をつくる。後ろにいる私までは、地獄の業火も届かない。
とはいえ、黒鉄も無傷というわけではない。盾の部材には、特別な鉱物でないものも用いられているようで、熱を遮断しきれなかった持ち手からは肉の焦げる匂いがする。軽傷ではないだろうに、平気な顔で強がっているのだから、やせ我慢もここまでくると感心する。
炎が途切れたところで、黒鉄が斧を振りかぶり、雄叫びをあげながら前に出る。前は黒鉄、後ろは私だ。
悪魔を牽制するように矢を放つ。一息に三射。人型であるなら心臓があるかもしれない、と心臓を狙った矢は、胸をかばうように交差された悪魔の腕に刺さる。しかし、腕に刺さった矢など何の痛痒もないようで、悪魔は横薙ぎに腕を振る。オーガの一撃をも受け止めてみせた黒鉄が、腕の一振りで吹き飛ばされ、壁際まで転がる。
「黒鉄!」
悪魔の追撃を止めなければ、黒鉄が危ない。しかし、どこを射れば悪魔を止められるというのか。腕、脚、腹──やみくもに矢を放つが、悪魔に足を止める気配はない。
「これならどうだ!」
狙いすました一射で、悪魔の眼を穿つ。眼球をえぐる一撃に、悪魔は悶絶の声をあげて、その場にうずくまる。眼を射られると痛い。悪魔にも共通の真理のようで安心する。
「黒鉄、大丈夫!?」
吹き飛ばされた黒鉄に駆け寄る。
「おう、大丈夫じゃ」
思いのほか軽傷のようで、むくりと起きあがる。
いまだ怨嗟の声をあげる悪魔を見やり、その身体中に刺さった矢と、眼球を穿った一撃を認めて、感心の声をあげる。
「ぬしの矢は、よく刺さるもんだの」
儂の斧はこの様よ、と斧を掲げる。ほんの数回打ちつけただけのはずなのに、斧は無残に刃毀れしており、もはや使いものになりそうもない。
「でも、あれでも致命傷ってわけじゃないと思う」
見れば、傷ついた眼をおさえる悪魔の手の隙間から、やわらかい光がのぞく。おそらく、魔法の力で眼を癒しているのだろうと思う。となると、確実に仕留めてしまわなければ、再び傷を癒されてしまうこともあるわけだ。
「フィーリ、悪魔に弱点ってないの?」
困ったときは旅具の知恵に頼るにかぎる。
「弱点というのは悪魔によりけりではありますが、召喚された悪魔であれば、その存在を現世にとどめるための契約が成立しているはずですので、それを破棄するというのが容易であろうと思います」
「具体的には?」
要点を言え。
「悪魔は契約により心臓を得て、その心臓に魔力を供給することで、現世にとどまっています。心臓を破壊すれば、契約そのものが破棄されますので、悪魔は顕現できなくなるはずです」
心臓が弱点。確かに。思い返してみると、先ほども心臓をかばっていた。
「わかった」
弱点がわかれば、やりようはある。
「黒鉄、少し時間を稼いで」
「気軽に言うわい。それほど長くはもたんからな」
私の無茶な注文を、しかし黒鉄は胸を叩いて引き受ける。
『大きくあれ!』
唱えて、矢筒から二本の矢を取り出す。と同時に、黒鉄が駆け出す。
「貴様の相手は儂じゃ!」
吼えて、再び黒鉄が突貫する。
悪魔は、足もとの黒鉄を押し潰さんと両腕を振りおろす。黒鉄は、叩き潰される寸前で、大振りの一撃を、するり、と避ける。ドワーフという種族には鈍重な印象がついてまわるが、黒鉄にかぎって言えば、意外に小まわりが利く。
悪魔の両腕が地面を叩くと同時に、私は壁を蹴って高く飛ぶ。
『穿て!』
命じて、悪魔の手の甲めがけて矢を放つ。古代語の命に従って鋭く、そして歪に姿を変じた矢が悪魔の手を穿ち、石床に縫い留める。悪魔は逃れようともがくが、変形した矢は、もがくほどに深く食い込み、悪魔の動きを封じる。
次いで、動けなくなった悪魔の心臓に狙いをさだめて。
『貫け!』
強く命じて、矢を放つ。
放たれた矢は光りをまとって、さながら彗星のように飛ぶ。悪魔は矢を避けよう、心臓をかばおうともがくが、腕が縫い留められているため動けない。
彗星は悪魔の心臓を貫いて──さらには迷宮の壁を穿ち、地中奥深くまで掘り進む。地中をえぐる彗星が、迷宮を揺らす。迷宮ごと壊れはしまいか、と背中に冷たい汗をかく。地表にまでは飛び出していないと信じたい。
「おいおい」
黒鉄が、あきれたようにつぶやく。
それもそのはず。心臓を破壊するどころではない。悪魔の上半身は、丸ごと消えていた。
とはいえ、心臓を破壊したことに間違いはない。現世にとどまる契約は破棄されたようで、残る下半身も徐々に灰となって消えていく。
「やりすぎでは?」
「加減なんてわかんないよ」
フィーリに諫められるが、旅神の弓に、これほどまで大きな力を込めたのは初めてだった。まさか迷宮をも破壊するほどの威力になるとは思わなかったのだ。これからは加減を意識するようにしなければ。
悪魔が完全に消え去ると、ようやく安心したものか、黒鉄は斧と盾を放り出して、その場にへたり込む。
「大丈夫?」
駆け寄って、火傷を負った黒鉄の手のひらに、フィーリの傷薬を塗る。みるみるうちに火傷は消えて、黒鉄は回復を確かめるように拳を握り──そして、握りしめた拳を天に掲げる。
「やったの! やりとげたのう!」
勝利を実感したようで、雄叫びをあげる。
「やったね! 黒鉄が悪魔の攻撃を受け止めてくれたおかげだよ!」
「なんの、おぬしの止めがなければ勝てておらんわい!」
互いに称賛しあい、拳をぶつけて、冒険者らしく勝利を祝う。
「お寛ぎのところ、申し訳ございません」
と、フィーリが水を差す。
「召喚の契約の内容にもよりますが、もしかすると時間の経過で新たな個体が召喚されるかもしれません。今のうちに進みましょう」
うながされて部屋の奥を見やると、入口にくらべるとずいぶん小さな扉がある。
「あの扉を抜ければ、ウェルダラムです」
旅具に急かされて、私たちは休む間もなく、扉を開いた。




