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祖父が死んだ。
折悪しく近隣で広まった流行り病にかかって、数日も経たぬうちに亡くなった。終始苦しそうに咳き込む祖父に、別れを告げる暇もなかった。
これ以上、流行り病が広がらぬように、と祖父を含む死者たちは火葬された。
「すまない……」
苦渋の決断を下した村長が、遺骨を納めた壺を抱える私に告げる。
村の風習では、死後にも身体が残るように、という考え方から、土葬が一般的だった。そのため、死後に灰となり身体の残らない火葬は、死者にとって望ましいものではなかった。
「祖父からは、一族の廟に納めるために火葬にしろって言われてましたから、お気遣いなく」
無理やりに笑って、村長に返す。
そうか、と短く答える村長の隣で、その息子のロビンがうつむいている。いつもはうるさいくらいにからんでくるロビンも、この日ばかりは静かなもので──それが少し寂しく思えた。
祖父は狩人だった。
祖父の祖父も、そのまた祖父も、ずっと村の狩人だったのだという。
祖父曰く、比類なき腕前とのことだったが、私も同じくらいの腕前はあるので、本当のところはわからない。
両親を早くに亡くした私にとって、祖父は親のようなものだった。幼い私は祖父によって男勝りに育てられ、止めるものがいないのをいいことに狩人の跡継ぎとして鍛えあげられた。鍛えあげられてしまった。ロビンには、女だてらに、と嫌味を言われるが、村には私より優れた狩人はいない。
「マリオンなら、どこにいってもやっていける」
そう祖父に認められたのは、昨年の十五歳の誕生日のことだった。
老いて衰えていたとはいえ、祖父を超えたと認められたのだ。これから、ようやく恩返しができると思っていたのに──こぼれそうになる感情を、下唇を噛んでこらえる。
「死んだら、旅神様の霊廟に納めてくれ」
とは、老いてからの祖父の口癖のようなものだった。
山間の村から、東の森の奥深くまで進むと、泉のほとりに村のものも知らぬ霊廟がある。祖父によると、それは一族の管理する霊廟で、嘘か真か、旅神を祀ったものだという。
白い石を積みあげただけの飾り気のない霊廟は、しかし近づくものに厳かな印象を抱かせる。祖父から近づくことを厳しく戒められていたこともあって、遠目にしか見ることのなかった霊廟は、近づいてみるとあちらこちらが傷んでおり、風雨にさらされた歳月を感じさせた。
「お祖父ちゃんのためだから」
自らに言い聞かせるようにつぶやいて、霊廟の扉に触れる。冷たく、生者を拒絶するようなそれは、ひどく錆びついており、まるで異界に続く扉のようにも思える。
「よい……しょ!」
声とともに、渾身の力を込めて扉を押す。
錆びた扉は耳障りな音をたてて、少しずつ、ゆっくりと開いていく。扉の隙間から流れ出る黴臭い空気が、ひやりと肌をなでる。
霊廟の中は、外観から想像したよりも広くはなかった。
中央に祭壇のようなものがあり、その周囲の壁面には、私の祖先のものだろうか、遺骨の詰まっているであろう壺がぐるりと並んでいる。壺は年代順に、右まわりに並んでいるようで、祭壇の右側の壁には、まだ隙間があるようだった。祖父からは聞いていなかったが、一番新しいと思しき壺は、もしかしたら私の両親のものなのかもしれない。
順に並ぶ壺の一番端に祖父のものを納めて、祈りを捧げる。
「お祖父ちゃんの望みどおり、旅神様の霊廟に納めたからね」
つぶやいて目を閉じると、祖父との思い出が浮かぶ。さんざん怒られたような気もするけれど、それすらも懐かしい。
どれほどの時間そうしていたのだろう。目を開く頃には、胸のうちが少し軽くなっているような気がした。
「さて、帰ろうかな」
祖父を納めた壺にお別れの手を振って、振り向く──と、不意に祭壇の壺が目に入った。
周囲と同じような形の壺は、しかし材質や装飾において、他のものよりも豪奢に思える。貴族のものと言われても信じられるような気品があり、眺めていると、むずむずと好奇心がわいてくる。よくないことだとはわかっている。わかっているんだけれども!
「お祖父ちゃんがいたら、罰当たりめって怒られただろうなあ」
言い訳のようにつぶやきながら、そっと壺の蓋を開ける。
壺の中には、灰が詰まっていた。遺骨が灰と化したものだろうか。すべてが灰になっているのだから、それなりに昔のものなのだろう。まさかとは思うが、もしかしたら本当に旅神の遺灰なのかもしれない。
「まさかね」
つぶやいて、壺の蓋を閉じる。
壺の周囲には、その主のものだろうか、いくつかの副葬品が並んでいる。それらのほとんどは、指輪、腕輪など、身を飾るものであり、朽ちかけていることもあって、特段目を引かれるものではなかった。しかし「それ」だけは用途がわからず、異質で、それ故に目が留まり──私は行き過ぎようとしていた足を止めた。
小さな──石だろうか。素材の知れぬ鉱物の表面には、奇妙な紋様が描かれている。旅神を祀っているということだから、これも所縁の品なのかもしれない。
観察していると、不意に吸い寄せられるように、私の指先が石に触れた。私の意思ではない。気づいたときには石の上に指があった。
『──』
石は音を発した。ように思えた。
そんなはずはない、と音の出どころを探して周囲を見渡す。もちろん私以外に誰かいるはずもない。
いったん霊廟を出るべきか。狩人の本能が警鐘を鳴らす。しかし、それと同時に、私という存在を私たらしめている、抗いようのない好奇心が、私の足をその場にとどめた。
そして、あらためて、自らの意思で、石に触れる──と。
「はじめまして」
意味のある言葉が響いた。
「な、なんなの!?」
今度こそ、確実に理解した。目の前の石が話しかけている。
「私は旅具です」
そんなことは聞いていない。
「何で石がしゃべるのよ!?」
「かつて、エルディナ様とともに旅をしておりました旅具です」
こいつ、人の話を聞かないやつだな、と思いながら、石の口にした名前に思いをめぐらせて──息をのむ。
「エルディナ様って……」
普段、旅神様とばかり呼ぶので、あまり耳になじみはないが、それは旅神の神名だった。
「旅神エルディナ様の……旅具……?」
「そうです」
よくできました、と褒めるように続ける。
「しかし『旅神』と呼ばれているのですか。神格化されているとは、さすが我が主」
軽い調子で言って、誇らしげに笑う。しゃべるを通り越して笑うとは。驚くよりも、あきれてしまう。
「ところで」
と、石は話題さえ変えてみせる。
「あなたのその緑の瞳、亜麻色の髪──少し短いのは異なりますが、面影を感じます。そして、何より、あなたのその弓」
祖父を霊廟に納めた後、そのまま狩りに出るつもりで持ち出した祖先伝来の弓を見て──はて、見えているのか?──石は懐かしそうに言葉を続ける。
「それは、あなたが旅神と呼ぶエルディナ様の弓です。その弓を持ち、その風貌で、この霊廟に遺骨を納めにくるということは、あなたはエルディナ様の子孫なのかもしれませんね」
神の子孫。
そう言われて、まさか、と首を振る。私は平凡な人間だ。もしも本当に旅神の子孫だというのなら、石の言うように、人として旅をした旅神が、後世で神と崇められるようになったのかもしれない。
旅神のすばらしさを語り続ける石をよそに、私は、ふむ、と考える。
何も見なかったことにして、石を置いて去ることもできる。霊廟に閉じ込めるのは少々気の毒な気もするが、得体の知れない石とは別れて、私は今までどおり暮らす。
しかし、一方で、今後のことを考えると、打算がないわけでもない。祖父のいない家に一人。もちろん狩りに出かけても一人。特に狩りは孤独だ。息を殺して、気配を消して、一人で何日も森にこもる。今までは祖父が隣にいてくれたけれど、これからは本当に一人になるのだ。訳のわからぬ石でも、話し相手くらいにはなるかもしれない。
好奇心が、私の背を押した。
「私はマリオン。あなたの名前は?」
意を決して、しゃべる石を手のひらにのせて、目線をあわせて尋ねる。
「フィーリと申します」
そう名乗って。
「私に名前を尋ねたのは、あなたで二人目です」
旅具フィーリは、愉快そうにくつくつと笑った。