第88話 『 醜い私 』
今話からは終章【アナタの隣で描く未来―― 】をお楽しみください
【 sideアリシア 】
―― 1 ――
「――っ!」
悪魔から目覚めたように、アリシアは目を開けた。
「ココは……」
きょろきょろと周囲を見渡せば、そこは見慣れた場所だった。
種類の増えた本棚。勉強に使う学習机。最近衣替えに合わせたふかふかの布団。ハンガーラックには買い物に使うピンクのショルダーバッグが立てかけられていて。
「私の部屋?」
目覚めた場所は間違いなく自部屋で、それ故に脳が理解に追いつかなかった。
何故、自分の部屋にいるのか。
寝る前よりも記憶が鮮明な時を思い返せば、確かみつ姉とデパートへ買い物へ出かけていたはずだ。そこで偶然、ソウタと遭遇して、それから――
「っ!」
脳に電撃が走った感覚とともに、アリシアは記憶が途切れる寸前の出来事を思い出した。
「私、ソウタさんとあの人が一緒に居るのが嫌で……拒んで、それで……」
嫌だと、子どものように泣き叫びながら、アリシアはソウタの手を握った。その手を彼が強く握り返してくれたことも。
「私、なんてことを」
後からやってくる悔悟に、アリシアは頬の肉を噛んだ。あんな情けない姿、ソウタに見て欲しくはなかったのに。
「そうだ! 今何時!」
自分を襲う後悔も後回しにして、アリシアは慌てて布団の脇に置かれている目覚し時計を手に掴む。
「朝の……8時⁉」
そんな時間をまで寝ていたことがないアリシアは、自分が一体いつから寝ていたのか困惑した。颯太に手を引かれたのが、夕方16時頃。そこから記憶がないということは、ざっと16時間は寝ていたことになる。ほぼ一日の間眠っていたことに、更に驚愕した。
「はっ! 朝ご飯!」
昨日は日曜日。となれば今日はおのずと月曜日。ソウタは学校だ。彼のことだからきっと朝ご飯を食べ終えているだろうし、もう学校に向かっていい時間だ。
バタバタ、と騒がしい音を立てて布団から体を起こせば、アリシアは髪の毛もくしゃくしゃなまま廊下を駆け下りた。
勢いあまって玄関に突っ込みそうになる寸前に体にブレーキをかけて、アリシアは旋回。そのまま渡り廊下を走れば、リビングへと息を切らしながら辿り着いた。
そして、アリシアは目の前の光景に瞠目した。
いつも二人でご飯を食べるテーブル。今日はもう見れないと思っていた少年の姿がそこにあって――。
「おはよ、アリシア。朝から元気だね」
アリシアの喧騒に、少年――ソウタは苦笑しながら迎えた。
「どうして、今日は学校じゃ……」
もしや、と思ってカレンダーを見れば、数字は黒い。つまり今日は普通に平日だ。
ならば何故颯太がここに、しかも制服姿ではなく私服でいるのか疑問を深まるばかりだった。
そんなアリシアの様子は火を見るより明らかで、だからソウタはアリシアの疑問に端的に答えた。
「今日は午後から学校に行くことにしたから。だから変な心配しなくて平気だよ」
「なんでですか⁉」
「なんで、って言われても。家の住人が寝込んでるのに、学校なんか優先にできないでしょ」
当然だよ、と言う颯太にアリシアは声も出なかった。
沈黙したアリシアを見続けながら、颯太は椅子を引いて立ち上がった。
「朋絵と陸人にはもう事情説明してあるから、クラスの皆には上手く誤魔化してくれてと思う。先生も特に追及してこなかったし、なんならこのまま今日はサボっても平気かもね」
「…………」
「いつもみたいに、サボっちゃダメです、て叱らないの?」
歩み寄るソウタが穏やかな笑みを浮かびながらそう問いかけてきて、今日ばかりはそれを言うことが出来なかった。
だってソウタが休んだのは、自分のせいなのだから。
「ごめ……」
「謝らなくていい。アリシアが謝ることはない」
謝罪の言葉を、ソウタが遮った。
「体調崩すことなんて人間だれでもあることだし。そんな根詰めなくていいんだよ。体調が悪い時はしっかり休むことも大事。これ、胸のメモ帳に書き込んどいて」
「――――」
ソウタの言葉にすんなり頷けなかったのは、やはり後ろめたさがあったからだ。
顔を伏せるアリシア。そんな彼女に、ソウタは小さく吐息すると、
「昨日はごめん。アリシアの気持ちを理解できずにいた。本当は、何があってもキミの傍にいなきゃならなかったのに」
「それは違いますよ! 元々、買い物に行っていいと許可したのは自分なのに、それなのに、私はあの人に勝手に嫉妬して、皆を困らせた」
胸の奥に沸いたどす黒い感情。そう、あれは間違いなく〝嫉妬〟だった。ソウタを取られたくないという、子ども染みて惨めな感情だ。
そんな醜い感情すらも、ソウタは肯定しようとした。
「それが普通だよ。俺の友達の女子も言ってた。女の子なら、自分の大切な人は独り占めしたくものだ、って。俺だって、アリシアが他の男といるなんてごめんだ」
「私は、ソウタさん以外は好きなりません」
「知ってる。だからこそ、俺はアリシアの気持ちに甘えて、そして踏みにじった。それを、ちゃんと謝りたくて、だから学校も休んだんだ」
抱き寄せられて、そして体が離れていく。ソウタの顔がしっかり見えれば、彼は頭を深く下げた。
「本当に、ごめん」
「――――」
どう返事すれば、ソウタは顔を上げてくれるのだろう。
ソウタは何一つ悪くない。自分を心配させまいと、事前に連絡までしてくれた。そして、遭遇してしまってからもアリシアの事を一番に気に掛けていたし、さらに早く帰る為にあの場の全員を納得させながら最善の案を出してくれた――それを全て踏みにじったのは、アリシアの方だった。
咎めるべきは自分で、ソウタは冤罪もいいところだった。
そんな彼が、今はどうしたら顔を上げて笑ってくれるのか、アリシアは懸命に脳に血を巡らせた。
「なら、一緒にいてください」
ぽつりとそう呟けば、ソウタはどういうことかと顔を上げた。
眉根を寄せるソウタに、アリシアはその手を握って、言った。
「今日は、ずっと一緒にいてください。昨日、触れなかった分、いっぱいソウタさんの温もりが欲しいです」
この寂しい気持ちを、貴方の温もりで満たして欲しかった。この悔悟で満たされる痛みを、温かい手で拭って欲しかった。
それは咎者の醜い欲望だった。自分が咎められるべき責任を逃れ、人の優しさに縋る、最低の行為――天使だった者の所行では、到底なかった。
その〝咎者〟に、少年はまた手を握り返して。
「お安い御用だよ。天使様」
そう微笑んで、アリシアを抱き寄せた。
――私は、ズルい。
ぽつりと、自分の中で、自分が冷酷に笑った気がした。
彼が優しい人だって知っていて。その優しさに甘えることがどれほどの罪科なのか分かっておきながら、天使はそれに気づかないフリをした。
―― Fin ――




