第一話 『 宮地颯太 』
さぁ、本日も天罰のメソッド劇場の開幕――。
【 side颯太 】
―― 1 ――
「――んっ」
宮地颯太の朝は時々早い。
一週間の内に、二、三くらい、陽が昇る前に起きる日がある。
今日は設定されたアラームより二時間前に目を覚まして、颯太は布団からもぞもぞと起きた。
「――今日は、海でつりするかぁ」
寝起きの一声。それが、颯太が目覚しより早く起きる理由だ。
普段は自転車で十五分ほどの漁港で釣りをするのだが、今朝はその倍の時間は掛かる海に行きたい気分だった。
ふあぁ、と欠伸をかいて颯太は布団から離れる。足取りはそのまま部屋を出て階段へ。トタトタと木板を踏む音を鳴らしながら、颯太は玄関を通り越した。
渡り廊下から見える庭を、寝ぼけた顔で覗くと、雀が二羽、雑草を突いて戯れていた。
なぜか足が止まって、颯太はそれを眺める。しばらく観察していると、雀は視線に気づいたのか、颯太に振り向いた。小刻みに顔を振わせて、その場でステップを刻む雀。やがて、興味を失ったかのように羽ばたいて二羽とも去ってしまった。
「そろそろ庭の手入れ時かな」
あちこちに生えた雑草を睥睨して、颯太はまた歩きだした。
夏。といっても明け方の空気は涼しい。住んでいる地域の特徴でもあるが、完全に覚醒する前の体がすんなり動けるのはこの気温のおかげだ。
そんな清涼な空気を満遍なく体に浴びせながら着いたのは、この家の最奥に位置するトイレだった。
「不便だよなぁ。いつも思うけど」
もう何十年も住んでいる家。だが、この感想はいつまで経っても変わらなかった。
はぁ、と深い溜息を吐きつつ、颯太はドアノブを捻る。
しっかり尿意も消化したところで、今度はすぐ隣の洗面所の戸に手を掛けた。ガララッ、と戸は建付けの悪い音を立てる。体よりも前に腕が先に部屋に入って、パチン、と電気を点けた。
正面に四歩歩けば眼前の大きな鏡に自分が映った。寝ぼけた顔を洗うべく、勢いよく流れる水を手で掬う。両手に水を溜まった水を顔面で二、三回弾くと、意識は完全に覚醒した。
立てかけられたフェイスタオルを引っこ抜き、乱暴に顔を拭う。ぷはっ、顔を拭き終えると、タオルを洗濯機へシュート。入る様を見届ける事なく、颯太は歯を磨き始めた。
トイレに行って、顔を洗い歯を磨く。自堕落な生活が何カ月も続く中で、颯太はこの日課だけは欠かすことはしない。それをちゃんとやれと、祖父に口うるさく言われたからだ。
日課の一工程が約五分ほどで終了。次に颯太はリビングに向かう。
異様に静かなリビングは、以前はもう少しだけ明るかった。現在はもぬけの殻のような雰囲気だ。それは、人一人が住んでいるにも関わらず、にだ。
このリビングで過ごす時間も今は滅法減って、颯太がここを使うのはご飯を食べる時くらいしかない。それに、ご飯は台所で食べるようになったしまった。
台所の小さな灯り。それだけで十分だと、颯太はこの数カ月で学んでしまった。
食器棚からコップを、冷蔵庫からは牛乳を取り出す。トポポ、と牛乳を半分くらいまで注いで、牛乳を元の場所にしまう。
片手に持ったコップを調理台に置いて、颯太は昨日買っておいたアンパンの袋を開けた。
「――――」
がぶっ、とパンにかぶりついて、きちんと噛んで呑み込む。そしてまた齧りつく。時々牛乳を飲んでと、パンが胃に収まるまでその動作は続いた。
指に付いたあんこをぺろりと舐めて、少し残った牛乳を一気に飲み干す。
「――――」
朝食を終えてすぐ、颯太は冷蔵庫を再び開ける。そこから木箱を取り出すと、足早にリビングを出て行く。
それから数分後。ラフな格好に着替えた颯太は、ポケットに財布とスマホだけを突っ込んで靴を履いた。つま先でタイルを何度か蹴って履き心地を確認すれば、颯太は玄関に置いてある釣り道具一式を抱えて外に出た。
玄関の真横に置いてある自転車のカゴに、荷物を詰めるだけ詰んだ。
「よしっ」
ふっ、と息を吐き、颯太はちらっと空を見た。
天候は良好。スマホで天気予報を見れば、今日は一日、快晴だそうだ。
今日は熱くなるな、とぼそりと呟いて、颯太はいよいよ自転車のスタンドを上げた。
「それじゃ、行きますかっ」
久々の海釣りで、気分が高揚し出す。
それに、今日は大漁な気がする。
そんな期待を胸に、颯太はペダルを勢いよく漕ぎ出した。
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「お前には失望したぞ」
針先に揺れるイソメを忌々し気に見つめ、颯太はがっくりと肩を落とした。
釣りを初めて早二時間が経過。が、釣果は乏しいどころか当たりすらない。バケツに汲まれた海水には波紋の一つすら立たず、虚しいかな雲の切れ端だけが映る。それを覗くたびに、颯太のため息がまた一つ増えていった。
「そろそろ、新しいやつに替えるかー」
鮮度が命のイソメの消耗は激しい。鮮やかだったこげ茶の体も、いまでは濁った茶色まで廃色している。自分を魚に例えるなら、こんなご飯には飛びつかない。
「よい、ほい……っと」
針先のイソメを取ると、颯太は新しいイソメに交換するべく木箱の蓋を開けた。蓋の影が消えると、途端、イソメはうねうねと活発に動きを再開させる。
客観的に見れば、中々にグロテスクな絵面だ。木くずから何匹ものイソメがお互いの体を擦り合わせながらもぞもぞと動いているのだから。
「お前にするか」
しかし、颯太はまるでお菓子を抓むかのように、ひょいっとイソメを掴んだ。捕まえられたイソメは必死に抵抗するが、颯太はお構いなくその胴体をハサミで切った。
餌として適度な大きさに合わせるのも、魚に掛かってもらうために必要なことなのだ。
もごもごと動くイソメの口に針を食わせ、針先を隠すのがポイント。針を隠せる上にイソメの動きにも似ているおかげで、魚が違和感なく食べるのだ。……釣れるか釣れないかは結局のところ魚任せだが。
「今度こそ、ちゃんと食われてくるんだぞー」
イソメに願掛けして、颯太は竿を持ち上げた。
振り子が揺れるような動きから、腕を一気に振り下ろす。ヒュンッ、と糸が風を斬る音を鳴らして、イソメは数十メートル先まで飛んでいく。緩やかに弧を描くイソメは、次第に見えなくなり、やがて海面へと消えた。暫く時間を置くと、颯太は垂れ下がった糸を調整する。ピンと張った糸の状態にすれば、あとは魚が餌を食べてくれることを願いながら待つだけだ。
「ふぅ」
一息吐いて、颯太はゆっくりと腰を下ろした。
魚が掛かるまでの時間。颯太にとってその間は波の音を聞くのがルーティンだ。
待ち時間は自由みたいなものだ。竿をひたすらに見つめ真向から向き合う釣り人もいれば、新聞を読んだり寝たりご飯を食べる人もいる。
そんな数ある待ち時間の中でも、颯太は比較的珍しい部類に入るだろう。ボー、とただ流れる雲を眺める時間。そこに余計な思考は入らない。
スマホで検索すれば、海の音なんてものはどこにでも転がっている。颯太も暇つぶしに何回か聞いたが、すぐにむず痒くなってやめてしまう。だって、此処に来るたびに思うから。この音は生で感じて初めて意味のあるものなのだと。
言葉では言い表せることが出来ない自然の時間が生み出す音を、颯太は全身を通して初めて共有できるものだと思っている。
だから颯太は三十分以上かけて自転車を漕ぐし、手に匂い残るイソメにも触る。
町の景色が変わっても、海は変わらず広大であり続ける。姿は変わっていないのに、でも海は驚きと楽しさを颯太にくれる。
だから、颯太は海が好きだった。
そんな好きを見つけさせてくれた人も、海が好きだったから。
「――――」
遠くから地面を擦る足音が聞こえてくる。
それは段々と颯太の方に近づいて来るが、本人は意識が海に向いているせいで気付かない。
足音が颯太の真後ろで止まった。
くすくす、と笑い声が聞こえたのはにわかに認識できたが、その時にはもう手遅れだった。
突然。視界が暗闇に覆われて、颯太はようやく意識が戻る。ビクッと咄嗟に肩が震える様子に、声音は心底愉快そうに訊ねた。
「だーれだ」
少なくとも男性の声ではない。颯太は沈黙のまま、次の問いかけを待った。
「ヒント1。ソウちゃんを昔からよーく知ってる人です」
「…………」
「ヒント2。この町一番の美女で~」
「それは誇張し過ぎだよ」
「うるさい」
「すいません」
つい反論してしまって、質問者が圧の籠った声で抑圧してきた。反射的に謝ると、質問者は咳払いして続けた。
「ヒント3。世話焼き上手で家事万能な頼れるおねーさん」
「ヒント4~。あららー。最近、お腹にお肉が付いた気がするわねー。あーもう、ダイエットしなきゃ! 歳はとりたくないなー……ってイタイタイッ⁉ 目に指が食い込んでる⁉」
どうやら質問者の琴線に触れたらしく、叩いた軽口に釣り合わない激痛が颯太を襲った。
堪らず悲鳴を上げる颯太はすかさず白旗を上げる。すると、力の入った指先は耳元から聞こえる溜息と同時に離れていく。
「いってー」
目尻に一杯の涙を溜めた目が景色を取り戻してくと、颯太は唇を尖らせながら振り返る。
見上げる先。眩しい青空を背に、その人は頬を膨らませていた。明らかにご立腹といった態度で、腰に手を置いて颯太を見下していた。
颯太はやれやれと肩を落とすと、よっ、と立ち上がった。
「ソウちゃん、て呼んでる時点でバレバレだよ――みつ姉」
苦笑交じりに彼女の名前を呼ぶと、ふんっ、と鼻を鳴らして言われた。
「だったら早く答えなさい。分かり切っている答えをいつまでも先延ばしにするのは、男として減点よ。ソウちゃん」
そう言って彼女――みつ姉は颯太にデコピンした。
優良三津奈。それが彼女の本名であり、颯太がみつ姉と慕う女性だ。
シャンプーの良好な香りがする黒髪は背中に掛かるくらい長く、顔立ちは自他ともに認めるほどに整っている。長いまつ毛に漆黒の瞳。筋の入った鼻から下の艶やかな唇。
顔立ちだけでなく、体つきも相当だ。メリハリの際立つボディラインは、今日も薄手のシャツのみで隠れているがまったく隠れていない。いつか、颯太はみつ姉に注意したことがあったが、『お姉ちゃんに欲情するなんてソウちゃんのエッチ~』と馬鹿にされて以来忠告を止めてしまっている。本人が気にしないというのであればそれまでだし、颯太もみつ姉のラフな格好を見慣れてしまったせいで妙な意識はしなくなった。それでも、時々意識はしてしまうが。
そんなみつ姉と颯太の関係は姉弟ではなく幼馴染だ。家も近所で、小さい頃から面倒を見てもらった結果、いつしか三津奈をみつ姉と呼ぶようになった。今ではすっかりその呼び方が定着して、仲も本当の姉弟のように良好な関係だ。
そんなみつ姉だが、彼女は普通に成人しているし社会人だし今日は平日だ。スマホを確認すると時刻は八時半ごろ。普段なら職場にいるはずの時間帯にこんな場所にいるのは珍しかった。
「ねえ、みつ姉。なんでこんな所にいるのさ? 仕事は?」
「ん? あぁ、今日は休日出勤の代休なのよ。だから晴彦くんにお弁当を作ってあげたんだけどね。晴彦くん、肝心のその弁当を忘れちゃったみたいなのよ」
「なるほど、晴彦さんに弁当を届ける為に来たわけだ」
「そういうこと」
確かにそれなら、みつ姉がこの海外沿いに来るのも不思議ではなかった。
ちなみに、晴彦とはみつ姉の婚約者だ。
「それならこんな場所で油うってないで早く届けてあげればいいのに」
「なに、嫉妬?」
「ハッ」
「ちょっと、なんで鼻で笑うのよ」
「いや、みつ姉がまたアホなこと言い出したな、って」
「アホとは何よ」
「今更、二人に嫉妬なんてするわけないだろ。それに今日休みなら、どうせ家に来るんでしょ?」
「うん。おかず持っていくから」
「別にいいのに。というか、晴彦さんは何も言わないの?」
「何も、って何を?」
首を傾げるみつ姉に、颯太はこめかみを抑えた。
「晴彦さんもだいぶ抜けてるからなー」
晴彦から信頼されているのはわかっているが、それでも婚約者を他の男と平気に二人きりにさせるものか。みつ姉と颯太の関係性を理解しているからか、それとも、颯太に置かれている現状を危惧しているからか――いずれにせよ、二人の思惑がどうであれ、颯太にみつ姉を傷つける気は毛頭ないが。
「みつ姉、前にも言ったけどさ、本当に気にしなくていいから。俺だってもう十七になるんだし、自分の面倒くらい自分で……」
「駄目。私が行かなかったら、ろくな食事取らないでしょ」
「そんなことない」
思わずムキになると、みつ姉は「ほほーん」と睨んだ。
「それじゃあ、私がソウちゃん家に行かなかった三日の間、食べたものは何?」
「ぐっ……」
指摘されて、颯太は苦虫を噛んだ形相で呻いた。
「あんぱん……」
「それはいつ?」
「今日の朝です」
「……朝はまぁ、そのくらいでもいいとしましょう。で、昨日の夜は?」
「……カップ麺」
「じゃあ、お昼は?」
「……カップ麺」
「どうしよう、だんだん聞くのが怖くなってきちゃった」
暴いていく颯太の私生活に、みつ姉が己の肘を抱えて震えた。
「もう聞くのが怖いから聞かないわね。はぁ、ソウちゃん。前に「健康には気を付けるから」って私に言ったじゃない。なのに、そんな食事続きじゃ、本当、いつ体壊すかわからないよ?」
本気で心配してる時の声音だ。颯太は内心申し訳なく思いつつも、
「一応、野菜は取ってるよ……ジュースだけど」
「駄目よ。ちゃんとした野菜も食べなきゃ」
「でもほら、みつ姉と一緒にご飯食べる時は食べてるじゃん」
「それ以外は?」
「…………」
口ごもる颯太に、みつ姉は何度目か分からない深い溜息を溢した。
「ちゃんと栄養摂らないと、もしもの時に体動かせないよ?」
「大丈夫。そんな日はきっと来ないから!」
「言い切らない。もうっ」
ほとほと呆れた風に吐息して、みつ姉は「とにかく」と前置き、
「今日はソウちゃん家でお昼一緒に食べるから、それまでに帰って来てよね」
「へいへい」
颯太は適当に相槌を打つと体を海に向けた。竿先に反応はない。
「それで、今日は何か釣れたの?」
言いながらバケツを覗き込むみつ姉。それに颯太は口を尖らせて言った。
「なぜバケツ覗きながら聞くの?」
地味に心に刺さる嫌がらせだ。颯太はしかめっ面になった。
「あらあら。どうしてでしょうねぇ」
意地悪そうに笑みを浮かべるみつ姉に、颯太は彼女の意趣返しだと気付く。
「……まだ始めたばっかりだから、釣れないのは当たり前だ」
「はいはい。そういう体にしてあげるわ」
露骨な嘘にみつ姉は微笑する。
「せっかくだし、ソウちゃんが釣るところ見たいな」
「それは俺じゃなくイソメに言って。あいつが頑張らないと俺も頑張れないから」
「じゃあソウちゃんとイソメ、どっちを応援しようかしら」
「別にどっちでも。というか、釣りに応援なんかなくない?」
「あら、そんなことないわよ。漁師だって誰かに応援された方が力が出る、って漁港の人たちも言ってたもの」
「あの人たちはそれが仕事だからでしょ。俺はただの暇つぶしだもん」
「いいのよ別に。誰かに応援された方が、なんにでも頑張りがいがあるってものでしょ?」
「……そうかな」
「そうよ」
みつ姉の言葉を肯定できず、颯太は視線を落とした。
「まぁ、爺ちゃんに褒められた時は、ちょっとは嬉しかったかも」
「でしょ」
「あと、みつ姉も」
「ついでみたいに言わない」
「いたいいたい」
みつ姉が頬を抓った。でも、力は入ってない。
その光景は本当に姉弟のようだった。他愛もない毎日の一瞬を切り取ったように、
指が颯太の頬からゆっくりと離れると、みつ姉は遥か先を見つめながら、問いかけた。
「――一人には、もう慣れた?」
そんな問いに、颯太は素っ気なく答える。
「まぁ、ぼちぼち」
「そっか……それなら、少しは安心かな」
「今更だけど、別に、みつ姉たちがそこまで気に掛けることはないよ。そりゃ、爺ちゃんが死んでから、俺のこと心配してくれることに感謝はしてる。でもさ、もう俺、十七になるんだし、一通りの家事もこなせる。生活でだって困ってないから……」
だから気にしなくて平気、そう言いかけて振り向いた瞬間だった。みつ姉の表情に、寂寥が募っていることに気付く。
彼女は、胸裏の激情を押し殺すような声音で呟いた。
「そういう事じゃないのよ」
「――――」
颯太は何も答えることができない。そんな颯太に、みつ姉は水平線を見つめながら続けた。
「ソウちゃんが一人でも困ってないのは知ってる。何十年も見てきてるから。でもね、もっと周りを頼っていいのよ。どれだけ一人でいることに慣れても、ソウちゃんはまだ子供だもの。子供は、もっと大人を頼っていいの」
「十分、頼ってる気がするけど」
「本当に?」
「…………」
「ほらね」
みつ姉の追及に、颯太は視線を合わせられなかった。
「だから私はソウちゃんをほっとけないのよ」
「ならさ、みつ姉はなんで俺の今の状況になんも口出さないわけ? ――学校に行け、って言えばいいじゃん」
優しい目に、無力な自分が映る。
五月の下旬ごろだったか。祖父が他界して二カ月を過ぎた頃、颯太は学校に行かなくなった。様々な理由が重なった結果だが、それをみつ姉はおろか周囲の誰も原因を聞こうとはせず、そして、咎めることもなかった。
何故、誰も言及してこいないのか。最初は疑問だったが、時間が経って今はもうどうでもよくなっていた。……ただ二人だけ、颯太が不登校になってから家にプリントを届けてくれた同級生がいたが。
颯太はみつ姉の返事を待った。一秒。二秒。数秒の沈黙の後、口を開くみつ姉は、颯太に微笑んで、
「学校に行く行かないは、ソウちゃんの自由だもの。何かしらの理由があるだろうし。無理に聞くのもいいけど、それじゃあ、根本的な解決にはならない。ソウちゃんが話してもいいかな、って思ったら、その時に聞くつもりではいるけどね」
「別に俺は話しても……」
いい、そう言い終える間もなく、颯太の唇はみつ姉の一指し指に塞がれた。
「そんな顔で言わないで。ソウちゃんにそんな顔させながら、私は話なんて聞きたくはないの」
「……どんな顔してんの、俺」
「辛そう。すごく、苦しそうに見える」
自分ではそうは思わない。けど、口を開ける度に、胸の奥が悲鳴を上げるような感覚は、あった。
「もっとマシな顔になったら、その時にちゃんと聞くわよ。だから、ゆっくりでいいわ。学校にも、行きたくなったらでいいよ」
「……甘やかしすぎだよ。それで出席足りなくて退学になったら、元も子もないじゃん」
「その時はその時よ。大丈夫。晴彦くんもよく学校サボって補習受けてたから」
「晴彦さんと比べられても、スケールが全然違うんだよなぁ」
晴彦の場合は自由過ぎるが故だ。学校を抜け出して颯太の授業参観に来たことは今でも思い出深い。
「とにかく、ソウちゃんのことを放って置けないけど、私含め皆、必要以上に触れる気はないのよ。ソウちゃんが抱えてる問題は、ソウちゃん自身で解決するべきだと思ってるから。勿論、ソウちゃんが何か悩みを聞いて欲しいって言えば、私は喜んで相談相手になるわ」
豊満な胸を叩いて、みつ姉は鼻を鳴らした。そんな頼もしい姉に、颯太は乾いた笑いをした後、
「それじゃあ、そん時はみつ姉を真っ先に頼るわ」
「うん。期待して待ってます」
向かい合って誓った。いつか、この約束を果たせればいいなのと、颯太は心の底から思った。
そして、みつ姉の手がゆっくりと伸びて、颯太の黒髪を撫でた。
「まぁ、何も言わないのも、子どもを見守る大人の立場としては駄目な気がするから、ちょっとアドバイスするわね」
「アドバイス?」
疑問符を浮かべる颯太に、みつ姉は「うん」と頷きながら黒髪を優しく撫でて、
「気長に生きて、そして、気長に成長すればいいんじゃないかな。それが人生だよ」
「――――」
「人生は山あり谷ありだけど、どんな風に昇ったり下ったりするのかは、その人次第。ソウちゃんはソウちゃんのペースで生きなさい」
「山があるのは確定なんだね」
「当たり前よ。生きてれば苦しいことなんてたっくさんあるんだから」
「みつ姉にもあったの?」
「あったわよ。二十四年間生きて、もう数えきれないくらいあったわ。それに、この先も沢山あると思う」
「そっか。なら、そん時は俺も手伝うよ」
「あはは。子供のくせに、生意気だなー」
「いはいいはい……」
撫でていた手が頬を引っ張る。みつ姉は悪戯な笑みを見せた。
やがて手が離れると、みつ姉はふっと息を吐いて、
「とにかく、ソウちゃんはソウちゃんの人生を楽しみなさい。私と晴彦くんは、それをお酒の肴にでもするから」
「なんだそれ、めっちゃハズい」
「ふふふ。それが、弟の宿命なんだぞ~」
「マジか」
今から多少なりとも黒歴史を減らすことを本気で見当しつつ、
「ま、人生うんぬんはまだよく分かってないけど、今は釣りを楽しむことにするよ」
「そうそう。学校サボって釣り。いかにもろくでなしの所行だけど、いいと思うよ」
「ろくでなしなのは否定しないんだ……」
突然の暴言に驚愕していると、みつ姉は「それじゃあ」と切り出した。
「そろそろ行こうかな」
「ん。気を付けてね」
「ソウちゃんこそ。何かあっても海に飛び込まないようにね」
「流石にそんな馬鹿な真似しないって。芸人じゃないんだから」
颯太はみつ姉の可笑しな想像を鼻で笑い飛ばした。海に飛び込みたいと思う気持ちは分からなくはないが、飛び込む理由がない。
本人も冗談で言っただけに「だよね」と直後に笑い飛ばした。
「あ、さっきも言ったけど、お昼に行くのは本当だから、それまでにはちゃんと帰ってきてね」
「はいはい。一時頃でしょ」
「それくらいが丁度いいかも」
「了解」
「じゃあ、また後でね、ソウちゃん」
「ん、また後で」
手を振るみつ姉が、徐々に遠くなっていく。やがて完全に見えなくなると、代わりに彼女の愛車が動き出した。それすらも見えなくなると、颯太は再び釣り竿に視線を落とした。
無言で座り込み。未だに反応のない釣り竿から視線はみつ姉を送った左手に映る。
昔は、この両手で掴みたいものがあった。確かに、あったはずだ。
みつ姉の言葉が、何度も脳内で再生される。
その度に生まれるのは、虚無感と己に対する失望だった。
それなのに、今は空虚でしかなくて――。
「何やってんだ、俺」
ぽつりと零れ落ちた言葉は、潮風に運ばれて大海に消えた。
―― Fin ――
良き! と思った読者様は広告下↓【☆☆☆☆☆】いいねを【★★★★★】にしていただけると作者の励みになります! 皆様の応援、心よりお待ちしております!
天罰のメソッド一話め! このお話は青春群像劇とのことでそのお話のメインキャラクターの視点で切り替わりながら進んでいきます。ところどころ読みにくい箇所はご了承くださいぃ。
みつ姉の登場シーンなんですけど、書きたいこと多すぎて綺麗に纏めきれませんでした。みつ姉の説明だけで二~三ページはいけるで。
それでは次回もよろしくお願いしまぁーーーーす! (エンターぽち)