汝の求めるモノは何ぞや
「私が貴方に求めることはティミドへの訴訟の撤回。あの子は今回の件に関係ないでしょう?」
「貴方がマシディリの父親が誰かを疑うように、世間もティミド様の関与を疑っておいでですよ。それも、謝ることが無いくらいに確信的に」
「貴方は分かっているでしょう? ティミドにそんな度胸は無いと。ただでさえ謹慎処分を受けているのだから、どれだけ落ち込んでいるか想像がつくでしょう? 貴方ならティミドがどう思っているか、どれだけ辛い思いをしているか分かるはずよ」
「それ、トリアンフ・セルクラウスにも言いましたか?」
あえて呼び捨てにしたのもあってか、プレシーモの眼光が強くなった。
「対抗処置だとお思いなら、血縁的にも近く発端となった側の訴えを下げることが優先にして難易度の低い行いかと私は思っておりますが、如何でしょうか?」
「性格を知っているからこそ、どちらの方が冷静な対処をできるか考えた結果なのです」
トリアンフよりもエスピラを評価しているような発言ではあるが。
「私たちは互いに信用を損なった状態であると理解しておりますか?」
「一番大事にしなくてはならないモノを見失っている兄上よりは話し合いになると思っていましてよ」
「その話に応じることで、私に何の利点があるのでしょうか。
元々、私はティミド様の謹慎処分には反対の身ではありましたが、それでも元老院が決断したと言うことは怒りの持って行き先を探していたと言うこと。それに選ばれたティミド様が、信を失っていた軍団の者に責められている。しかも彼らはどちらかと言えば私の味方だ。
私が、今ティミド様を庇うのは私を支持してくださる方々への裏切りに他ならない。
それに、ティミド様への裁判はアレッシアを割ることはありません。私にとってすぐに解決しなくてはならないのはトリアンフ様の方。訴えた側も訴えられた側も被庇護者でない以上は、私はソルプレーサが訴えた裁判を優先させます」
トリアンフを立てようとしている三男コルドーニ。その妻と一門に対する裁判を。
そして、トリアンフに協力した者で未だに謝りに来ていない者に対する裁判を。
「貴方がティミドへの訴えを下げさせたなら、私は兄上を説得いたします」
「そうですか。では」
「待って!」
エスピラは腰を上げた状態でプレシーモを一瞥した。
顔を扉に向ける。
「貴方が恐れているのは過剰な干渉でしょう? 私の提案に乗れば、すぐに裁判が終わる。貴方にとっても利のある話だとは思わないのかしら」
「私の提案に乗れば、ですか。残念ですが、トリアンフ様の説得は必要ありませんよ。ティミド様が土俵に乗った時点で、ティミド様を奪えば戦いは終わる。そうでしょう? 世間から見ればトリアンフ様は何も守れなかったわけですから。そんな者に誰もついて行きませんよ」
プレシーモの提案は、エスピラにとっては自分が掴んだ勝利をプレシーモが利用して最大の成果を得るべく動くだけ。
確かに、勝利を成果に繋げるのは大事であり、勝利を局地戦、大局に影響ないレベルまで貶めることもまた大事ではあるが、現状においては必要ない。
「貴方こそ、何故私と会談したかったかを思い出しては如何?」
プレシーモが言った。
「タヴォラド様、クロッチェ様は私の味方。ルキウス様はマルテレスが口説き落としました。後は全ておまけですよ」
「セルクラウスに喧嘩を売っているつもり? クエヌレスも、現在の執政官と永世元老院議員の一人を輩出しているのだけど」
「随分とギリギリな手を使って永世元老院議員にねじ込んだようですね。まあ、資質としては十分だとは思いますが、過程が良くないとどうなるでしょうか。御子息は、まだ財務官も経験しておりませんよね」
父や祖父への出資の見返りとして、応援の優先順位が落ちた影響もあって。
「息子はまだ二十七。財務官になっていなくとも問題ない年齢です」
「私は二十五。財務官も経験し、マフソレイオとマルハイマナ、メガロバシラスとの交渉を纏め、副官として参加したカルド島への遠征の成果を以って凱旋行進をやらせていただきました。クエヌレスの成果が脅しになるとは、此処に来た当初のプレシーモ様なら考えていなかったはずだ。
心のどこかで思っていたとしても、言わなかったはずですよね。でも言った。言ってしまった。
随分と、ウェラテヌスを見下してくれたものですね」
エスピラは上からプレシーモの肩に手を乗せた。
手のひらから、プレシーモに見えないようにオーラを流し込む。
「私を見下しているだけか。ウェラテヌスを馬鹿にしたのか。どちらでしょうか? どちらもでしょうか? 少しでも相手に敬意を持つアレッシア人なら、相手の家門だけは決して傷つけないものでは?」
「被害意識が過剰じゃないかしら」
プレシーモが真っ直ぐにエスピラを睨みながら言った。
エスピラは目を合わせたまま、眉を上げる。
「妄想たくましいプレシーモ様に合わせたつもりですが、如何でしょうか」
「へえ。随分と貴方の息子の話を引っ張るのね。貴方もどこかで自分の子供じゃないと思っているのではなくて?」
「貴方こそ何度も引っ張るだなんて。心当たりがあるのですか?」
「どちらの話? あの子が関係を持った男について? それとも、私でも看過できないほうかしら」
「面白いですね。叩けば何が出てくるのでしょうか。随分と頻繁にメルアについて述べておりますが、よもや?」
「妄想がたくましいのはどちらでしょうか?」
廊下の喧騒が扉越しに耳に入る。
エスピラは意図的に喧騒を耳から追い出し、口を開いた。
「妄想かどうかは、やってみれば分かります」
「やってみれば?」
プレシーモの手がエスピラの手に伸びてきたため、エスピラはオーラを消した。
プレシーモに手を掴まれ、肩から外される。
(量としては十分か)
とは言え、タイリーのことを思えばエスピラはプレシーモを殺す気はほとんど無い。
「貴方は、トリアンフの後だ」
「捨て台詞ね」
プレシーモが鼻で笑った瞬間、扉が開いた。
現れたのは敵意に満ちた緑がかった碧眼。その目が、エスピラの掴まれている右手に行った瞬間、鋭さを増す。
「ねえ。人の夫を誘惑するなんて、随分と素敵な姉だとは思わない?」
短剣を握りしめるメルアを止めるよりも先に、エスピラはプレシーモの表情を確認した。
驚きと恐怖。
目を見開いて、口を薄く開けている。
「死ね」
「メルア!」
右手を伸ばすが、プレシーモの腕が離れずに上手く動かない。メルアの短剣は迫ってくる。
(殺意なんて幾らでも向けられる機会はあっただろ!)
エスピラはプレシーモを突き飛ばすように右手を大きく振った。
プレシーモが後ろに去っていく。机から大きな音が鳴る。メルアのナイフはなおもプレシーモへ。
痛み。
「っ」
予定通りの行動をできなかったエスピラの右腕に、メルアの持つ短剣が刺さった。
メルアの目が一瞬だけ大きくなり、すぐに昏く冷たいモノに変わる。
「ねえ。なんでその女を庇ったの?」
「此処でメルアがアレを殺すと、私がメルアと離縁されかねないからだ」
エスピラは、メルアを左手で抱き寄せた。右手は痛みが残っており、ナイフが刺さったままである。
「あら。それなら此処にいる全員を殺せば良い話じゃない」
「此処は神殿だよ、メルア。神の怒りを買いたくはない」
メルアの威嚇に似た吐息が漏れ、エスピラの首に痛みが走った。熱に近いぬくもりもある。メルアが噛みついたのだろう。
痛みも、覚えがあるもの。
「大丈夫ですか?」
切羽詰まった声に戸惑いを混ぜて、湖の神殿の神官が扉の前に現れた。
目はあっちこっちを見ている。
「清めの水と、白のオーラ使いを呼んでください」
「あとあの女を殺して」
エスピラは、プレシーモを睨んでいるらしいメルアの後頭部を撫でた。
「気にしないでください」
「私はセルクラウスよ。言うことが聞けないの?」
「メルア。プレシーモ様もセルクラウスだ」
「あら。随分と一門の利益を考えないのね。私と同じ一門だなんて思いませんでした」
エスピラの後ろで人、恐らくプレシーモが動く気配がする。
メルアに一門と言われて、思うところがあったのか。
「一門のことを考えていないのはどちらかしら」
と、不敵な声で挑発してきた。
「死ね」
格が違う。
「メルア!」
エスピラはメルアの背中を撫でながら、強く抱きしめた。
メルアは唸り続けているが、オーラを使っている気配は無い。神官は戸惑いながら立ち止まっている。
エスピラは目と顎で神官に動けと命じた。それからプレシーモへと意識を向ける。
「挑発はおやめください。本当に死にますよ」
よいしょ、とメルアを抱きかかえてから、エスピラはプレシーモを見下ろした。
「まるで兄弟を思いやるような良い姉を演じているのに妹のことを何も知らないなんて、些か滑稽ですね」
プレシーモの表情が一変した。
それを無視して、エスピラは言葉を続ける。
「早くお帰り下さい。メルアのことを知っているなら、それが最善策だと分かるはずですよ」
「ねえ。エスピラ。私、血の繋がった者を殺すのが他とどう違うのか知りたいのだけど」
「メルア」
「理解していないのは貴方では無くて?」
「黙れ」
「お姉さまがわざわざはちみつを纏って火の前に来てくれたんですもの。そんな牛を逃がすのは無礼では無くて?」
「メルア!」
エスピラは声を荒げると、メルアに圧倒されているらしいプレシーモを睨みつけて顎を大きく動かした。
プレシーモがメルアを気にするような動きをしながら、部屋を出ていく。
「私に手紙を寄こしておきながら、どうして逃げるんですか、お姉さま!」
「ねえ!」「返事をしなさいよ」「売女!」と、メルアがプレシーモを罵り続ける。
エスピラは適当にメルアをなだめつつ、湖の神殿のやり方に則って『聖なる水』なるモノの到着を待ち続けたのだった。




