汝の求めるモノは何ぞや
「仮に、私を第二のタイリー様に成れる者だとおっしゃりたいのでしたら、それもまた買いかぶりと言うものですよ」
プレシーモが片目を大きくする。視線はどこか見下すようなモノ。
「アレッシアという共同体に於いて一人の影響力が強すぎるのは考えものよ。だけど、父の才能は確かなものだったわ。その父が末の息子として、タヴォラドの次に目を掛けていたのが貴方。私たち兄弟が警戒するにはそれだけで十分すぎるの」
エスピラはさくらんぼの入った容器をプレシーモの方へ差し出すように押した。
プレシーモがエスピラから離れる。
「話が大分変ってきている中でそれに乗るのはどうかと思いますが、一つ言わせていただけるのであれば『私たち兄弟』とはどこまでを指すのでしょうか。メルアや、タヴォラド様など明らかにプレシーモ様と意見を異にしている者も存在しておりますが」
タヴォラドの名を出すかは迷ったが、即座にタヴォラドと協力関係にあるとは見抜かれないだろうとエスピラは判断した。協力関係だと思ったとしても、それは今回の件について。仲は良くないと思うだろう。
「義弟のトリンクイタ様も、貴方と愛人関係を築けなかったことを後悔していたわ」
トリンクイタ・ディアクロスはタイリーの三女、プレシーモやメルアと母を同じくするクロッチェの夫である。
「情報は正確にお願いします。トリンクイタ様が私と愛人関係に成れずに後悔したのは、ウェラテヌスへの影響力を何ら持てなかったことに対して。権力者に成り得る者への警戒や首輪をつけるためではありません。むしろ、自分も甘い蜜をすするために、ですよ」
『信じたいことを口にするな、とタイリー様に教わりませんでしたか?』とは流石に口にはしなかった。そこまで煽って良いことは何もない。ただの自己満足だ。
「そう。それだけの情報収集能力、あの子の男癖の悪さを知っていないのかと思ったら、知っていて放置していたのね。じゃあ貴方がウェラテヌスの後継者に指名した子の本当の父親も、貴方は把握しているのかしら」
エスピラは、思わず自身の短剣の位置とプレシーモの首を意識だけで確認した。
同時に、プレシーモの逃げ場と武器になり得るものも。周囲の様子も。
部屋の向こうはやや騒がしいままだが、殺すには十分だろう。
(殺す利点は何一つないがな)
「ヴィヴェ・レ・バッタリーセ」
「何?」
「いえ。随分とバッタリーセ様は北方諸部族に好かれているようで」
プレシーモに新たな怒りが浮かんだのは一瞬だけ。
「『信じたいことを口にするな。目に見えることが信じるべきことだ』と、父上は貴方には教えなかったのかしら」
「そっくりそのままお返しいたしますよ」
やってしまったな、とは思うが、怒りを鎮めるだけの時間を空ける余裕も無かった。
むしろこれだけで済ませたのだから素晴らしいことだ、とエスピラは思考を切り替える。
「マシディリのことで? むしろ、貴方にこそ証拠はあるのかしら。髪色はあの子から引き継いでいるのでしょう?」
「その言葉、半年後も言えると良いですね」
一瞬、プレシーモの赤いオーラが見えた。
すぐに消えたが、砕けたさくらんぼは戻らない。机に広がった水は床に落ちていくだけ。
「負けますよ。バッタリーセ様の軍。懐柔するためとの口実で北方諸部族に物資を配った者だから、バッタリーセ様が戦えばマールバラから北方諸部族が離反すると思っているのかもしれませんが、その程度のことをタイリー様やタヴォラド様が検討しないと?」
「それと、マシディリが貴方の子ではないと言う話と何の関係が?」
「味方になり得るウェラテヌスを敵に回した力の落ちかけた者を、セルクラウスはどこまで庇うのでしょうか」
「貴方は、今日は騒ぎを大きくしたことを私に謝罪しに来たのでは無かったかしら?」
「今のプレシーモ様に謝っても意味が無いでしょう」
「何を」
エスピラは革手袋を履いている左手のひらをプレシーモに見せた。
プレシーモの言葉が止まってから、ゆっくり横に動かす。
「プレシーモ様が会談に応じた目的は何ですか? 私を煽るため? メルアの名誉を損ねるため? ウェラテヌスに喧嘩を売るため? そうでないなら、今一度ご自身の発言を振り返り、目的が達成できるものかどうかをお考え下さい。
私はプレシーモ様の発言を受けて目的を達成できるとは思いませんでした。同時に、謝る必要性も消失したと考えております。
御存知の通り、私は私を慕ってくれている者を制御できるわけではありません。ですが、私を思っての行動なら私が敵対するわけにもいかないでしょう。その上、プレシーモ様を庇いたいとも思えません。先の許しがたい発言で貴方に対する評価は大きく変わりました。
もしもプレシーモ様が冷静な判断を下せる御仁なら、言っている意味が理解できますよね。理解できないのであれば、貴方をかっていた私が愚かでした。すぐに帰らせていただきます」
エスピラにはプレシーモの目的が大方ティミドへの訴追の撤回およびトリアンフとの早期の和解だろうとは見当がついている。
ただ、先に喧嘩を売ってきたのはトリアンフであり、ティミドへの訴えには関与していないのだからエスピラが応じる義理は無い。アレッシアのためを思えばその限りでは無いが、これから関わらない人物の頼みに応じたと言う形にする必要は感じないのである。
そして、兄弟のために動くと言うことを周囲に漏らしているのならば、あるいは周囲からそう見えてしまったのならば、此処で帰ることができなくなったのはプレシーモの方。
撤回すればその程度の思い、自分の人気取りのために窮地の兄弟をダシにしたと思われる。
「言い過ぎは認めましょう。ですが、貴方はやり過ぎでは無いですか?」
「失礼します」
プレシーモの言葉にエスピラは静かに即答し、席を立った。
「待って」
エスピラは振り向きもせず足も止めない。
「待って。貴方は降りかかってきた火の粉を火元から消しているだけ。アレッシアらしく、火元を踏みつぶそうとしているだけ。そうでしょう?」
エスピラは扉に手を掛けた。
「貴方も火の粉であり火元であることをお忘れなく」
「分かった。分かったから。戻って頂戴。戻って」
「ああ。バッタリーセ様に関することなら謝っておきます。負ける、とは言いましたが代わりがいるとは思っておりません。代わりの目途無く罷免を求めるのは何も考えることのできない者の愚かな行い。それに、今のところバッタリーセ様は執政官に適任でしょう」
目を覚まさせるための捨て石として。
サジェッツァやタヴォラドが戦わない戦法を取るためには戦っても無駄だと周囲に認識してもらわなくてはいけない。
(そもそも、本当に無駄かと聞かれても私は何も言えないがな)
タイリーの遺言と、タイリーとペッレグリーノが負けたと言う事実、そして前年の戦いに参加していた者たちから聞いた話を総合してしか知らないのだから。
「あの子の男癖がマシになったのは子が産まれてから。ならば最も貴方の子の可能性が高い次男や三男を後継者にしても良いのではないかと、ウェラテヌスのためを思って言ったまでです。ウェラテヌスに干渉する目的での発言ではありません」
なるほど、譲れない一線としてプレシーモはマシディリの父親を疑っていることとメルアの男癖の悪さは事実だと言っている。
エスピラも、そこの謝罪は無理だろうと諦めてはいた。
エスピラとて、プレシーモの夫バッタリーセではマールバラに勝てないと言う結論を翻すつもりは無い。だからこそ、プレシーモに選択権を与えたのだ。お互い様にするか、エスピラより懐の広い人と成るか。どちらが良いかを。
そして、プレシーモは選択した。
少なくとも怒りに任せて感情的に動くだけでは無いだろう。最低限の交渉はできる人物であることに変わりはない。ティミドのようにタイリーの死や状況によって人が変わってはいない。
そう判断して、エスピラは席に戻った。




