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汝の求めるモノは何ぞや

 タヴォラドが現当主としてエスピラへの人材流出を容認した、と言う知らせがアレッシアを駆け巡ったのはその日の夜のうちに、であった。


 当然、その言葉はエスピラにとって義姉でありトリアンフに次ぐ年長者であるプレシーモ・ウェラテヌス・クエリの耳にも入る。その影響か、エスピラとプレシーモの会談場所である湖の神殿には、いつも以上に人がいるように見えた。


「お久しぶりです」


 上座を譲られはしたが、エスピラは先にプレシーモに頭を下げた。


「凱旋行進の日の私は貴方を見たのだけど、ええ、そうね。会話するのは久々かしら」


 瑞々しさを失っていない声がエスピラの耳に届く。


「二年前、メントレー様の部隊に配属されるにあたって軍団長に任ぜられたバッタリーヤ様に挨拶に行った時以来でしょうかね」


 バッタリーヤ・クエヌレスはプレシーモの夫である。

 現在三回目の元老院議員であるとともに、今年の貴族側の執政官だ。その父はタイリーの力もあって永世元老院の一人としてオルニー島に渡っている。


「そうかしらね。貴方は相変わらずの色男。あの子やクロッチェが入れ込むのも分かるわ。ああ、安心して。私の夫は干物のような人。噛み締めれば噛み締めるほど良さが分かるモノよ」

「夫婦仲が良いことは非常に喜ばしいことです」


 プレシーモの艶やかなクリーム色の髪が揺れた。


「貴方たちも立て続けに四人も子を設けたでしょう? ウェラテヌス、と言うよりも父上と母上に似ていると夫も思っております。ええ。順番は違いますが、最初の四人が三男一女のところも、他も」


 エスピラは抗議の気持ちを奥へと沈めた。


 他、と言うのはメルアとエスピラの仲の良さ以外にも気に入られている処女神の巫女がいる、と言うことも指し示しているのだろう。あるいは若くして様々な家門に根を張り始めたところか。それとも、子供たちの将来を暗示しているのか、子供たちを考えてこれ以上の喧嘩を止めろと言っているのか。


(全て、も有り得るか)


 クエヌレスに永世元老院議員を出す力を与えたのはタイリーの尽力の他にもプレシーモの力もあるとエスピラは聞いていた。同時に、離れていてもタイリー、そしてセルクラウスを支える姿勢をずっと持っていることも。


「似ているとはタイリー様も思ってくださっていたようでして、本来なら私は今頃、処女神の巫女に対する経験則をご教授いただけるはずでした。ですが、私の力が及ばないばかりにタイリー様はお亡くなりになってしまい、兄弟喧嘩を誘発させてしまう始末。

 合わせる顔もございませんが、一つだけ私自身を慰める言葉があるとすれば私の粗相で私の祖父がタイリー様を叱ることを止めてくださるのでは、と言うところでしょうか」


「外交で功を挙げただけあって、頭を下げているようでこちらを責めるのがお上手ですね」


 プレシーモが小じわのある目を細めた。


「何故責めねばならないのでしょうか」


 表情を変えずにエスピラが返す。


 視線は冷たく絡んだまま。一つの家門の長として、片や義姉であり家門を支える者として。互いに自分からは視線を外さない。


 ウェラテヌスの復活は印象付けられたが、未だに力は戻り切っていない。政治力で言えばまだ弱小だ。対して、セルクラウスは主であるタイリー・セルクラウスを失っても未だに力は健在。


 エスピラとしては此処で先に外せば今後もセルクラウスの下になりかねず、プレシーモとしては追及する機会を逸する。


 それでも、先に眼光を弱めたのはプレシーモであった。


「まあ、喧嘩先に売ったのは兄上ですから。セルクラウスとしての愚を犯したのは兄上。他の家門が介入する機会を意図的に設けたのも兄上」


 プレシーモが湖の水に浸していたさくらんぼを手に取った。


「セルクラウスとして見れば兄上に協力するのは愚かな行為だと少し考えれば分かることですが、兄上が仕掛けるには今しか無かったのもまた事実。

 タヴォラドは当主になったとはいえ、遺言だからとすぐに当主の顔をして強権を発動するわけにもいかないでしょう。少しでも隙を見せれば、フィアバやパーヴィア様も土台を揺らしてきますから」


 フィアバはタイリーの次女であり、元処女神の巫女であるパーヴィアとの子供だ。

 遺産の分け前は最も少ない。


「フィルフィアがタヴォラドに従う姿勢を見せたとはいえ、同じことをしていたティミドが父上が死ぬなり態度を翻しましたもの。油断はできないでしょう」


 フィルフィアは四男。五男のティミドと同じくパーヴィアとの子。


「そして、貴方は凱旋行進の将軍。今のところ、唯一ハフモニとの戦いで勝った人。兄上とて今回のハフモニ軍が想定以上だとは知っております。負けを重ねる可能性が高いことも。だからこそ、時間が進めば貴方の功績が輝きを増していくことでしょう?

 それに、貴方は奴隷争奪戦や被庇護者の争奪戦で大きく出遅れました。それなのに、軍団に配備されていた百人隊長や副隊長を味方につけ、奴隷も手に入れ、闘技場も手に入れた。闘技場なんて、これからどんどん人が死んでいくのですから莫大な富をもたらすでしょう?

 今が一番、力の差が無い時なのです。今を逃せば兄上はもう勝てなくなってしまう。

 私にだってそれくらい分かりましてよ」


 さくらんぼがプレシーモの口の中に消える。

 だからこそ、此処は兄上の顔を立ててくれないか、とも言っているようにもエスピラには聞こえた。


(本当に、出遅れは決定的な失態だった)


 タイリーが死んだこと、カルド島のことでそれどころでは無かったとはいえ、取り返すために使えるカードはほとんど切ってしまったようなものだ。それでも、最低限しか確保できていない。


 ズィミナソフィア四世が贈り物をしてくれなかったら、カクラティスが農奴を求めていなかったらもっと状況は悪かっただろう。


「まあ、そこを責めるのは難しい所とも、もちろん理解しておりましてよ。ウェラテヌスを独り立ちさせればよかった訳ですが、セルクラウスとしての影響力が下がることを良しとしていないのも事実ですもの。とは言え、おかげさまでウェラテヌスの力がまだ弱いとして変な介入が相次いでおりますが」


「本当に、ありがた迷惑な話です」


 エスピラもさくらんぼを手に取った。


 少しだけ手の上で遊んでから、口に放り込む。


「最大の被害者はティミドなのですけど」


 プレシーモの声に、今日初めての明らかな怒気が宿る。


「私も非常に驚いております。そこに飛び火するか、と。コルドーニ様は致し方ないとしても、まさかタヴォラド様が簡単に組み伏せられる相手にわざわざ喧嘩を売るのは。奇襲としては有効ですが、倒しきれない相手にする行為ではありません」


「何を白々しいことを」


「言葉にはお気をつけを。ティミド様の命があるのは、私が時間を稼いだおかげでもあるのですよ」


 エスピラの顔に影がかかった。


「握りつぶすこともできたでしょう?」


 プレシーモの髪の毛が二人を隔てる石の机に乗る。


「なるほど。軍団を分解させ、アレッシアに敗北をもたらせとおっしゃりたいのですね」


 エスピラは距離を取らずに冷たい目でプレシーモの顔を見据えた。

 プレシーモの目はやや熱い、感情の籠ったモノ。


「軍団を掌握するために握りつぶさなかったのであれば、部下の暴走は止めるべきでしょう」

「もう部下ではありません。軍事命令権はお返しいたしましたから」


 ずい、とまた一つプレシーモが前に出てきた。


「シニストラ・アルグレヒト、イフェメラ・イロリウスは貴方の推薦。グライオ・ベロルスは軍団で一緒になった後に神官に推薦している。貴方の影響下、貴方の指示だと見えるのは当然でしょう?」


「他の家門で一番セルクラウスに影響を与えられるアルグレヒト、戦闘においては未だに一目置かれているイロリウス、建国五門の一つタルキウス。これらが私の一存で動くなどと本気で思っているのですか?」


「ベロルスを攻撃したのも、兄上から戦力を削ったうえで自身の戦力に変えるためではなくて?」


「買いかぶりすぎですよ」


 ゆっくりと言って、エスピラはのんびりとさくらんぼを手に取った。


「買いかぶりすぎかしら? あの子がやっと僻地から出たと思ったのに、外を出歩く様子をほとんど見ていないのだけど」


「メルアの意思です」

「父上も、私が抗議したらそう言ったわ。『メルアの意思だ』ってね。生まれてすぐ秘密裏に離れを作り出したのに、あの子の意思って言うのはおかしくないかしら」


「それはタイリー様のお話でしょう?」


 さくらんぼを口に入れようとしたエスピラの手が、プレシーモに掴まれた。


 大分熱くなってきた人相手に冷静な話は無駄だと思いながらも、エスピラは感情を隠した瞳をプレシーモに向ける。


「同じよ。だから、兄上が貴方の勢力が大きくなる前に貴方に汚点をつけようとしているんじゃない」


(汚点をつけようと?)


 エスピラは目の鋭さの質を変える。


 観察されている中、プレシーモが口を開いた。


「アレッシアに、二人目のタイリー・セルクラウスは要らない」


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