動向
「旦那様。ソルプレーサ様が待っております」
疲れて眠ってしまったクイリッタを抱えてマシディリと共に街から帰ってきたエスピラを出迎えた家内奴隷が発した二言目が先のものである。
「書斎か?」
エスピラは乳母にクイリッタを預けつつ聞いた。
「はい」
奴隷から返事が帰ってくる。
エスピラは買い物についてきた奴隷と護衛代わりの投石機の測量士に少量の荷物を預けた。
マシディリにまた後でと言い、奴隷に買ってきた低木を庭先に埋めるように言いつける。途中で扉の隙間から睨んでくるメルアの視線を感じながらも書斎へ。書斎の中では、客人用のソファに座ってソルプレーサがチーズのはちみつ和えを食べていた。空の皿が一つ置いてある。家内奴隷は気が付いた瞬間にすぐに下げているだろうから、もっと食べていた可能性もあるだろう。
「片手は開けた方が良いと思いますよ。御子息へ指輪を渡したことでウェラテヌスの復活は印象付けられましたが、エスピラ様を殺しても感じる罪悪感の薄くなった者もおりますから」
ソルプレーサが皿を置いた。
エスピラはその前を悠然と通り、書斎の椅子に座る。
「途中からは君が後ろにいただろう?」
「それはそれは。まだまだ精進が足りませんでしたかね」
「十分だろう。サジェッツァの飼っている者たちはソルプレーサを見失ったらしいからな」
ソルプレーサが揶揄うように、楽しそうに笑った。
「そう言うことにしておきましょう。エスピラ様が異常だとしておいた方が、精神的に優しい」
それから、ソルプレーサが一枚の粘土板を取り出した。
向きが変わり、エスピラの手に渡ってくる。
「メガロバシラスの腰は上がらず。何人かの有力者から『謝罪の証』がマールバラに贈られましたが、把握した内のその大半は奪取しております。全て、ディファ・マルティーマに新設したウェラテヌスの蔵に」
「新しい被庇護者はどうだった?」
「タイリー様の下で鍛えられていただけあって優秀でしたよ。その上、エスピラ様の腕を良く分かっている。わざわざ改めて忠誠を誓わせる必要は無いでしょう」
ソルプレーサがチーズのはちみつ和えを口にかきこんだ。
エスピラが言葉を返している間に食べきろうと言う魂胆だろう。
「今はまだメガロバシラスへの航路が絞りやすいが、マールバラに選択肢が増えればそうはいかないだろうな。同盟を締結させないためにも南下は防ぎたいが」
半島の中央部には山がある。山地がある。
冬になれば通れないと言う訳では無いが、半島内では最後までアレッシアに刃向かったサンヌスの民などもおり、情報の伝達には不安が残るのだ。そもそも、アレッシア自体に情報機関が無い。タイリーやエスピラなどの個人が組織したモノに頼っている。
なるほど。そう考えると、マールバラを監視する意味でもアグリコーラにマールバラを入れたいと言うのが良く分かる。
「マールバラに勝つのは至難の業。二年は戦うなと言う遺言もある。サジェッツァの策に乗り、アグリコーラ近辺に閉じ込めるのが一番か」
アグリコーラ近辺にも港はあるが、ハフモニとの間にカルド島とオルニー島が存在する。
長距離航行が全く以ってできないわけでは無いが、軍団を送ろうとすればアレッシアでも把握が容易だ。メガロバシラスとの連絡と言う意味では遠くなる。そもそも、メガロバシラスから一万や二万と言った大軍を持ってこようとすればディファ・マルティーマを奪うのが一番。二番目はディファ・マルティーマと近いトュレムレを奪うこと。だが、トュレムレは半円形にへこむようにも見える場所にあり、エリポス側の出っ張っている陸地はディファ・マルティーマの支配下にある。その上、メガロバシラスの『大王』ですらまだ半島を掌握できていなかったアレッシアの攻略に失敗しているのだ。
しっかりとした海軍が無いメガロバシラスは相当見極めてからの出陣になるだろう。
(カナロイアのような海軍が味方に付けば別だがな)
カクラティスは今のところ味方だ。
メガロバシラスからの『謝罪の証』の強奪に協力もしてくれている。
「ああ。もしかして、トリアンフ様からの訴えに一枚かんでます? セルクラウスが持つアグリコーラの土地を奪いたかった、とか?」
ソルプレーサが皿とスプーンを置いた。
片付けてもらうべく、エスピラは鈴を鳴らす。
「前にも言っただろ。アレッシア国内で割れても意味が無い、と。そんなことをしている場合では無いと」
危機意識がいまいち薄いのは戦意を失っていないとみるべきか、情報に鈍感だとみるべきか。
どちらにせよ、この裁判を長引かせるつもりも大ごとにするつもりもエスピラには無い。
「言っていましたね。まあ、残念ながらエスピラ様の考え通りに動くわけでは無さそうですけど」
家内奴隷が入ってきた。
ソルプレーサの目の前に積まれている皿を取り、下がって行く。
「どういうことだ?」
家内奴隷が居なくなってから、エスピラは聞いた。
「タイリー様の遺言は誰でも詳細を知ることができますから。エスピラ様が違反していないのは誰でも知っていますよ。被庇護者をどうするか、奴隷をどうするかはほとんど明記されていなかっただけで。トリアンフ様の『ウェラテヌスならば、これはセルクラウスへの干渉だ。違法行為だ。最低でも今年一年はセルクラウスの被庇護者はセルクラウスに属するべきだ。それが慣習だ』と言う訴えはこじつけに近いとも」
「だからこそ、トリアンフ様には何か策があるのだろう?」
こじつけを正論に変える、魔法の一手が。
「予想外の一手は予想できないから効果があるのですよ。そして、予想ができないと言うことは様々な憶測を呼びますから。午後に、さっそく裁判にもう一件訴えが届きましたよ。
『トリアンフ・セルクラウスがタイリー様の遺言を無視し、分け前を多くもらいたいと考えた時に本来なら真っ先に削るべき相続先がある。それはティミド・セルクラウスの分だ。カルド島ではタイリー様にエスピラ様を支えるように頼まれたのにも関わらず度重なる命令違反と軍令違反を繰り返し、規律を乱した。エスピラ様は功績を考慮されて罷免に留めたが、元老院は蟄居を命じたほどの違反者だ。遺産が削られるべき、あるいは国庫に納めるべきは彼の男。
それなのに何故訴えられたのがエスピラ様なのか。
それは、ティミド様がトリアンフ様に頼んだからだ。
名実ともにセルクラウスの跡取りになったタヴォラド様にはティミド様の話に乗る益が無い。他のご兄弟では正当性と力が不足している。特にティミド様の実母パーヴィア様系列のお子は明らかに力を削られていた。
つまり、これはティミド様の私怨だ。兵に嫌われ、誤った道に軍を進めようとした男の抵抗だ。正当性も何もなく、己の欲を満たすために個人を蔑ろにする悪行である。
これに加担する者はアレッシアを裏切った者。反逆の意思がある者。父祖の墓に泥を塗る者。
この事実の正しさを証明するために、ティミド・セルクラウスを訴える』
とね」
「よく覚えたな」
エスピラは素直に感心して、一言溢した。
「情報収集する者には必須な技能ですから。エスピラ様もできるでしょう?」
できないわけでは無い。
「で、訴えたのは誰だ?」
「イフェメラ・イロリウス、シニストラ・アルグレヒト、スーペル・タルキウス、グライオ・ベロルスの名が書かれていました。
そのあとすぐにイロリウスとベロルスが一門を上げて告発者を支えると裁判所に届けています。アルグレヒトも明日にも『ティミド様を』訴えるのならと纏まるそうで。タルキウスは一門を上げてではありませんが、スーペル様は『アレッシアを割るのはエスピラ様の本意ではない。早期の決着を望む』と個別で訴えたそうです。これには、タルキウスも一門としても黙認しているとか。
まあ、あそこはタイリー様とともに屋台骨が何本も折れましたから。当主はもう意志薄弱だとか言う噂もありますがね。エスピラ様が推薦したのにも関わらず出馬を辞退していますし」
「もう割れているだろ」
エスピラは、怒りをため息に変えて体から追い出した。




