展望
「アレッシアはまた負けるぞ」
エスピラを白いオーラで包んで治療しながら、サジェッツァはいきなり危ない言葉を発した。エスピラは、思わず周りの気配を探ってしまう。人払いは済んでおり、家内奴隷たちは昼ならば子供たちの食事のために忙しいはずである。
後は、自分で着ようとしていたが自分で服を着たことがほとんど無いメルアの手伝いとわがままに付き合っているか。
どのみち、近くには居ない。
「急だな」
エスピラは声を落として返した。
「エスピラも分かっているはずだ。だから、タヴォラド様に投石機を渡したのだろう?」
そうなのだ。
エスピラは、マフソレイオからもらった投石機三台と測量士三人、奴隷十五人をタヴォラドに渡している。交換として得たのはタイリーが育てていた情報収集用の被庇護者と貯水槽の設計および道路の設計の技術を持つ奴隷四人。
今は、その奴隷を教師とし、建築関係を学びたい奴隷をエスピラが買い取って教育してもらっている。
「メガロバシラスの動きが心配か?」
「流石に分かっているか」
エスピラの動きを。
「ソルプレーサを見失いはしたが、南方に降りていったのは確認している。ディファ・マルティーマに居るジュラメント・ティバリウスに連絡を取ったこともな」
そのソルプレーサは既にアレッシアに戻ってきている予定なのだが。
元々がソルプレーサの元庇護者であるガスパールのためにという名目で帰ったのだ。ソルプレーサが姿を隠したいと思ったのならエスピラが言う必要は無い。
「北方で四度戦い四度負けた。いずれも数的不利であったことが明らかにはなっているが、そこは主眼では無いだろう。『アレッシアが四度負け、タイリー・セルクラウスが敗死、ペッレグリーノ・イロリウスは深手を負った』。この事実だけで態度を保留にするのに十分だ」
特にメガロバシラスのように強大な国家には。
アレッシアとはこれまで通りの関係を維持するように見せつつ、ハフモニの援助をしても良いのである。サジェッツァやタヴォラドが主導して今のところ半島の西側、ハフモニとの連絡が容易になる港がある街は奪われないようにしているが、東側は違う。良港は奪われていないものの、いくつかの港町は既にマールバラの手の中だ。
物資を大量供給できなくても、例えば個人資産の一部と言った支援をエリポス圏からすることは可能なのである。
「どうだ?」
サジェッツァがエスピラの腕を裏返しながら聞いてくる。
傷は大分無くなったが、このことでは無い。
「様子見、だな。偶然の勝利ではないと見ているが、まだハフモニに賭けることは出来ていない。そんな国家ばかりだ。ディティキを取った成果が如実に表れているよ」
遠くのハフモニより、エリポス西岸を抑えているアレッシアの方が身近な脅威である。
そう言う考えに天秤が傾いた者が多いのだろう。
「いつまでもつと思う?」
「マールバラにこれ以上南下されるか、オルニー島、カルド島のどちらかをハフモニが半分でも占領すれば動き出すだろうな」
「そうか。だが、今のアレッシアではマールバラを排撃できない。南下は続くだろうな」
正直すぎる、と思わない訳では無かったが、エスピラの見立ても一致している。
少なくとも、腕自慢がこぞって軍団に入りたいと言い、これまた名を上げる機会だと会戦を望む者が指揮官に尽きたがっている現状では悪化していく一方だろう。
アレッシアのため、誇りのため。
己の腕で強敵マールバラ・グラムを打ち破る。
その意志は大いに結構だが、今ばかりは悪い方向に作用していると言うしかない。
「だが、マールバラとて完璧な訳では無いだろう。私にマルテレスの剛力やエスピラの情報収集能力が無いようにな」
「持ち上げてくれるのは嬉しいが、それでもアスピデアウスとウェラテヌスの差なら圧倒的だよ」
それをマールバラとアレッシアの軍事命令権を得られる者達の評価としているのかも知れないが。
「カルド島の軍団に居たタイリー様の被庇護者のほとんどはウェラテヌスに入ったと聞いている」
「今は誰も彼もが故人への弔いとして闘技場を使用してくれているが、それが無くなったらどこまで同じ手当をしてあげられるのかは危ういけどな」
相続した土地ではやや足りないのである。被庇護者自身が持つ土地などを考えればかなり大きくはなってきたが、被庇護者の土地を他の被庇護者のために使うことは信を失うことに繋がりかねないのだ。
「それでもウェラテヌスの復活をイメージ付けるには凱旋行進での振る舞いは十分だった。ウェラテヌスが戻ってきたと訴え、アレッシアのために命を懸けてきた男たちの伝説を思い起こさせて戦場に駆り立てるくらいにはな」
エスピラは右ひじをついた。
「悪かったな。だが、ウェラテヌスは馬鹿みたいに突撃したわけじゃない。確実にアレッシアに勝ちをもたらせるから命を懸けたんだ。考えなしの蛮行と一緒にしないでもらいたい」
「一緒にした訳じゃない。だが、沸騰した血を作り上げたのは間違いなくエスピラの凱旋行進だ。ウェラテヌスの名声を上げ、アレッシアに戦意をもたらすのには役立ったが負の面もある」
なるほど、とエスピラは心の中で一度頷いた。
「サジェッツァの作戦にはよろしくない影響を与えている、と言うことか」
となると、積極的な攻撃策を望んでいない。
防衛場所を定め、そこで抑え込む策だろうか。時間をかけて、抑え込む。攻撃に焦る者たちは精神的負荷が大きい籠城戦には使いにくいだろう。
「サジェッツァ。言うまでも無いことだとは思うが、その作戦は支持を得られないぞ。アレッシア人の気性に合わないと言うのはもちろん、ハフモニ軍の略奪にあった土地は荒れ果てる。補給が望めなくなるだけではなく、守ってくれないならハフモニにつく者も出てくるはずだ」
「万全ではないにしろ、手は打っている。防御陣地を作り、避難させると共に備蓄もいったんそこに運ばせる。
幸いなことに今年の執政官は二人とも自分たちが攻める側だと思っているからな。北方諸部族へ一個軍団、アレッシアの街道を塞ぐのに二個軍団、馬産地の守りに一個軍団を散らばせている。目を南方に向けられたとしても、今すぐには手足を伸ばせまい」
マールバラやハフモニの意識が向いたとしてもアレッシアが積極的に動いている南方には睨みだけではどうにもできない。
その間に、策を実行するための準備をしておく、と言うことである。
「いつまでもつかな」
執政官の軍団が。
「敵が纏まらなければ半年。纏まれば一月ぐらいだろうな」
「評価が低いねえ」
とは軽く言いつつも、タイリーやペッレグリーノですら負けたのだからエスピラも否定はしない。
「そんなに強いのなら、防御陣地を築いてもしっかりとした城壁のある都市に全員を避難できないと意味が無いんじゃないか?」
アレッシアの攻城兵器は性能が良くないとはいえ、急造で作られた壁にダメージを与えることは出来る。北方の植民都市は踏ん張っているとはいえ、ハフモニについた街もあるのだ。小さな街しかまだ裏切っていないため、アレッシアの中でも質の悪い攻城兵器しか持っていないだろうが、それでも『天才』が率いるのなら不安はある。
「完璧ではないと言ったはずだ。マールバラの弱点は、街や陣地を攻撃することだととうに分かっている」
サジェッツァがオーラの使用をやめた。
エスピラは腕を戻し、何度か拳を開閉して状態を確かめる。問題は、無い。いつもの、右腕に比べて色の白い腕である。
「ピオリオーネ攻略に時間がかかったことなら、油断を誘うためだろう。現にアレッシアの戦上手が二人とも敗れた。ペッレグリーノ様の腕が衰えていないことは、一個軍団だけでピオリオーネを奪還し、プラントゥムからの増援を防いでいることからも明らかだろ」
ペッレグリーノが北方からの陸路を封じ、カルド島をメントレーが抑える。オルニー島は永世元老院議員四人とその庇護者たち五千人を中心に良港を影響下に収めた。
マールバラは半島内で暴れてはいるが、局地戦の勝利という結果に貶めることには成功しているのである。
「それもあるだろうが、苦手だと悟らせないためでもあっただろう。冬の間に終了させて、アレッシアが動けないうちに軍勢を整えればもっと早くに半島に攻め込めたわけだからな。
それに、北方にある植民都市を三つとも無視している。周りと比べれば大きいが、半島全土で比べれば大きいとは言えない街だ。北方諸部族からの兵の供与を考えるなら、此処を落として憂いを無くし、軍団を増やすべきだろう?」
サジェッツァの言うことも一理ある。
正しいとは思う。
ただ、抜けていることもあるとエスピラは思っている。
「マールバラの偉業の一つは部族間でも争っていた北方諸部族を纏めたことだ。共通の敵を作る、その敵を意識させておくのに植民都市を残しておくのは理にかなっていると思うが」
「そう言った思惑もあるだろう。だが、陣地を攻撃してこなかったのも事実だ。陣地攻撃は北方諸部族や騎兵による即座の撤退を見据えた攻撃のみ。ペッレグリーノ様との戦いから始まった全ての戦いは数的優位を維持したまま野戦で行っている。伏兵を置ける場所、あるいは囲い込める場所を把握したうえでな。
大事なのは外で戦ってはいけないと言うことだ。もしかすれば、マールバラは私たち以上に半島の地形を知っている、と想定した方が良いだろう」
エスピラは表情を険しくすると、左手を革手袋で覆い始めた。




