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晩餐会

 呟きに付随した感情を、酒と共に飲み下す。

 空になれば、すぐさま給仕の者が注ぎに来た。


『飲めないなら溢して良い』


 これが酒宴である。溢した酒すら、神への供え物となると言う考えから、とりあえずは飲めなくなるまで飲むのだ。

 音楽隊が居て、踊り子が居て、詩の朗読があって、ゲームがあって、果物と甘いものが用意されている。豆の類もある。

 楽しくあることが神への感謝の表し方なのだ。楽しくないのは、不敬である。


 お許しください、とエスピラは自身の左手首に口づけを落としてから顔を上げた。それから、サイコロ遊びに興じ始めたルキウスに近づいていく。


「ウェラテヌスの」


 途中で、白ワインと思しき液体を躍らせている肩幅の広い壮年の男性に声をかけられた。

 髪の色はグラスの中の液体を濃くした程度。眉は角ばる太さである。


「これはこれはラシェロ様」


 記憶の蔵から名前を引っ張り出し、エスピラは笑顔を貼り付けた。

 ラシェロ・トリアヌスの隣にいるのは、娘だろうか。髪色はラシェロよりやや濃く、少しくすんだ青い目をしている。歳は、まだ十代半ばと言ったところだろうか。


「トリアヌスとセルクラウスとの結びつきは、益々強くなりそうですね」


 ラシェロから口を開く気が無いと判断して、エスピラはそう続けた。

 お酒の所為か頬を紅潮させた娘の視線は、気持ちが良いやら悪いやら。

 エスピラは表情にはおくびにも出さず、絹のような笑みを浮かべ続けた。


「そう思うか?」

「はい。両家門の末永き繁栄を、神にお祈りしております」


 グラスを差し出しながら傾ければ、ロシェロも同様に前に出し、綺麗な音を奏でた。

 離れる直前に、慌てたように娘からも重なり、三人で一気に酒を煽る。飲み終えて体勢が戻ると、えへへ、と言う少女の笑いが耳に届いた。給仕は駆けつけて、ロシェロが白ワインを、エスピラがリンゴ酒を頼むと少女も遅れてリンゴ酒を注いでもらい始める。


「セルクラウスもそうですが、ウェラテヌスも雌伏の時は終わり、これからは隆盛の時。違いますか?」

「そう言ってもらえるとは、ありがたい限りです」


 期待されることには、慣れている。

 同時に、自分を超えるものが現れるという想像も、はっきりと顔を持ち始めている。


「エスピラ様ならばウェラテヌスの繁栄は約束されたような物でしょう。ただ一つ問題があるとすれば、結婚してから一年経つのに未だに子が無いこと。つまらない所で躓くのは、あまり見ていて気持ちの良いものではありません。ウェラテヌスとあまり関りの無かった私でもやきもきしているのです。アレッシア全土が心配していると言っても差し支えないでしょう」

「言い過ぎですよ」


 なるほど、と話が見えた気もした。


 ルキウス・セルクラウスへの協力を手土産にエスピラの愛人へ娘を送るつもりなのだろう。あるいは、初めての相手としてかもしれない。

 そう言えばトリアヌスの娘の一人は処女神の巫女だったか。神官への推挙に一枚かんでいてもおかしくは無い。


「言い過ぎな物ですか。と、あまり私ばかり話していては娘に怒られてしまう。何せこの子は晩餐会の時からウェラテヌス様の声を聞きたい、聞きたいとうるさくてですね」

「お父様!」


 とんがった声を少女が上げたが、すぐに口を押えて頭を下げてきた。

 髪の毛が動作に遅れて舞い上がる。


「そそっかしいところをお見せしてしまいましたが、この娘は私の子ながら実に優秀なのですよ。ウェラテヌス様には及ばないのですがエリポス語ならばアレッシア語と同じように扱えましてね」


 大きい声で自慢げに言った後、ロシェロが「ほら、何か挨拶なさい」と娘の肩を叩いた。

 少女が一歩前に出る。視線も、それとなく集まり始めたようだ。


「初めまして。ピュローゼ・トリアヌスと申します。エスピラ様とは、常々お話したいと思っておりました。今日のこの機会を頂けたこと、神に感謝したいと思っております」


 父親の自信も納得のエリポス語であった。


「これはご丁寧にありがとうございます。私も、ピュローゼ様のような可憐で才知溢れる少女と巡り合わせていただけた運命を、我が女神に感謝いたします。同時に、姉君が守りし処女神の炎にも感謝し、神官の務めを立派に果たす所存です」


 エスピラも、流れるようなエリポス語で物腰やわらかく返す。

 顔を真っ赤にした少女、ピュローゼが両手で握りしめながらグラスを差し出してきた。優しく合わせて、酒を飲む。ピュローゼは、小さい口や喉を無理矢理大きく開けるように必死に酒を飲んでいた。父親も、その様子を見てほほ笑んでいる。


「エリポス語を習得した後は、何を?」


 少女の無理を止める意味合いも兼ねて、エスピラは横やりが入りにくいようにエリポス語で尋ねた。

 ピュローゼがグラスを戻す。目は、随分とうるんでいた。


「マフソレイオの言葉を学んでおります」

「マフソレイオの。あそこの王や女王はエリポス語しか話しませんが、滞在される予定でもあるのですか?」

「……意地悪、ですね」


 ここまでエリポス語だったのが、最後だけ拙いマフソレイオの言葉で返ってきた。 


 酔いの調子に、ふと、視線が少女の肉体へと下がる。


 メルアと比べると、小柄で、肉は無いが筋肉は多そうで、どことなくつつましやかである。アレッシア人らしさで言えば目の前の少女の方が上だが、エスピラとしては。


 妻の痴態が蘇り、エスピラは慌てて、されど行動には出さずに酒で喉を焼いた。まるで焼けた喉から思い出されたように、メルアが呼び込んだと思しき男たちの生気を失った顔が次々と蘇る。


 今度は、むかむかとささくれだった気分を落ち着けるために酒を飲み下した。


「マフソレイオの文字は絵のようですから。意外と、話せるようになるより書けるようになる方が難しいかも知れません」


 エスピラがアレッシア語に戻すと、タイミングを合わせたかのように場を盛り上げていた神殿の踊り子も下がって行った。代わりに出てきたのは、筋骨隆々なほぼ裸の男たち。焚火もたくさん出てきて、油を体に塗った男たちの筋肉の陰影を際立たせている。


「ですが、マフソレイオの言葉を学んでいると言えば紙は多くいただけるかも知れませんね。パピルス紙の一大産地は、マフソレイオでございましょう?」


 会場の音楽が盛大に鳴り響き始めた。音圧に押されたかのようにピュローゼが一度顔を下げ、一歩近づいてくる。

 酒の香りの中に少女の香りが交ざった。


「こういうと、浅ましいかも知れませんが、宜しければたまにで良いのでマフソレイオの言葉を上手く学べているか見てはもらえないでしょうか。その、エスピラ様ならば紙の都合も他の方よりも容易いかと思いまして」


 言葉の後半を隠すように、どっと会場が盛り上がった。

 目を向ければ、マルテレスが半裸になって男たちに交ざって踊っており、それを周りが囃し立てて酒を次々に傾けている。


「私はこれから半年神官となり神殿に詰めます。紙の都合は難しくなるでしょう」


 もちろん、先の少女の発言の意図がそうでないのは知っている。


「そう言えばエスピラ様は我が娘のいる神殿に行かれるのでしたな。このようなことを頼むのは心苦しいのですが、処女神の巫女には奴隷では近づけませんので、代わりにこの手紙を届けてはくれませんか。こまごまと、家族のことを書いた手紙なのです。娘は巫女の習いに従って五歳の時から神殿に行っておりますので家族に愛着があるかは分かりませんが、私にとっては大事な娘なのです」


 ピュローゼを励ますように、庇うように前に出てきた父ラシェロが分厚い紙束を渡してきた。


 受け取り、中身を見ないまましまう。


「私も、これを」


 ピュローゼから渡されたのは二つ折りの紙。簡単に、されどエスピラ以外には見えないように開いてしまった紙の間には、乾燥させたクロッカスの花が入っていた。花弁が二つ、折られている。


 耳まで真っ赤にしたピュローゼがそそくさとグラスを持ち上げた。後ろのラシェロは楽しそうにほほ笑んでいる。


(行きませんけどね)


 少女の一世一代の誘いは心の中で断って。

 エスピラは少女と乾杯してグラスを空にした。


 期待と不安が織り交ざったまま離れて行く少女と少女のたくらみを知っているのかあるいはけしかけた父は楽しそうに離れて行く。


「足を折って寝るのは感心しないよ」


 エスピラは分厚い革で覆われているような頭を厭わしく思いながら呟いた。自分が今夜行けば少女は寝られなくなる代わりに足を曲げて寝ずに済むのは知りつつも、呟いた。


(嫌になるよ、まったく)


 陰鬱な溜息を一つ吐いて。

 エスピラは会場を盛り上げている友の方へ足を向けたのだった。


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