後始末
「俺、奴隷より働いてると思うんだけど」
布団を剥ぎ取られたベッドの上にマルテレスが倒れ込んだ。
「優秀なアレッシア人ってのは午後は自由にしているものだろ? 一日中働いているのは奴隷だけ。しかも奴隷も日暮れまでには仕事を終えるじゃないか。なのに俺は火を灯して書類とにらめっこなんて、やってらんないよ」
「長住まいの一等地で暮らせる奴隷はいないぞ」
エスピラは口角を上げた。
「略奪の跡地じゃなければな」
マルテレスが壊されたため板一枚を立てかけただけの扉を指さした。
近くに立っていたシニストラが、「今日はまだ昼ですから」とだけマルテレスに返す。
「ティミド様を罷免した以上は仕事が増えるのは仕方が無いと割り切ってくれ。同じかそれ以上に優秀な後任を見つけずに駄目だからと代えればこうもなるさ」
「兵がついて行かないだけならさあ、戦後処理はさせれば良いじゃん」
「一度罷免した者を復帰させると前より代えづらくなるからな。信頼していないと言いつつも貴方しかいないんです、なんて言われれば身を守るためにやりたい放題に近い振る舞いをするだろ?」
マルテレスが力任せに吹かれたラッパのような声を出してベッドの上でさらに潰れた。
エスピラは笑って、手紙を一つ取り出す。マルテレスが疑問の目を向けて来たが、一瞬で何か悟ったらしい。すぐに、またか、という表情に変わっていっている。
「マシディリの手紙でも読んでやろうか?」
「いつもじゃん」
というマルテレスの突っ込みは受け流して、エスピラは手紙を開いた。
紙を子供に与えて自由にかかせる、なんて真似はウェラテヌスどころかセルクラウスでもしないだろう。字の練習をさせるとしても木の皮や砂に書かせるなどをするのが普通だ。
と言うことは、本来はメルアが書こうとしたのだろうと思い、送られなかったことを悲しくは思うものの息子からの手紙は手紙で嬉しいものである。
「『父上、お元気ですか? こちらはみんな元気です。最近は街に出ると皆が父上の話をしております』。ここだけでもマシディリがどれだけ天才かが分かるな。私を気持ち良くさせつつもアレッシアの窮状を伝えてきている」
垂れ切った眼と緩み切った頬になっているエスピラの声はこれ以上ないほど弾んでいる。
「たまたまだろ」
マルテレスの声は冷たいが、エスピラの口は緩んだまま手紙を読み続けた。
「『クイリッタは「勝って、勝って、勝った」と叫べば怒られないと覚えてしまったようです』。クイリッタも天才だよな。マシディリも弟に気配りをしているし、万全じゃないか」
「周りの大人のせいじゃないか?」
「『ユリアンナも父上の話を聞くと機嫌が良くなります』。もう言葉が分かるとは娘も天才かも知れないな」
「周囲が嬉しそうにしているのは分かるからな。それで笑ってるだけじゃないの?」
「『それと、新しい弟の名前は、母上が「リングアにしたから」とおっしゃっておりましたが、父上は知っていますでしょうか』。知っているとも。私がメルアに提案したのだから。あの子が大きくなるころには様々な言語が入り乱れているか全てアレッシア語に統一されているかも知れないと思ってね。使うにせよ統一したにせよ、他の国の言語を尊敬するような子に育って欲しいと願ってね。良い名だろう?」
「最高の指導者、常に落ち着きのある冷静な者、女王と神の寵愛を願う、ときてそれか。願いが大きいな」
「覚えていてくれて嬉しいよ」
エスピラはマルテレスに目を向けると、すぐに手紙に顔を戻した。
いつ見ても大きく、まだよれているが愛おしい文字である。
「『パン配りは大変ですが、父上の仕事を思えば頑張れます』。マシディリの可愛さで被庇護者が増えたな」
「あーはいはい。もうそれで良いよ」
「『父上に運命の女神の口づけがありますように』。マシディリにも神の祝福があることを祈っているよ」
「やっと終わった。覚えた文章を何度も聞かされる身にもなってくれ」
「じゃあ忘れろ。そしてまた聞け」
マルテレスがシニストラに顔を向けた。シニストラは目を閉じて何も言わない。
マルテレスの微妙に引いた顔がエスピラに向いた。
「あんまり甘やかしすぎるのは良くないぞ」
「もちろん分かっているとも」
「本当か?」
「ああ。本当さ。でも家族は良いものだ。早く会いたいよ」
エスピラは手紙に軽く口づけをすると、透かすかのように持ち上げた。
「あの手紙を読むからエスピラは疲れを感じてないんだ」と、マルテレスがシニストラに言っている。シニストラも「お疲れ様です」とマルテレスに返していた。
「羨ましいか、マルテレス」
「あ、うん」
「でも息子はやらんぞ」
「あ、はい」
「娘もまだ早い」
「知ってる」
ただのウザ絡みだ。
引いているマルテレスを、エスピラは完全に無視している。見えていない。見ようともしていない。
「話を戻させてもらうけど、ティミド様はどうなりそうなんだ?」
マルテレスが新しい粘土板をつまんだ。書かれているのは人事。
スカウリーアの上層部の生き残りはパンテレーアへ。親アレッシアの者は街の上層部へ。他にもアレッシアに近い様々な街から人を少しずつ集め、結託しないようにしつつも二つの街の新たな指導者へすえることを伝える内容だ。
「普通なら今年いっぱいの謹慎で終わるのが妥当だろうが、タイリー様が亡くなりセルクラウスが嫌いな者はここぞとばかりに責めるだろうからな。元老院も敗戦の身代わりにできるならあまり止めなくても納得がいく」
「かわいそうと言って良いのかは分かんないけど、ティミド様はとことん神に見放されているな」
「本当にな」
例え執政官に成れずとも名門セルクラウスに連なる者として、堅実に仕事はこなす者として財務官経験を積み続ければアレッシアにとって石材になれる者だったのに。
今や立場の危うい貴族の一人だ。
高官には誰もいないが復帰できている以上ベロルスの方がマシかも知れない。
(グライオを処女神の神官に推すか。元老院としてもタヴォラド様としても政治的な役職では無いが名誉のある職にベロルスを着けるのは利益があるだろうしな)
戦功に報いつつ政治的な立場は回復させない。ただし、被庇護者や平民からは許されたと言う風に見せかけることができる。
悪くはない案だと、エスピラは我ながら思った。
上手くいけば、エスピラがベロルス一門を奪い取ることもできるかも知れないのだ。
トリアンフと言う不確定要素から力を奪いつつ自分は増強する。これ以上ない出来事だ。
「あまり望ましくない展開に持っていかれたのは、エスピラ様かも知れませんよ」
足音も無く入ってきたソルプレーサが羊皮紙を揺らしながら言ってきた。
ソルプレーサの近くに居たシニストラの顔のパーツが真ん中による。
「どういうことだ?」
エスピラは手を伸ばして、羊皮紙を受け取った。
「詳しいことはそこに書いてありますが、エスピラ様がパンテレーア・スカウリーア両都市の今後に心を砕いている隙にアレッシアで動きがありました。まずは、タイリー様の遺言が勝手に発表されております」
「は?」
エスピラは羊皮紙に目を落としかけたが、ソルプレーサに向けてすぐに口を開いた。
「ティミド様どころか、タヴォラド様もアレッシアにはいない状況で? 誰が。何を考えて」
アレッシアは北方戦線でさらに一度の全滅と撤退を経験した。
そこで細い川沿いにタヴォラドが防御陣地を作り、その裏で新兵を育成しながらマールバラを睨む策に出ている。マールバラは防御陣地を避け、少し離れはしたがまだ半島内。動きを制限されたと言うよりも半島北方を自由にしている。
「トリアンフ様が。コルドーニ様と、ガスパール様が命に代えて助けたルキウス様と組んで。間違いなく、セルクラウスの主導権とアレッシアの主導権を狙ったものでしたが、これは滑稽な結果に終わりました」
エスピラは羊皮紙を急いで読み始めた。
「滑稽な結果とは?」
シニストラが代わりにソルプレーサに聞く。
「トリアンフ様に与えられたのは他のご兄弟、それこそメルア様に配られたのと同じだけの僅かな財と土地。それとアグリコーラにある別荘だけ。
財の三割は国庫へ。四割はタヴォラド様へ。残りは等分。土地は六割がタヴォラド様へ。残りは男兄弟で等分。一割はエスピラ様へ。
そして、アレッシア内や近郊の建物は全てタヴォラド様に。闘技場と戦車競技場、およびそこの運営にかかわる奴隷は全てエスピラ様に。半島内に広がる物を全て言うのは割愛しますが、要所は全てタヴォラド様。後は男兄弟で適当に。少しばかりトリアンフ様やコルドーニ様が多くはなっておりますが」
「後継者はタヴォラド様、と言うことか」
シニストラが言う。
羊皮紙を読んでいるエスピラは、シニストラの視線を感じた。
「大衆の前で自分も影響力があるんだぞ、とトリアンフ様は言いたかったのだろうが、タヴォラド様が後継者だぞと自ら認めた形になったからな。ルキウス様も一切の相続ができなかった以上、影響力の低下は免れないだろう。
強行してまでの失敗だからな。元老院は以降相手にしないさ。被庇護者も集まらないしな」
「何故、その危険がありながら発表したのですか?」
「被庇護者と奴隷をタヴォラド様が素早く手中に収めたのかも知れないな。あるいは他の者か。どちらにせよ、遺言の発表が遅れればセルクラウスの力が落ちると見たか自身が巻き返しを図れなくなると思うほどにトリアンフ様にとって良くない状況だったのだろう」
とはシニストラに言ったが、エスピラとて確信があるわけでは無い。
アレッシアにも協力者は残してきているが、ほとんどはカルド島に連れてきている。戦争の準備に力を割いている。正直、耳目がアレッシアに残っている状況では無いのだ。
「それよりも私程度の功績で凱旋行進をしろとはどういうことだ。凱旋式ほどではないと言っても、近しいモノをやるような功績ではない」
エスピラはやや語気を強めて、羊皮紙を叩いた。
ポーズ、という面も大きい。今部屋にいる信用できるメンバーに今がその場合ではないことを伝えるために。凱旋式の価値を落とさないために。
「アレッシア市内はもとより、軍団内にもその話は漏れております」
ソルプレーサの言葉に、エスピラは演技ではなく眼光を強くしてしまった。




